うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『現代イスラエルの預言』アモス・オズ

 作者はイスラエル人の作家で、シオニストハト派として政治活動をおこなった。この本では、シオニズムの成り立ちが紹介され、また、イスラエルアラブ紛争についての見方が示される。

 作者は平和運動を進めるが、自分の立場があくまでイスラエル側であることを強調している。イスラエルの国家建設は、パレスチナ人の独立と同等に正しい主張であり、いざ国家がほろびようとするときはたたかう、とかれはいう。

 イスラエルアラブ紛争は、正義と正義の争いである。しかし、妥協することで平和を得ることも不可能ではない。

 正義より高位にあるものは、生命、生きのびることである。お互いが妥協して、生存していくことが必要である。この対立が、宗教や民族ではなく、土地をめぐる争いになるなら、これは不動産の争いであり、よって解決可能なものになる。

 イスラエル建設を考案した初期のシオニストたちのなかには、社会主義者も多くふくまれていた。建国後、社会主義シオニズムは力を失い、強硬な愛国主義が主流となった。しかし、はじめのシオニストたちのことばはまだ意味をもっている。

 

 ――かれらはまた、社会が創意工夫にあふれ躍動的でいられるのは、個々の人間が自分は取るに足らない存在だと思わないばあいだけだ、と主張し、福祉国家であるだけでは十分ではないとも論じたが、いずれも正しかった。

 

 ほか、ヨーロッパ、東欧からやってきたイスラエル人たちの心性、作家や歴史家の役割について書いている。

 

 ――わたしが常々信じているのは、楽観論者は非常に不幸な人たちにならざるをえないのに対して、悲観論者は幸せではないにしても、少なくとも満ち足りた気持ちにはなれる、ということです。……わたしは死というものを体験的に知っています……ですから、毎朝やっているように、砂漠に出て行って光と石をながめると、何者かに「ありがとう」と言わずにはいられないような……

 

 ――これだけは言えます、私が何ひとつ当然だとはおもっていないということです。

 

 ナボコフは、チェーホフについて次のように書いた。チェーホフの登場人物は、遠い国の貧しくてひもじい人には同情的だが、身のまわりの人には、冷たい反応しか見せない。

「この手の人間はいつもそこらじゅうでつまづいているが、たえず星ばかり見ているからだ」

 

 狂信に対抗するために狂信をもってすることに、わたしたちは警戒しなければならない。

 

 ――だがわたしには、この人たちがモルモットの苦しみをなくすためなら、結局は平気で人質をも射殺しかねないようにおもえたのです。

 

 ――ほんとうに道徳が試されるのは、さまざまな色合いをもつ灰色を識別するときです。悪に等級をつけ、見取り図をつくることです。悪いものと、より悪いものと、もっとも悪いものを区別するときです。

 

 ――……だが妥協が死ぬよりつらいとおもうのは狂信者だけだ。だから硬直した狂信思想にはつねに、いたるところで、死の匂いがつきまとっている。それに対して、妥協は本質的に生そのものである。……「汝、生を選ぶべし」。

 

 作者は、言葉遣い、言葉の選び方に注意深くなるよう警告する。言葉は楽器のなかでもっとも危険なものである、とかれはいう。 

現代イスラエルの預言

現代イスラエルの預言