うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦争論』多木浩二

 近代において国家がいかに戦争を作り出してきたかを検討する。戦争についての見方の1つを提供するものである。

 著者の専門は芸術・哲学であり、ベンヤミン等の哲学者からの引用が多い。

 人道的介入が正しいのかそうでないのか、理に適っているのかそうでないのかは意見の分かれる問題である。

 

 1 近代の戦争

 近代に入った頃に、戦争がどのように語られてきたか。近代以前と近代とでは戦争そのものが違う。シュミットは「可能性としての戦争が、つねに政治の前提になるのだ」といった。カントは、平和というのはまったく自然でなく、戦争こそ人間の自然状態であるといった。平和をつくるには努力せねばならないのである。

 第一次大戦を誰もが政治の継続であると考えていたが、やがて戦争は、戦争のための戦争になり、惨憺たる状況となった。現実には、戦争は政治とは異なる暴力の行使だった。第一次大戦クラウゼヴィッツの理論を超えた。

 

 国民国家は、法によって暴力を独占する。国民国家の誕生によって常備軍がつくられ、国家は「戦争機械」となった。ここでは戦争は法定暴力とされるから、暴力批判は歴史哲学的な法研究によってなされるべきだと、ベンヤミンは言った。

 アンダーソン曰く、異なる主義や体制が戦争を起こすのではなく、戦争はすべて国家の利益に基づいて行われる。それを支えるものがナショナリズムである。聖戦はもともとイスラム教の概念だが、これは第二次大戦時、日本でも使われた。利益に順ずる言説を既成事実化すること――富国強兵、ドイツ、その他。

 第一次大戦の惨状におどろいたフロイトは「死の衝動」という概念を思いつく。著者はベンヤミンに注目する。

ベンヤミンは「国家」に暴力の根源を見ていたのだ。だから彼の思想を補うと、暴力=戦争の廃絶は国家の廃絶と重なってくる」。

 ヒトラーは、ユンガーの小説を「狂暴性のデカダンスから出てきたもの」ととらえた。ベンヤミン曰く、ナチは政治の審美化である。孤独な、挫折した芸術家志望のヒトラーは、軍隊に入ることで、戦争体験を通して、共同体の精神と昂揚のなぐさめを受けたのだった。

 

 2 軍隊国家の誕生―近代日本

 日本の場合、国体変革は民主主義的代議制度ではなく少数の官僚によって急激に行われた。代議制や憲法ができる以前に暴力の独占である常備軍が設立された。徴兵令を実施した日本には、一貫して国民に主権がなかった。それは「自由思想の欠如」につながるのだったとノーマンは言う。

 徴兵令の目的は反政府の士族と農民一揆を抑えることにあった。日本において軍隊は「からだ」を<規律・訓練>させる場所だったとフーコーは言う。自由と権利を持った主体は権力によって形成されるというのが彼の主張だ。

 山県有朋『軍人訓戒』は兵士への内面否定、思想抑圧である。フーコーの論とは逆に、日本では自由が否定された。日本は軍隊をモデルにつくられた国家だから、軍に越権を許すのも時間の問題だった。

 

 近代日本の指導者の脳裏には植民地主義の遂行によってのみ列強に御せられることが出来るという思い込みがあった。日露戦争の戦費をユダヤ人実業家が貸してくれたのは、ロシアにおいてユダヤ人のポグロム(虐待)がおきていたからだった。しかし、日露戦争によって、軍国主義ナショナリズムと、中国への蔑視が生まれた。このため、中国軍が着実に近代化を進めていることが国民にはわからなかった。

 最も残忍で惨めな奴隷が、もっとも有力な略奪者となる。

 

 ルワンダ内戦の場合。かつてフツ族ツチ族は対立していなかったが、ベルギー委任統治からゆがみが生じた。植民者は人種主義の観点から、顔立ちの整った少数のツチ族を官職につかせた。残り多数のフツ族は、ツチ族に従属することになった。

 一般に脱植民地化した国はもとの状態には戻れず、歪んだ社会になる。

 

 後半は人道的介入に関する検討が行われる。

 セルビアボスニアらの背後にはイスラム諸国、キリスト諸国があった。ユーゴ紛争は世界戦争であった。

 1999年、コソヴォにおける、セルビア人によるアルバニア系住民の殺害、民族浄化について。なぜ空爆したのは国連ではなく、アメリカによるNATOだったのか?

 フランスのグリュックスマン曰く、セルビア軍爆撃はもっと早急にやるべきだった。NATOを用いたのは緊急を要するためだ。その締めくくりの言葉「自由なプリシュティナコソヴォ州都)にヨーロッパは生まれる」、つまりバルカンがヨーロッパであり、ミロシェヴィッチのスラヴ思想がそれを抑圧してきたのだという意味だ。地政学的な言説である。

 ソンタグ曰く、戦争以外に浄化を止める手段はあったかだろうか。

 戦争というのは良識ある人間が必ず遭遇するジレンマである。ポーランドのジャーナリスト曰く、セルビアは敗北によってのみヨーロッパに受け入れられ、民主化され、EUに加盟することができる。だが、ユーゴスラヴィアを爆撃したのはEUではなくNATOだったのだ。

 NATOの爆撃に目的はなにか。ミロシェヴィッチ一人の始末に軍隊を投下させる意味は?

 かつてバルカンのセルビア王国はオスマン帝国により滅ぼされ、以来これが神話となり、ナショナリズムとなった。旧ユーゴではセルビア人は全土に散らばり、セルビア人対他民族の構図があちこちにできていた。ルサンチマンが大セルビア主義を生む。

 バルカンはヨーロッパであるという言説こそが戦争を起こしたと著者は言う。ヨーロッパの辺境であるバルカンの異変は、その中枢国にとってウィルスとなる、というグローバリズムがこの戦争の特徴であると彼は言う。経済共同体であるEUにとって、古い神話に基づいたセルビア民族主義は邪魔だったのだ。

 

 著者の主張は次のとおり。

 言説が戦争を生む。その言説を生むのはグローバリゼーションである(いまいちここは不明瞭)。資本の過剰が原因である。 

戦争論 (岩波新書)

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