うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『アラブが見た十字軍』アミン・マアルーフ

 十字軍にかかわる記述は、ヨーロッパ側とアラブ側ではまったく一致するところがないという。

 当時、高度な文明をもっていたアラブは、十字軍をフランジ(フランク)、侵略者、蛮人と呼んだ。この本はアラブ側から見た十字軍戦争を描くこと。

 一般向けの通史なので、読みやすいとのこと。

 

 物語は、エルサレム侵略から助力をもとめてバグダードへやってきた難民と、ダマスカス大法官アル=ハラウィの演説からはじまる。

「人間が手にする最悪の武器は、剣が戦をあおっている時に、涙を流すことなのである」

 フランクによる聖都奪還はイスラム暦四九二年、西暦一〇九九年のこと。ムスリムはほとんど全滅し、シナゴーグに立てこもったユダヤ人も焼き殺された。イスラムと西洋の千年に及ぶ対立の発端は、このエルサレムの掠奪だった。

 一〇九六年、若きトルコのスルタン、クルジュ・アルスラン王は、フランクが大挙してコンスタンティノープルに押し寄せるのを目撃した。先ごろ征服したニケーアのギリシャ人は、みずからローマ人の後継を自称し、またトルコからは「ルーム(ローマ人)」と呼ばれる。

 当時のビザンツ皇帝はアレクシオスで、優れた人物だった。だが国軍は弱く、フランクやトルコの傭兵に頼っていた。このトルコ人傭兵を通して、クルジュ・アルスランはフランクの軍勢を知ったのだった。

 クルジュ・アルスランはクセリゴルドン要塞においてフランク軍を投降させた。フランクを壊滅させたスルタンは、翌年、再びフランクがやってくると聞いても、耳を貸さなかった。セルジューク・トルコは内紛が絶えず、関心はそちらにあったからだ。

 次にやってきたフランクは野盗の群れではなく重装備の騎士たちだった。クルジュ・アルスランはニケーアをあきらめ、せめてフランクではなくビザンツに降伏するよう守備隊に告げる。こうして青と金の旗がニケーアにはためき、アルスランの王妃は一命を取り留め、コンスタンチノープルで歓迎された。

 フランクの重装備甲冑は、トルコ軍の弓矢戦術を無力化した。アルスランは逃亡し、姿を消した。

 半気狂いの二人の王リドワーンとドゥカーク兄弟は、フランク侵攻の危機などにまったく関知していなかった。ドゥカークは小心者、リドワーンは暗殺教団を用いる不吉な人間だった。フランク人は、慣れない地震に恐怖した。

 同盟国アレッポの軍を破ったフランクは、包囲したアンティオキアに向かって生首を投げ入れる。トルコでは忠実な奴隷「マムルーク」が権力を持っていた。

 鎧師フィールーズの手引きによりフランク人はアンティオキアを陥落させた。領主ヤギ・シヤーンは逃亡し力尽きたが、息子のシャムスは山の砦にたてこもり、フランクを悩ませた。そのときカルブーカの軍隊がようやくやってきた。しかし、兵隊は皆カルブーカに反感を抱いていた。これはドゥカークによる陰謀だった。

 こうしてアンティオキアに篭城したフランクを倒すはずだったカルブーカのムスリム軍は、まったく戦うことなく潰走した。こうしてフランクを撃退できるシリアの勢力はいなくなってしまった。

 

 エルサレム攻防戦においては、フランクのやぐらを焼き払うため、ギリシアの火が重宝された。この本を読むと、ビザンツつまり東ローマ帝国は、末期には親アラブ勢力であったことがわかる。アラブは内紛に明け暮れていたため、フランクの脅威に気がつかなかった。

 気力を失っていたアラブ世界は、フランクの格好の餌食となる。しかし、征服された町や難民の間には「聖戦(ジハード)」への熱意が高まっていた。

 暗殺教団はシーア派復権のために生まれた。彼らは反スンナ派としてフランクと手を結んだ。ザンギーと、後の英雄サラディンの父アイユーブの出会い。

 

 ヌールッディーンによるアラブ復活と、それを受け継いだエジプトの支配者サラディンが登場する。サラセン人というのは彼らのことを言う。軍師シールクーフは天才と呼ばれた。勢いづいたサラディンでさえも、暗殺教団を押さえ込むことはできなかった。

 サラディンは流血なしでエルサレムを解放した。サラディン獅子心王リチャードは、互いに戦うことなく撤退した。サラディンは老衰で死に、弟のアル=カーミルが実権をにぎった。

 次にやってきたのは、キリストよりイスラムに理解のあるドイツ皇帝フリードリヒ二世だった。また東方ではモンゴル帝国の脅威が高まりつつあった。西はフランク、東はモンゴルと、アラブ世界は窮地に立たされる。

 フランス王ルイは、マムルークたちに捕らえられ、そのマムルークサラディンからはじまるアイユーブ朝を滅ぼし、マムルーク朝を立てた。ルイは釈放され、十字軍は撤退した。

 フランクは脅威ではなくなり、モンゴルが新たな侵略者として台頭した。

 モンゴル軍は攻撃する都市に、降伏を迫った。少しでも抵抗すれば彼らを皆殺しにした。という有名な話は、本書によれば事実かどうかわからないらしい。攻撃対象の都市に対し残虐性を宣伝することで士気の低下を狙ったともいう。

 アッバース朝は滅び、ダマスカスも陥落した。

 サラディンの死から百年後、ようやくマムルーク朝によって、フランクはアラブ全域から追放された。だが、彼らは西から学ぶことをしなかった。

 現在、アラブは負けているのだと著者は述べる。

アラブが見た十字軍 (ちくま学芸文庫)

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