うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『大英帝国の「死の商人」』横井勝彦

 1章は幕末の武器輸入状況について。幕府および西南雄藩が買い入れたのは中国に漂着した旧式銃、廃銃だった。長崎をおさめる佐賀藩はいちはやくエンフィールド銃を購入し、諸藩に先んじてアームストロング砲を導入した。これが維新のたたかいで大きな効果をあげる。

 清朝洪秀全太平天国軍鎮圧のために洋銃をかきあつめた。

 アフリカの奴隷貿易は銃と密接な関係がある。ヨーロッパ進出以前にもアフリカには奴隷制度が存在していた。アフリカ沿岸の部族は銃を輸入するために大規模な奴隷狩りをはじめ、とらえた敵対部族を白人に売った。その金によってさらに武装強化がすすめられた。

 十八世紀初頭には奴隷貿易国家アシャンティやダホメが台頭する。相次ぐ奴隷狩り紛争と銃による武装でアフリカ社会は破壊された。

 一八一四年ウィーン会議南アフリカ(ケープ)はイギリス領になり、ボーア人は北の内陸に移動しトランスヴァール南アフリカ共和国)を建設する。

 

 施条とはライフリングのことでこれをライフル銃とよぶ。

 一八九九年、ケープ植民地首相セシル・ローズは、トランスヴァールオレンジ自由国に侵入、ボーア戦争がはじまる。ボーア人はゲリラ戦やヴィッカース社製機関銃ポム・ポム銃で対抗した。

 イギリスの貿易規制にもかかわらずアフリカの武器輸入は盛況をきわめた。

 「東アフリカへのこうした止めどもない武器の輸入を規制する何らかの措置が講じられないならば、この巨大な大陸の開発と統治は、大半が一流の後装施条銃で武装した厖大な人口と対峙するなかで、行わねばならなくなります」。

 ――滑腔銃が施条銃へ、前装銃が後装銃へ、火発銃(?)が金属製弾薬筒を用いる雷管銃へ、そして単発銃が連発銃へと次々に転換された。

 この過程でアフリカは巨大な廃銃市場となる。ザンジバルには英総領事館があった。バーミンガムの銃産業はイギリス陸軍に銃を供給する一方でアフリカにも大量に輸出した。ところがアメリカ工業がイギリスを圧倒していることが一八五一年の万博であきらかになった。

 熟練労働者による手作業を核にしたバーミンガムの銃産業は、工業化・規格化をすすめていたアメリカに抜かれ、やがて安価な労働力を武器にしたベルギーリエージュ工業に抜かれた。岩倉具視、五大友厚や渋沢栄一などはリエージュを視察した。しかしリエージュもやがては欧米の大企業の勃興のまえに霞んでいく。

 

 シーメンス事件はヴィッカース社、三井物産、帝国海軍将校らによっておこされた賄賂事件である。シーメンス社の東京支店からカール・リヒテルが秘密文書を持ち出し暴露したのでシーメンス事件とよばれた。

 この賄賂事件に限らず、英国の軍需産業は受注を手に入れるために狂言を使ったり、軍拡世論を煽ったりした。

 第二次世界大戦前夜の英国軍需産業国有化論争の件は専門的すぎてよくわからなかった。経済史の範疇らしいが、わたしは門外漢なのでまず勉強が必要だ。

大英帝国の「死の商人」 (講談社選書メチエ)

大英帝国の「死の商人」 (講談社選書メチエ)