うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『プルードン・セレクション』

 フランスの無政府主義者の著作を抜粋したもの。

 アナーキズムということでテロや暗殺のイメージが強かったが、本書によればプルードンは当時社会的にも認められており、貧乏だったが何度か代議士にもなったという。

 無政府主義の内容については、わかりやすい説明や本人の文章によって把握することができる。

 自分にとって印象にのこったのは、本論以外のつぶやきである。

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 『日曜励行論』……週休1日制が社会生活と生産活動の調和的進行に適していること、モーゼの戒律ではじめに定められた事項であることを論じる。モーゼの「汝、盗むなかれ」ということばから、プルードンは平等を支持し所有に反対した。

 『所有とは何か』……プルードンいわく所有は盗みである。

 所有の実体は不労所得であり、本来生産者、労働者に還元されるべきものである。生産による利得が、資本家が「所有」してしまうことで社会的な不平等がうまれる。これを本来の平等に返せというのがかれの主張である。

 かれは同時に共有制や共産主義にも反対する。愚昧や強制への逆行であり、「弱者による強者の搾取」である。

 ――個人の自立と連帯は相容れない。

 『ブランキへの手紙』……自由主義経済学者ブランキにあてたもので、自説をよりわかりやすく解説したもの。

 「労働の裏づけをもつ、譲渡可能で個人的な「保有」は認めた」が、所有、「競争、孤立的利害、独占、特権、資本蓄積、排他的教授」の性質をもつものには反対する。

 『人類における秩序の創造について』、『経済的諸矛盾の体系』……この2冊はプルードンに社会思想家としての地位をもたらした。

 かれは工場労働者よりも、多数を占める手工業者、職人、小商人に注目した。このような業種の人びとが経済的に自立するための、自発的な組織と協力の必要性をとなえた。かれらは国家や政治権力によっては救われないと考えた。

 プルードンは現実認識能力があり、ナポレオン3世のクーデタのときも、状況を悲観的にとらえた。

 ――プルードンは、抵抗の無益なことを説き、時期を待つようにすすめた。民衆は自己の利害にめざめておらず、ボナパルトはそれにつけこんで民心を掌握している……

 かれは普通選挙や人民投票に反対した。こうした方式は強大な権力をつくり、社会闘争を政治闘争におきかえてしまう。

 『革命と教会における正義』……最後の大作で、教会と革命のどちらが正義を具現しているかを考える本。

 『労働者階級の政治的能力』……労働者階級は既存の政治制度に入り込んではならず、自己を政治から切り離すことが重要である。それが差別と搾取を回避する方法である。

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 ――正義による決定がますます拡大するにつれて、力の権利と策略の権利は限定されてゆき、ついには平等のなかに消滅せざるをえなくなるのと同様に、意志の主権は理性の主権に譲歩し、ついには科学的な社会主義の中に消えうせてしまうであろう。……人間が平等のなかに正義を求めるのと同じように、社会はアナルシーのなかに秩序を求めるのである。

 ――自由は破壊できない。わたしはわたしの自由を売ることも破壊することもできない。

 他人の自由を奪うものは自分のそれも奪われるしかない。

 自由には2つあり、山の仙人を思わせる単純な自由、未開人の自由であり、もうひとつは、「同胞ともっとも緊密な関係を保っている人間」、「力と同じように結合によって成長してゆく」自由、労働する人間、「自然と交換関係にある人間」の自由である。

 自由は危険で全否定的にみえるが、同じくらい建設の力である。

 プルードンはルソーの社会契約論を否定する。社会契約とは本来、「人間と人間との協約」であり、双務的であり、個人的なものである。

 ルソーの主張は政府と国民の強制的なつながりを無視し、支配を正当化している。

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 「労働と思惟との矛盾は、人類においても、個人においても決して完全には解消されえない」。

 思考は常に先にあり、現実、つまり労働は不承不承に、おくれて前進する。

 政府、国家権力は本来不要のものであるとプルードンは考え、このため共産主義にも反対した。

 宗教は、「生まれたばかりの社会が普遍的秩序にかんする自己の意見を表明する、本能的で象徴的で簡略な表現」である。

 神の性質は人間の理想であるだけでなく、それ以上のものをもつ傾向がある。人間は神になることができない。よって、人類が神になる、完全な存在になるということはない。

 神を捨てて、「自発的に、終末のなかに、地獄のなかに、死の影のなかに自己をおく」ことで、良心も正義も自由も確実な根拠を失うが、自己の持ち物となる。

 教会と政府と神の起源はおなじである。

 ――われわれはなぜ政府を信じるのか。人類社会において、権威、権力のこの観念、国家とよばれる優越した一人格というこの擬制は、どこからきたのか。

 プルードンによれば、宗教と政府は自然発生した人類の表現である。宗教や神は人類自身であり、政府も皇帝も自分自身である。この2つは、人間が邪悪で不平等で戦闘を好み、生まれついての貧乏者であることを前提になりたつ。

 政府と宗教は服従、あきらめを必然とみなす。

 すべての目的は秩序の維持である。わたしはいまでもこの判断をまちがっていないとおもうが、プルードンはそうおもわなかった。

 ルソーやその他特定の思想家たちは、政府を家族、一族から連想する、という見方にとらわれている。

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 後半は具体的な無政府社会の建設方法、提案に割かれている。歴史をみると結局うまくいかなかったようだが、プルードンが実在の制度をどう考えていたかについては、納得のいく説明が多い。

プルードン・セレクション (平凡社ライブラリー)

プルードン・セレクション (平凡社ライブラリー)