スターリンの大粛清を題材にしたフィクション。ジョージ・オーウェルが言及していた。話としてもおもしろいが、ソ連亡命者の体験を参考にしており現実味がある。
「第一人者」スターリンの治下、革命戦争の英雄ルバショフは逮捕される。彼は政治上の意見の相違から刑務所に監禁され、拷問をまつ身となった。彼より若い世代は、完全にスターリンに心酔しており、ルバショフに銃をつきつける。
ソヴェト成立を経て、党は弾圧される側から弾圧する側にまわった。
囚人同士は壁をたたく暗号法でやりとりをする。狭い個室にいると相手の言葉によって相手の顔の想像は二転三転する。彼の隣には党員よりさらに古い敵、皇帝の支持者が収監されていた。
共産党、東西ドイツのスパイに関わらず、人間は巨大な機械によって翻弄されている。反乱分子としてつかまるまえの、ルバショフ自身のことば……
――党が誤謬を犯すということは絶対にない。君やわしは誤謬を犯すこともあろう。しかし党は違う。同志よ、党は、君やわし、また君やわしと同じような多数の者など以上のものなんだ。党は歴史における革命観念の具象なのだ。歴史は躊躇逡巡を知らない……歴史は自らの道を知り、誤ることはない。
なぜ共産党が苛酷な弾圧を行うのか、それは中間派との妥協を認めないからである。
「党の行くべき路は、山中の細い小径のように、はっきりときまっている。右にしろ左にしろ、一歩誤れば、絶壁から転落するのだ」。
彼はこれまで、幾度も各国に派遣され、党員を抹殺してきた。党が政策を捻じ曲げたとしても、それは間違いではない。これに納得のいかない党員は死ぬしかない。革命家の美徳とは自己欺瞞である。
旧友イヴァノフは、なんとかルバショフの命を救おうとする態度を見せる。隣室の男、リップ・ヴァン・ヴィンクル……二十年収監されてようやく出てくると、かつての指導者がすでに反動派として消されていた。あるとき、革命時代からのルバショフの親友、海軍軍人のボグロフが銃殺される。彼は連行されるときにルバショフの名を叫んでしまった。
――彼らはボグロフに対して、どんなことを仕掛けたのだろうか? 頑強な海軍軍人だった、あの男の喉から、子供のような啜り泣き声を出させるなんて、彼らはいったいどんなことをやったのだろうか?
党のなかでは死は論理的結論にすぎない。肉体活動を停止させること、それだけだった。「肉体的清算」「物理的清算」ということばがよく使われる。党は人間を合理的に操作する。
「いま、胃をひっくり返すような吐き気を催し、額に冷や汗をかきながら、彼の過去の考え方が、いかにもばかげたものに思われた」。
ボグロフは潜水艦建造計画の意見の相違から処刑された。民主政においては、意見の対立は論争を招き、政策は滞る。党は意見の相違を直接排除するので、第一人者の意向はスムーズに通る。
「自己の良心との妥協は、いかなるものであっても、それは不義である」。
機械人間こそ人間の最後の姿だとイヴァノフらは述べる。ルバショフは陰惨な場面に直面して、この論理の『文法的虚構』を悟っていた。
「毎年、数百万の人びとが、伝染病や、その他天災地変によって意味もなく死んでいる。それなのに、われわれは歴史上最も前途有望な実験のために、僅か数十万人を犠牲にすることを、遠慮しなければならないのだろうか?」
彼を尋問したグラトキンは、成年になってから文字を習った労働階級であり、ルバショフ曰く「ネアンデルタール人」である。彼らは文字のない世界に長年生きていたため、反動的な思想をもつことと、それにしたがって行動することを同一視する。
ネアンデルタール人は武器をもっていたが、文明度は低かった。技術をもたないが成熟していた類人猿は、彼らにほろぼされた。技術が発達しても人間がそこに追いつくには時間がかかる。その経過では個人は犠牲にならざるをえない、これが党の論理だった。
探偵小説からひっぱってきたような陰謀をルバショフや若者になすりつけ、拷問で自白させる。ルバショフの受けた拷問は、一時間おきに尋問をおこない、眠らせないというものだ。
全体主義への反対のことばが唱えられる。
- 作者: アーサーケストラー,Arthur Koestler,中島賢二
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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