うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『中世都市と暴力』ニコル・ゴンティエ

 西ヨーロッパにおける、陰惨な中世都市の生活や社会を知ることができる。

 中世人は、この本だけを読めば、常に派閥をつくり、抗争し、殺しあいを繰り返していたような印象を受ける。『中世の秋』や『ドン・キホーテ』を読んで感じるのは、中世の人間は今よりも大雑把で粗暴というようなイメージである。

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 目的……「十三世紀から十六世紀にかけて、都市民を暴力行為に向けさせた個人的あるいは集合的な態度を分析し、理解すること」、「暴力というものが、日々の生活にどのように組み込まれていたか、暴力が社会関係にどのように重くのしかかり、また都市の文化や都市政府の発展にどのように作用したか」を理解すること。

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 12世紀以降、都市には外敵を防ぐための市壁がつくられた。市壁は都市とそれ以外の農村を分離し、都市の閉鎖性を高めた。都市と農村の対立が深まり、さらに都市内においても、密閉された状況から多くの暴力、抗争が生まれた。

 中世都市は深刻な格差社会であり、都市貴族、商人、下層民(ポポロ・ミヌート)等、貧富の差によって対立していた。また、支配者層は街路ごとに領域を構成し、頻繁に抗争した。都市の道路は入り組んでおり、都市貴族は自分たちの統治しやすいように、各々の街路を整備した。

 ギルドや組合も抗争の主体となった。閉鎖された過密空間においては、あらゆるグループが形成され、排外主義と攻撃性の原動力となった。氏族(クラン)はひとつのグループとしてお互いに復讐(ヴェンデッタ)を繰り返し、フェーデ(決闘による自力救済)が発生した。

 僧侶たちも、富と権力を持つ貴族聖職者と、市民聖職者とで対立した。特に市民聖職者たちは俗人と変わらぬ生活を営み、悪事と暴力に手を染めた。また、僧侶たちは市民を煽動し暗殺や暴動を引き起こし、報復をおこなった。

 若者たちは抗争の先陣を切った。学生や若い僧たちは、性的欲求不満から娘をさらってはレイプし、また、娘をめぐって徒党を組み、人間狩りゲームのような争いに興じた。かれらの暴力は社会への不適応から生まれるものではなく、大人たちの暴力的な社会をそのまま反映したものだったという。彼らは結婚すると大人となり、新たに大人の排外主義と抗争に加わった。

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 公的な暴力でまず挙げられるのは特定集団の排除である。

 都市当局はしばしば噂や不満に基づいてゲットーをつくり、虐殺を実行した。ユダヤ人はキリスト教徒から非難され、ゲットーに追いこまれ、また殺害された。同じような例は富裕層の多くを占めるロンバルディア人らにもみられる。レプラ患者は市民虐殺の陰謀をたくらんでいるとして、異端審問の時代には絶滅が試みられた。アラブ人についても同じような迫害を受けた。

 キリスト教徒、ユダヤ人、モーロ人は古くから交流していたが、それが対立を生むこともあった。ユダヤ人は君主から徴税任務を請け負い、市民から税を徴収したため憎しみの対象となった。他にも金融業や消費賃借など、人びとから嫌われる仕事を多く担任し、富を築いた。 

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 ――たしかに売春は、当局により必要悪として容認されていた。それどころか、売春は未婚者たちの欲求不満を解消し、「既婚の身分ある女性たちを若者の乱暴から」守るために、十四世紀からは公的に認知され、保護を与えられた。

 居酒屋、風呂屋、淫売屋といった店は暴力の温床となり、賭博や遊戯、祭りは人びと、特に若者たちの衝動をたきつけた。

 ――紛争の機会を減らし、都市社会に平和をもたらすために、都市当局はあらゆる手段を用いた。警察は無能で不十分なために、効果的な予防や監視を行うことができなかったが、日常生活の細部にまで注意を払う立法や、調停裁判所の努力によって、住民どうしのもめ事を減らすことができた。

 若者たちの暴力衝動を消化させるため、当局は疑似決闘や競技を活用した。また、犯罪者を追放することで治安維持に努めたが、追放された者たちはしばしば外界で野盗団を結成したため、完璧な対策ではなかった。

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 牢獄は劣悪な環境であり多くの勾留者が寒さや飢えで死亡した。処刑はすべて公の広場や四辻で行われ、市民はこれを見物することを課せられた。

 ――これほど極端な光景に慣れ親しむと、民衆の感覚は鈍り、期待されたものとは逆の効果を生みだしたのではないかという疑問も生じる。見物人の目には、恐怖よりも不健全な興奮が見られなかっただろうか。たぶん司法当局が公的にふるった暴力は、社会全体に漂う暴力のはけ口として働き、攻撃性を抑止するのと同じくらい、それを解消する手段にもなったと思われる。

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 暴力を裁く法体系は一枚岩ではなく、また、罰は貴族的な価値観に基づいていたため身分によって量が変動した。

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 都市は価値観の変化や経済水準の変動を引き起こし、特殊な社会をつくりだしていった。

 

「社会の独自性から、都市には農村とは異なる行政機構が作り出され、領主権力に抗議する連帯を生みだしたり、都市に独自の軍事力を装備したり、あるいは自由や権利を獲得して、十五世紀にはついに都市民を聖職者や貴族に対抗する第三身分とするまでになった」。

 

 都市の形成は常に暴力に彩られ、さまざまな解決法が試みられたがうまくいかなかった。中世を通じて都市は殺人、喧嘩、強盗、強姦、暴動、暗殺に満ち溢れ、その対抗処置として拷問、公開処刑、賠償が日々おこなわれた。

中世都市と暴力

中世都市と暴力