うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『瀕死のリヴァイアサン』山内昌之

 ――なんぢその力をもて海をわかち水のなかなる龍の首をくだき/リヴァイアサンのかうべをうちくだき野にすめる民にあたえて食となしたまえり

 

 本書はソ連における民族問題、とくに多数のムスリムを抱える中央アジア政策について研究したものである。書かれたのはソ連崩壊前だが、ここで挙げられたムスリム政策、民族紛争の問題は現在に至るまで尾を引いており中央アジアの紛争を理解する上で参考になる。

 内容はソ連における中央アジアの位置づけ、民族問題と宗教問題の起源、ソ連の政策によって害を被った民族、将来のムスリム問題の重要性、外交問題とのかかわり等。

 100以上の民族が住むソ連では民族問題は解決しなかった。このことはゴルバチョフの推進するペレストロイカによって明らかになり、「複雑な民族対立が一挙に噴き出した」。

 ソ連の民族問題を著者は次の4種に分類する。

 

1 ロシア人対ムスリム民族

2 ロシア人対領土を持たないムスリム民族

3 ムスリムムスリム

4 ロシア人以外の非ムスリム民族対ムスリム民族

 

 これらは主に中央アジアの暴力、流血を伴う対立の図である。ほかにはバルト三国の独立運動や、ロシアナショナリズムも、民族運動の一種と考えられる。

 民族紛争の要因には中央官僚対民族官僚、パラレリズム(多民族への憎悪と中央敵対視の並行現象)、エスノクラシー(民族による国家領域確立)、経済格差、若者のストレス等がある。

 イランイスラム革命ソ連を動揺させた。ソ連は、このような宗教革命が中央アジアにいるムスリムに影響を及ぼすのを恐れたが、一方で反米、反資本主義陣営を積極支援しなければならなかった。

 ロシア帝国の時代から中央アジアの民族、部族は帝国主義的政策に抵抗してきた。これはソ連になっても続けられ、かれらが従順になることはなかった。

 ――新しいソビエトの党と行政機構は、上から、しかも外部から持ち込まれたものである。……ムスリムの住民は、自分たちが慣れ親しんだ流儀を少しも変えようとしなかったので、ソビエトムスリムの中に入っていこうとすると自らを伝統にあわせるほかなかった。……服従の実体はエスニシティ、親族、慣習、生活信条に基盤を置いていた。内容は以前と変わらずに、器のあつらえだけに手を加えたにすぎない。

 ソ連の外交方針、立場は複雑である。ロシア帝国の後継であること、社会主義の総本山であること、世界有数のムスリムを抱える国家であることを念頭に置いて、その動向を検討しなければならない。

 ソ連においては社会主義イスラムという本来矛盾するイデオロギーが併存していた。

 諸民族の対立……アルメニアアゼルバイジャン(トルコ人)の対立は古い歴史にまでさかのぼる。ほか、スターリン時代に行われた強制移住が原因となる対立が存在する(クリミア・タタール人、メスヘティア・トルコ人等)。

 ロシア人が少子化傾向にあるのとは対照的に、ムスリム人口は89年当時でも増加傾向にあった。かれらは自分たちの生活を守り、ソ連に対して従順ではない。今後、ムスリムの取扱はソ連の重要課題になるだろう。

  ***

 ソ連崩壊後も問題は残り、チェチェン紛争グルジア戦争を引き起こした。この本を読むと、民族紛争は冷戦後に現れたのではなく一貫して存在していたということがわかる。

 しかし、解決策はどこかにあるはずである。

 ――……宗教や言語、それに文化の違いがあっても、おおむね歴史を通して、ある民族と隣人が互いに平和裡に過ごしてきたことである。

 対立から紛争に至る原因として著者は指導者の個性、リーダーシップ、政策の失敗をあげる。