うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『闇の子午線パウル・ツェラン』生野幸吉

 パウルツェランの詩についての評論だが、読むまでツェランの詩集だとおもっていた。この作者の詩は1つ1つ強く印象に残るが、著者の難しい解説は理解しきれなかった。

 この作者はドイツ生まれで、強制収容所に入れられ、戦後、創作活動を行ったという。ホロコーストの様子を連想させる作もあれば、おどろおどろしいつぶやきのようで細かい意味がわからない作もある。

 ツェランのカタコト言葉をおもしろいとおもうが、その解説は複雑である。
 ツェランの詩は、造語、不自然なドイツ語でできているらしいが、これは原文を読まないと理解できないだろう。

  ***

 ――長靴いっぱいの脳
   雨のなかへ立たされ――
   歩みがあるだろう、大きな歩み
   彼らがわたしたちに引く
   境界をつぎつぎに遠く越えてゆく。

 ――彼らはぼくたちの生きている材を切り、黒い笛をつくった。
   ここに泣く眼はあるか?
   ひとつもない。

 ――きみのまなこに接木されたのだ、
   森たちの道しるべだった小枝は。
   まなざしと姉妹となって絡み合い、
   小枝は、くろぐろと、
   つぼみを出した。
   この春、まぶたは空の広さに張る、

   ……

 ――死はすべての五月の芽に目覚め、
   子供は、星の蝕のなかにある
   一個の石に口づける。

 ――白のざわめき、
   束ねられて
   光の進み
   投信の壜をたずさえ
   机をわたる。

   ……

 ――あらゆる
   影の封緘、あらゆる
   影のつなぎめに、
   きこえ――きこえない、
   今あらわれてくる影の封緘。

 ――半ばの死が
   私たちのいのちをたっぷりと吸い
   大きな灰の像さながらに周りに横たわっていた

   ……

   ひとつの塔、
   なかばの不在が、行く先なく築かれた
   錬金術師の否(ナイン)だけからできた

   ひとつのフラチーンが

 

  ***

 有名な、死のフーガの大部分はメモに書き写しておく。

 ――夜あけの黒いミルクぼくらはそれを夕方に飲む
   ぼくらはそれを昼に飲む朝ごとに飲むぼくらはそれを夜ごとに飲む
   ぼくらは飲みまた飲む
   ぼくらはそよかぜのなかに墓を掘るそこでなら寝るのにせまくはない
   家に住む男がいて蛇とたわむれる彼は書く
   暗くなると彼は書くドイツに向けてきみの金いろの髪マルガレーテ
   彼は書く家から出るとそこには星がきらめく彼は猟犬を口笛でよぶ
   彼はじぶんのユダヤびとらを口笛で呼び大地に墓を掘らせる
   彼はぼくらに命令するさあダンスの音楽をやれ

   ……

   きみの灰の髪ズラミートぼくらはそよかぜのなかに墓を掘るそこでなら寝るのにせまくはない

   ……

   彼は腰ベルトの鉄に手をやる彼はそれを振る彼の両眼は青い

   ……

   彼は呼ぶもっと甘味に死をかなでろ死はドイツから来た名手
   彼は叫ぶもっとヴァイオリンを暗く弾けそうすればきさまらは煙となって空に昇る
   そうすればきさまらは雲のなかに墓がもらえるそこでは寝てもせまくはない

  ***

 引用されている、ネリー・ザックスの詩にくらべて、ツェランのものは、より支離滅裂で、精神が空中分解しているような印象、また、子供がつぶやいているような印象をうける。

 ――おまえの傷のなかに回復せよ、
   せきこんだ声と休符に包まれ。
   円いもの、小さく、固いもの――
   まなざしの(がん)からそれはころげて
   くる、ちかぢかと、
   どんな布にもうけとめられずに

 テネブレという詩の一部……「祈れ、主よ、わたしたちに向かって祈れ、わたしたちは近くにいる」、「血があった、あなたがそそいだものが、あったのだ、主よ」、「それはかがやいた」、「眼は、口は、それほどうつろに開いていたのだ、主よ。わたしたちは飲んだのだ、主よ。血を、そして血のなかにあった像を、主よ」。

 ――ふたたびわたしたちを土と粘土から捏ねあげるものはいない、
   わたしたちの塵に呪を唱えるものはいない。
   だれも。
   讃えられてあれ、だれでもないものよ。
   あなたのためにわたしたちは
   花咲こうとおもったのだ。
   あなたに
   むかって。

 単語は、ほとんど義務教育レベルのものの組み合わせに感じるがそれらの組み合わせが新鮮である。

 ――かれらのなかに大地があった、そこで

   かれらは掘った。
   かれらは掘りに掘った、こうして
   かれらの日は過ぎた、かれらの夜は。そしてかれらは神を讃えなかった、

   ……

   おおひとりのひと、おおだれもない、おお非在のもの、おお、おんみ――

 ――きみたち、わたくしとともに片
   輪になりゆくことば、きみたち
   わたくしの真っ直ぐなことばたち。

 ――わたしは編む、編みちらす。

 ――きみはいる
   きみの眼のあるところ、きみは
   上にいる、きみは下に
   いる、わたしは
   外を目ざす

 ――幸福の、くろぐろした池――きみらはポプラを死にいたるまで反映する!
   ぼくはきみが、いもうとよ、このかがやきのなかに立つのを見た。

 ――大きなひと。灰いろにおぼろな人。足跡も
   うしなった。
   王
   さながらのひと。

  ***

 「フーエディブルー」という詩は、ことばの造語にこだわったものらしいが、翻訳だけではわからない。

 ――いつ、いつのいつだ、
   ものぐるいのいつ、そうとも、きちげえ妄想、
   兄弟、目玉つぶされちまった、
   消されちまった、おめえ、()むのか、
   こいつを、ここで、この
   ばら、
   ばらを――いつ

   ……
   鈴
   きみが口に含んだ
   白い小石といっしょに。
   わたしの喉にも
   千年を経た色の
   石が、心臓の石がつまっている、
   わたしもまた
   くちびるに
   緑青をそえる。

 ――未来の北の流れに
   わたしは投網を投げる、それをあなたは
   ためらいながら重くしてゆく
   石で書かれた
   影によって。

 ――糸の太陽たち
   区黒の荒蕪地のうえ。
   ひとつの木の
   高さの思念が
   光の音色をさぐり奏でる、――まだ
   歌うべき歌がある、人間たちの
   かなたに

  ***

 「精液にくまどられたきみよ」ということばがあたまにのこった。

 ――格子の桟の間の眼の円球
   せん毛虫である瞼が漕ぐようにして上にむかってあがり
   まなざしを解き放つ。

 『息の転回』という詩集では、さらに支離滅裂なことばのかたまりになっていく。

 ――数字、形象の宿命と
   盟約して
   さらに反宿命
   とむすんで。
   そこへかぶされている
   頭蓋骨、その
   眠りをしらぬこめかみに、鬼
   火のようにハンマーが
   そうしたすべてを世界拍子で
   うたう。

 ――まったくきみと同じようだ、息子よ、
   わたしの、きみとともに矢となってとぶ、
   手は。

 ――破風――
   屋根の穴が
   ぼくらを埋める、光の糞で。
   たぶん、
   ぼくはそのそれぞれだった。

 ――無によって徹底され、
   あらゆる祈りを
   離れ、
   追いこしえない
   先立つ書に
   しなやかに従いながら……

闇の子午線 パウル・ツェラン

闇の子午線 パウル・ツェラン