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うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『続・入沢康夫詩集』

 全体をとおして非現実の印象をうける。

 わが出雲……古い文体のことばと、島根県をおもわせる風景と、非現実的な印象がならべられる。ページの構成が、20世紀はじめの実験を連想させた。

 形式は部位によってばらばらで、出雲ということばでかろうじてひとつの作としてまとまっている。あとで出てくる作者の評論にあるように、いびつな形式にこそおもしろみがある。石碑や古文書はいびつな状態ででてくるが、それも一定の効果を生み出している。

 ――米子空港の滑走路は、ほおずきの幻でいっぱいだ。異国の男がずかずかと歩いている。あの男も天から来た。緑のひげを生やしたいかめしい男。

 この「米子空港」が、実在の空港とどのくらい関係があるのだろうか。ことばは、ならべた時点で別の効果をうみだすので、道路標識をつくるように正確さをこころがける必要はない。

  ***

 どの作も、偵察の基本、みたままきいたままをおもわせる文をならべている。

 

 ――肉色の闇のなかで 翼もなく

   くちばしもない鳥たちのなく声がする

   いつまでも いつまでも

   うたっている ぼくと

   ぼくの兄弟たち

 

 日本的な風景はでてこない、ほとんどは架空か、実在とあわない景色をつくっているようだと感じた。

 日や、鶴を題材にした散文詩は、これらの題目から増殖したことばのかたまりである。

 「第八のエスキス」は、座亜謙什という人物のたびをたどった制作物で、話の推移がある。

 

 ――(カッコ省略)あなた→私たちに追はれる、あるいは、あなた→私たち、を迎へる、私たち→あなた、の長旅のなかで、つひにとり戻すすべもなく失はれた、私たち→あなた、の真の役割。それは、千九百七十一枚の黄色い紙を綴り合はせた細い道のほとりに、私たち→あなた、が、思ひ思ひに→つくねんと、腰を下ろし、背負つてきた雑のうから突き出た弓の弦を締め直して……

 

 「牛の首のある六つの風景」等、牛の首となまえのついた文章には、猟奇的な単語がふくまれている。

 

 ――昨日の昼屠殺された牛どもの金色の首が、北東の空に陣取つて、小刻みに震へながら……

 

  ***

 「作品の廃墟へ」は幻想作品についてのメモで、最近の非現実的な本の特徴があげられている。

 幻想作品は「なぜあのようにしばしば、二流品の感覚をもたらすのだろうか」。それはわたしたちに「ほんとうらしさ」への志向があり、また、出てくる素材が古くさいからだと作者はいう。

 しかし、幻想にとってもっとも重要なのは超時間性である。幻想はわたしたちの日常時間をこえたところにある。これをことばであらわそうとすると、どうしてもものがたり、つまり、時間の推移が必要になる。

 

 ――叙述できないことを叙述しているという点に、そのうさんくささの源がある。
 時間をこえたものをことばであらわすために、たとえば「異常なものの、日常的生への闖入」や「話者の、日常的生から異空間への移行」が利用される。もしくは、「作品の常識的完結性を食い破る」、いびつな形式が用いられる。

 

 作者はさいごの具体例として、シュルレアリスムの詩や、グラック、ミショー、カフカの断片的作品や長編をあげている。 

続・入沢康夫詩集 (現代詩文庫)

続・入沢康夫詩集 (現代詩文庫)