うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『英国史』アンドレ・モロワ その2

 第三篇 封建制度の盛衰

 

 フランスの法制はナポレオンの代からはじまるがイギリスでは十三世紀末のエドワード一世の整備からはじまる。イギリスにやってきたロンバルディア人は銀行業を営んでそれが今のロンバード街となった。

 また彼の代から議会が発足する。階級を召集して会議をひらくのがヨーロッパ文明の特徴だがイギリス議会はフランスの三族会議とは質が異なる。

 騎士と都邑の公民が結合し「下院」の階級がうまれた。諸階級が混交していくのが英国の特色である。

「イギリスでは、貴族は、家柄よりもむしろ勲功によってかち得られた」。

 ウェールズ人が長弓で追い払ったのがエドワード一世の軍である。

 ――一三〇一年、王(エドワードⅠ)は、その子エドワードがウェールズで生まれ、ウェールズ人の乳母に育てられたところから、これにプリンス・オブ・ウェールズの称号を授けた。この称号はその後イギリス皇太子の称号となった。

 しかしローマ帝国と同じく、スコットランドを征服することはできなかった。厳しい環境、不毛な土地、強健な兵士の国がスコットランドである。民衆が旗を持ってイギリスに抵抗した。

 エドワード三世ひきいるイギリスと、農工業の協力関係にあるフランドルが利害の一致によりフランスに敵対した。フランスはスコットランドを同盟にひきいれた。これが百年戦争である。

 ――百年戦争は、王朝間の戦争であり、封建的戦争であり、国民的戦争であり、また特に『帝国主義的』戦争でもあった。

 イギリス軍はフランスから分捕品を持ち帰り、よって本土はうるおった。「イギリスは制海権を必要とし、それが無ければ、イギリスは商業を続けることも、軍隊を大陸に送ることも、既に送った軍隊と連絡を保つこともできない」、「イギリスは、比較的少数の軍隊しか大陸に送り得ないので、つとめて大陸において同盟を結び、敵に対抗し、同盟者には援助金を供給する」。フランスが英制海権をやぶるためスペインと同盟を組むと、英国の旗色は悪くなる。

 戦争とペストは封建制度を衰退させ、資本家、小作人と羊飼いの勢力が力をもつようになった。教会は腐敗し、ウィクリフ派の異端があらわれたがやがて迫害される。百年戦争のあいだ、本土ではワット・タイラーらの農民一揆がおこる。一時はロンドンも陥落するかの勢いだったが美少年王リチャード二世により弾圧される。それでも農民の独立精神は消えず、やがて農奴制が廃止されるに至る。

 次のヘンリ四世からランカスター朝がはじまるが、これはほとんど実権をもたなかった、「王の微力、王の不在、王の遠慮などに乗じて、議会は以後長期にわたって情勢の支配者となった」。

 ジャンヌ・ダルクがイギリスを追い出したことで「ルーアン人も、オルレアン人も、ブールジュ人も、ボルドー人も」フランス人として団結した。英仏の民衆のあいだにはこれより長く憎悪が横たわることになった。

 エドワード五世没後の後継争い……「かくてランカスター家の紋章の赤ばらとヨーク家の紋章の白ばらとを囲って、喧嘩好きな領主たちがむらがることになるが、その政治的目的といえば自党の勝利によってふところを肥やす以外にはないのだ」。これがばら戦争である。

 このときのヘンリ六世は乱世にはあわない君主だった。彼は学問を好み、イートン校をたて、ケンブリッジに礼拝堂をたてた。

「貴族も商人も一人残らず富裕になった時代に、王一人だけが借財に苦しんでいた」。

 やがて彼は発狂した。

 暴君リチャード三世をヘンリ七世(ヘンリ・チューダー)が倒し、ばら戦争はおわった。百年戦争が英国本土にほとんど被害を与えなかったことで、国民は島国根性を醸成させた。あらゆる階級は豪奢と自由の生活をいとなんだ。「イギリスでは、各人が自分自身の兵士であり、自分自身の警官」である。フランスの専制君主制にたいして「制限君主制の思想は、イギリス人の精神の中にしっかりと根をおろしたのである」。

 ――イギリス人は、もし自分が貧乏で、富を持っている他人を見てその富を力ずくでとることができると考える場合には、全くの正直者でない限り、必ずそれを実行する。

 だからこそ議会や騎士道精神によって抑制する必要があったのだろう。

「いまやイギリスに足りないものはただ一つ、強力な政府だけであった」。

 この時代を知るのには「カンタベリー物語」が最適である。

 

 第四篇 チュードル王統、又は君主政治の勝利

 「生計の資をもたない人間が村から村へとさまよい歩くことは、厳禁されていた……浮浪人は捕えられると、鞭刑に処せられることになっていた……危険性のある浮浪人はロウグrogueと呼ばれRの字を烙印された」。

 十三世紀に設立された小警官(ペティ・コンスタブル)制度だが、この当時は警察は市民のなかから任命された。選ばれたものは一年間「浮浪人を逮捕したり、これを鞭打ったり、喧嘩を仲裁したり、不法の勝負事をとめたり」しなければならなかった。これが英国の伝統だった。村の中央に館をおくスクァイア、兼治安判事が事件を裁断した。

 ヘンリ八世はトマス・モアをチャンセラーにとりたて、エラスムスと親交を結んだ。この王がローマから分離政策(シズム)をおこなった。ところがこのあとのメアリ・チューダーは熱烈なカトリックでありスペインのカルロス五世の息子フィリップと婚約を結んだ。スペインは当時カトリックの牙城だったので英国民はこっちにも異端審問と焚刑が上陸してはたまらんと反発した。新教徒は彼女をブラッディ・メアリと呼んだ。

「新教徒に対する彼女の迫害の残忍さも、確かに一部分は狂気に近い精神錯乱から説明され得る」。

 異端焚殺は新教徒と国民とに英雄的な鼓舞を与えた。フィリップは約束に背きイギリスを対フランスの戦争に巻きこんだ。多くがエリザベス側につくなかメアリは死んだ。

 エリザベス朝のときも、旧教徒およびカルヴィン派すなわち清教徒は迫害された。

 メアリの夫フェリペ二世のとき、スペイン、ポルトガルの進出がはじまる。スペインは南米大陸を、ポルトガルはアフリカ、インド、ブラジルを手に入れた。

 後発の英仏は海賊に『私掠免状』を与え、外国船を掠奪させた。やがてジョン・ホーキンスにつづいてフランシス・ドレークがあらわれる。彼はスペイン植民地を荒らしまわった。

 ロード・ハワード率いるイギリス艦隊と、メディナ=シドニア公率いるアルマダ無敵艦隊)の会戦。一小国イギリスの勝利。

 一方フランスはユグノー戦争で荒廃していた。ユグノーにはイギリスが、旧教側にはスペインがついた。

 一六〇〇年、エリザベス治世末期に東インド会社が設立される。ポルトガル、オランダとの武力対立をまねくこの大商会は土人にとっても本国にとっても危険なものとなった。

 スチュアート朝チューダー朝の血を引くメアリ・スチュアートがフランス(彼女は仏王でもあった)から帰国する。スコットランドを統治する牧師ジョン・ノックスは長老派をつくった。エリザベスは姉のように彼女にふるまった。メアリ・スチュアートはジェームズ六世、イギリスのジェームズ一世を生む。この女は乱行がたたって幽閉されたのち刎頚の目に遇った。

 西仏が連合していたら「イギリスの滅亡を招いていたかもしれぬ。ハプスブルク家ヴァロア家の敵対が、チュードル朝を救ったのだ」。ローマ帝国キリスト教帝国の夢は忘れられ、「国民国家の強化ということが、彼らの努力の唯一の目的となったのだ」。

 第五篇 議会の勝利

 スチュアート朝のジェームズ一世、チャールズ一世の治世になると議会との衝突がはげしくなる。また三十年戦争の余波が本国にも影響をおよぼし、宗派の対立が激化する。厳格な清教徒で構成された議会は王権に対抗する。また長老派の支配する精強なスコットランド軍も、本来主君であるはずのチャールズ一世に反旗を翻す。チャールズはたびたび議会を解散させた。しかし議会がなければどうやって税を徴収することができただろうか?

 チャールズの腹心がストラッフォード卿である。彼は議会の策動により断頭台におくられた。

「彼の罪は、君主制が議会によって支配されるのではなく支援されることを欲したことにあった……何となれば、ストラッフォードが祖国に対する叛逆者として処刑されたのは、君主に対する彼の忠誠に因るものだからである」。

 王党派と議会派が交戦状態におちいるが、チューダー朝の長い平和は彼らの頭から戦術・戦略を忘れさせてしまっていた。このときあらわれたのが議会派ハンブデンの徒弟オリバー・クロムウェルである。

 ――彼は『歯朶の国』に、即ちマホメットのような人物が育成された地と殆ど同じくらいの荒涼たる沼地に育った。彼は一神論と、教義の単純さと、不屈な意志との点で、この回教の予言者と共通していた。

 彼は実力ある兵士を集めて厳格な鉄騎兵(アイアン・サイズ)を設立した。

「クロムウェルの部隊は、議会軍の間で、今日いわゆる独裁制度における『党』の役割を果たすものであった」。

 戦争が長引くと、議会は指揮権を軍人サー・トマス・フェアファクスに委譲した。彼は「平素は無口で吃りの兵士であったが、一旦戦争となるや獅子奮迅の勢を見せ、その誠実さは万人の尊敬の的となっていた」。クロムウェルはその副官に任命される。

 清教徒革命もだいぶ紆余曲折を経ていたようだ。イギリス統一のちクロムウェルは国の建て直しにとりかかる。

「軍事的法律から市民的法律へ、強力から正義へと立ち返るべき時が来ていることを悟っていた」。

 クロムウェル統治後、大陸に亡命していたチャールズ二世がもどってきた、これが王政復古である。ルイ十四世を尊敬する彼の意志に反して議会と国民は英国を国教に統一させ、反仏、反旧教の政策を推し進めた。

「イギリス人には、国事に興味を持つ習慣ができていた」。

 政党の発生……「トーリは地主と国教会とに結びついていた、ウィッグは非国教徒とロンドンの商人とに結びついていた」。

 次代ジェームズ二世は旧教復活を試み専制を敷こうとしたため追い出された。これが名誉革命である。メアリ・オレンジ公ウィリアム三世の共同統治の時代がはじまる。

 王政復古の時代はクロムウェル護国卿の厳格さへの反動から放埓・淫蕩に傾いた。ニュートン、ベーコン、ドライデン。

英国史 (上) (新潮文庫)

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英国史 (下) (新潮文庫)

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