うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『毒ガス開発の父ハーバー』宮田親平

 フリッツ・ハーバーは空中窒素固定法及び毒ガスの発明者として名高い。彼は日本とも親交があり、来日の際には大きな話題となった。

 ビスマルクによるドイツ統一後、ユダヤ人に課せられた制限が徐々に撤廃されていき、ユダヤ系の資本家、実業家が台頭した。

 フリッツ・ハーバーはユダヤ人の商人の家に生まれた。研究者として生活しようと努力するが、ユダヤ人であるためになかなか大学のポストを得られず、苦しい生活を続けた。

 優れた研究によってようやく認められると、空中窒素固定法を開発し、食糧問題の解決に貢献した。第1次世界大戦中、軍は毒ガス兵器の開発に乗り出し、これをハーバーが引き受けた。

 ハーバーは研究者としてのみならず組織経営者としても高い能力を持ち、自ら指揮をとって毒ガス兵器の開発から試験、運用までを担当した。彼は戦争を早く終わらせるために毒ガスが必須であるという信念を持っており、また、国際法ハーグ陸戦条約)にも抵触しないと考えていた。

 第3次イープル攻撃で使用されたイペリットガスは、現在でも毒ガス兵器の完成型とされる。ハーバーの創設した兵器研究はその後も発展し、チクロンシリーズやタブン、サリン、ソマンといったより強力なガスが生まれた。チクロンは当初、殺虫目的のために開発されたが、後にユダヤ人の処分に用いられた。サリンは、はるかに時代を下ってオウム真理教によって利用された。

 戦時中、ドイツのために兵器開発者として働いたハーバーは、戦後はドイツの科学技術を復興させるために奔走した。彼はカイザー・ヴィルヘルム研究所の援助金集めを行い、科学者たちを招き研究の促進、教育を行った。1919年に、彼はノーベル化学賞を受賞した。

 ハーバーは日本とのかかわりが深かった。その橋渡し役を果たしたのが星製薬創立者の星一(星新一の父)である。彼の招きによってハーバーは来日し、手厚いもてなしを受けた。また、ハーバーと日本政府は毒ガス開発について何らかの取り決めを行った。

 来日の翌年、ハーバーの弟子が来日し、陸軍に化学兵器開発のための専門センターがつくられた。

 ナチ党が台頭し、ヒトラーが総統になり、ユダヤ人の排斥が進められた。このため大量のユダヤ人科学者たちが国外に脱出した。ハーバーも国外追放と同等の仕打ちを受け、フランスやイギリスを転々とし、1936年に死亡した。

 彼は、平時は世界のために、有事は祖国のために働いた。著者は、彼のユダヤ人としてのコンプレックスが、ここまで献身的に国家に貢献することにつながったのではないか、と推測している。

 ――「科学者として私はこれまで、知性と個人の資質をベースとして共同研究者たちを選んできた。すなわち人種を条件とすることはなかった。あなたは65歳の人間が、過去39年に及ぶ高等教育の生活を支配してきた思考方法を変えるとは思わないだろう。あなたは、祖国ドイツに今日まで全生涯をささげてきたという自負が、この辞職願を書かせているのだということを理解するだろう」 

毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者 (朝日選書 834)

毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者 (朝日選書 834)