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『憲法と平和を問いなおす』長谷部恭男

 立憲主義とは何かを考える本。立憲主義の成立には、戦争と平和が深くかかわっている。

 立憲主義は、「憲法典への服従」ではない。

 ヘンキン教授は立憲主義の定義を次の2項目とする。

 

人民主権とそれに基づく代表民主制

権力分立及び抑制・均衡、個人の人権の尊重を通じた国家権力の制限

 

 この2つは矛盾することがある。また、なぜ過去の人びとの決定(憲法)に、現在の人びとが拘束されなければならないのかという問題もある。

 本書はこのような問題について考える。

 

 1 なぜ民主主義か

 民主主義は多数決の原理によって構成されるが、この2つは全く同質ではない。多数決も、民主主義も、手続きとしての公平を実現するものであり、その選択が必ず正解になることを保証しない。

 民主主義は必ず正しい方向に行く、または、個人の政治参加そのものに意義がある、という考え方もあるが、著者は否定する。

 民主主義の役割とは、「人びとの意見の対立する問題について、社会全体としての統一した結論を下す」というものである。

 しかし、民主主義が全ての決定を下せるわけではない。無作為にだれか1人をつかまえて解剖し、臓器を複数の病人に分け与えるというやり方は、多数決で正当化されるには問題がある。また、民主主義は深刻な対立を収束させることに失敗してきた。アメリカは南北戦争を起こし、ワイマール共和国は民主主義そのものの崩壊を引き起こした。

 民主主義が活用できる領域には限界がある。そして、民主主義を制限する役割をもつものの1つが立憲主義である。

 

 2 なぜ立憲主義

 立憲主義は、宗教対立で分裂していた西洋で生まれた考え方である。

 グロティウス、ホッブズらは、「すべての人が生まれながらにして自己保存への権利、つまり自然権を持つという考え方をベースに、異なる価値観の共存しうる社会の枠組みを構築しようとした」。これが立憲主義の起源である。

 人間は異なる価値観のもの同士で争い、殺し合いを行う生物である。こうした事態を防ぐために、人間の自己決定や価値観を守らなければならないとする概念が自然権である。

 自然権はその文字に反して人為的な概念であることを認識しなければならない。

 立憲主義自然権保全するため、私的領域(信教、思想、言論)や財産に国家権力が踏み込むことを規制する。

 合衆国では、同性愛を罰する法律が違憲と診断された。

 ――立憲主義から見たときの本当の問題は、人生はいかに生きるべきか、何がそれぞれの人生に意味を与える価値なのかを自ら判断する能力を特定の人間に対して否定することが、許されるか否かである。そうした能力を特定の人びとについてのみ否定することは、彼らを社会生活を共に送る、同等の存在としてみなさないと宣言していることになる。

 愛国心教育について。

 ――……中央教育審議会が真に目指しているのが、社会公共の利益の実現に力を合わせようとする心なのだとすれば、それを育てるのは、たとえば、身近な環境問題や差別問題がどうすれば解決できるかを、理性的に分析する指導であろう。

 マスメディアは、国民の知る権利を保障するためにその自由を許容されている。しかし、政治家の私的領域に踏み込む等の報道は、やがて国民の私的領域をも特定の意向に従わせることになりかねない。

 報道の持つ影響力を考慮し、地上波放送では特定の政治勢力に肩入れすることが禁止されている。今後、衛星多チャンネル放送が主流となれば、新聞媒体のように規制も変わってくるかもしれない。

 日本国憲法において、人権の尊重には例外がある。様々な自由を制限されている天皇家と、外国人である。一義的には各国籍の人権の尊重はその国が担うべきだが、あくまで役割分担であり、例えば難民などを保護し人権を尊重することも間違いとはいえない。

 自然権と同様、国境も人為的なフィクションである。国同士が国境を定めようとし意見が一致しなければ、戦争が始まる。

 ――……そもそも、自国以外の領域における平和の維持に、自国の利益と無関係に熱心な国家が存在するとは、あまり期待しないほうがよいであろう。国民の生命や財産の保障は、その国が責任を持つというのが、現在の国際社会のあり方である。

 

 著者は人道的介入にも、外国人の権利保障にも懐疑的である。人権侵害は常に起こっており、わたしたち日本人の資源には限りがある。人道的介入には必ず政治的思惑が存在する。イラク戦争は恣意的な介入と体制転覆の典型である。

 

 3 平和主義は可能か

 社会契約論によれば、国家は万人の万人に対する闘争を停止させ、各人の生存を保障するためにつくられた。ところが、国家間の戦争は、個人レベルの闘争をはるかに超える大規模な殺戮を引き起こしてしまう。

 このような国家間関係の問題を、平和主義はどう解決するのか。

 国内の政治過程が非合理決定を行う危険、また各国家の軍拡競争がもたらす危険を考えると、「各国が、憲法によりそのときどきの政治的多数派によっては容易に動かしえない政策決定の枠を設定し、そのことを対外的にも表明することが、合理的な対処の方法といえる」。

 憲法の合理的自己拘束の役割はこうしたものである。

 ――リベラルな立憲主義にもとづく国家は、市民に生きる意味を与えない。それは、「善き徳にかなう生」がいかなるものかを教えない。われわれ1人ひとりが、自分の生の意味を自ら見出すものと想定されている。そうである以上、この種の国家が外敵と戦って死ぬよう、市民を強制することは困難であろう。以上の議論が正しいとすれば、立憲主義国家にとって最大限可能な軍備の整備は、せいぜい傭兵と志願兵に頼ることになる。

 徴兵制否定のマイナス面は、選挙民の軍事政策に対する判断が軽くなることにある。また、職業軍人は国民一般と乖離した独自の利害を念頭に置いて行動する可能性が出てくる。

 憲法9条は個別的自衛権の範囲で武装を認めてきたが、集団的自衛権については政府解釈で否定してきた。これは国境と同じく伝統となっており、合理的理由があるわけではない。合理的理由がなくとも、伝統を守ることには合理的理由がある。

 同様に、非武装中立も「善き生き方」を国民に強要するものであり、現実主義的な立憲主義と両立しない。

 憲法は原理であって準則ではない。9条を原理として必要な武装をすることはこれまでの解釈で認められてきた。憲法改正をする際は、それが他国に与える影響や政治的意味について検討する必要がある。

 

  ***

 本書のまとめ

 立憲主義は、民主主義が処理できない問題に対して制限をかける考え方である。憲法が定めるのはすべて人為的な線と枠組みである。

 人権、国境、軍備等、あらゆる概念は直観的に「当然」と感じられるようなものではない。

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

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