うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『美術史Ⅰ 古代美術』エリー・フォール

 ヘンリー・ミラーの文体に影響を与えたとされる本。美術史の形を借りた散文詩という印象が強かった。

 

 ――……彼は創造する精神への熱狂的信仰をもっていた。われらがウォルト・ホイットマンのそれと同じように、彼のものの見方は何よりもまず宇宙的だった。(彼はどこかで宗教とは芸術から生まれたのであって、その逆ではない、と言っていなかっただろうか?)

 「われわれの時代の悲劇は、まさにわれわれがあまりに多くのものごとを知っている、あるいは知ったかぶりをしている、それなのにそうした知識を活かすすべをあまりに知らなすぎるという事実のうちにある」。

 芸術と功利主義は矛盾する。

 芸術はそれを実践するもの、それに身を捧げるものにのみ生の栄光をあたえる。人間は宇宙を「高慢と知的尊大さによって腐敗させてしまった」、「今人間は自らの創造物――この物質の世界、この空虚の世界――を前にして途方に暮れ、道に迷っている。時は遂に死の点に達した。生は麻痺している」。

 「初めにあったものは現在もあり、永遠にあるだろう」。

 序文によればエリー・フォールはひたすら退屈な医業をつづけていたという。ミラーの言っていることはいつも単純だ。生きること、これを考えよ。彼が説得力を与えるのは言葉と人物のためだ。

 芸術は生と人間のためにある。

 「芸術家はもし彼の環境を創造の手段とみなさないのであれば、それを感じることも支配することもできない」、「芸術は人間を定義した。芸術だけが人類の劇的な努力の証言をもたらす」。

 文明は時と場所を経て変化していくがつねに求めているものはひとつである。作品は「一者」でなければならない、そうでなければ死んでいく。一者たる作品はたとえ断片でも生きのびていく。

 ――人類が適合するためには三つの本質的道具がある。すなわち事実と事実との関係を明確にする科学、事実と人間との関係を示唆する芸術、人間と人間との関係を探求する道徳……

 現実と人間をむすびつけるもの、意味を創りだすものとして芸術は存在する。言葉は流麗だがなにをいってるかわからない。

 ――芸術は芸術作品の構成要素である形の世界を通じて学問に触れ、芸術家はわれわれの愛する能力に訴えかけることで社会的次元に入っていく。感動させることを知らない偉大な学者はいる、論理的に考えることを知らない廉潔の士はいる。

 「どんな作家も一冊の書物しか書かないのであり……どんな新作も作家の精神においては前作を手直しするよう、完成することのない思想を完成させるよう運命づけられている」。

 芸術はパンの次に重要なもので、芸術をもたぬ人間はいまだかつていなかった。エリー・フォールにとって芸術とは人類の特性そのものだ。これはベンとは異なる考え方である。エジプト文明をもっとも高く買っている。一方、進歩と道具(鉄道、機械、電気、電信)は否定する。曰く、道徳的進歩も美的進歩も存在しない。醜悪や暗愚は「どんな新しい様式の形成においても常に不可欠の役割を演じるだろう」。

 考古学者の発掘した遺跡を人間の精神史にしたがって評価する、これが美術史家の仕事であると彼は書く。

 ミラーが散文詩としてこれをとらえたのも納得である。

 ――灰となった骨、原初の武器、石炭、水中に没した森、古き人間のエネルギーと古き太陽のエネルギー、これらがあたかも地下の湿気で分解した根のように溶け合ってわれわれのもとに至る。

 著者は芸術における男女の役割分担について論じるが、今読むと時代の隔たりを感じる。かれは人類のはじまりから筆をおこす。道具、工業、労働をつくったのは現実的で保守的な女だが、「女が作りだすものを奪って彼女には雑然と映じていたものを抽象の世界を表現する道具に少しづつ作り替えていくのは、その役割からいって理想主義者であり革命家でもある男なのだ」。曰く、女は生の中心、男は想像的生の中心である。

 洞窟壁画は文明の最初の徴候である。「芸術と同様、宗教も感覚と世界の接触から生まれる」。新石器時代ブルターニュ、イギリスでストーンヘンジがつくられた……「それらが意味するのは、パンや避難所を得るための日々の戦いを課す実利的な探索と完全に両立しあった神秘主義の爆発以外の何ものでもなかっただろう」。

 

 フランスの洞窟壁画はギリシア美術およびその後の西欧美術に近い。「西洋美術は一貫して、狭い限界のなかで形態の解剖学的概念によって維持されてきた……西洋美術は神秘を嫌った。象徴も嫌った。西洋美術は描写の芸術であり、喚起させる芸術ではない……まず第一に的確であることにこだわる」。

 一方オリエント、エジプトの美術、中国の美術はこれと正反対の特性をもつ。こちらでは「感覚によって混乱させられ雑然とした印象に浸された主体が超現実の次元に生きている」。アッシリア美術、「描写よりはむしろ表現を、形よりはむしろ性格を、そしてボードレール風にいうなら、美よりも無限に精神性をねらっている」。

 獣と人間の融合もまたオリエントの特徴といえる。「外的世界を手段とみなしながら内的世界を表現するアジアの主観主義」、ヨーロッパの中でもっともアジア的な民族、ドイツとロシア。

 エジプトでは長い間宗教が持続した(紀元前の数千年間の話)。

 「聖職者が宗教から利益を得るからといって、聖職者が宗教を信じないわけでは全くない。人は深く信じるものしか深く信じさせることはできないものだ……宗教は自らのために命令し選択するという恐るべき重荷を引き受けながら、その天賦の才能を解き放つのだ」。

 日本、中国をのぞいたアジア全域には宗教と芸術の「絶対的な緊密な相互関係」がある。

 エジプトは六千年間ひたすら建設しつづけた。彼の史観ではエジプト美術は説明をうけつけぬ完璧な宇宙であり、すべての文明はエジプトの分解と分化である。エジプト美術は「宗教美術であり、葬祭美術である。それは歴史のなかでも最も不可解な集団狂気から発している」。

 

 ――花崗岩は蝕まれることがない。大地の下には石化した森がある。この乾いた空気のなかで、うち捨てられた森は何世紀もその生ける繊維を保存し、死骸は腐ることなくひからびる。

 メンフィスを都とする古王朝の彫刻が写実的だったのにたいし、「テーベの王国は好戦的だった。この王国は……古王国時代よりももっと強く神官たちに依拠した。神学の神秘のヴェールはますます厚くなった。固定するドグマは彫刻の飛躍を限定し、彫刻に境界を課しながら、狭められた、だが繊細な探求にそれを向かわせ、それがしだいに研ぎ澄まされていかざるを得ないようしむけた」。

 彫刻とは現実的であるとともに抽象的である。エジプトの人物造形は様式化されている。どれをとっても胸と肩は正面を、手足と顔は横を向いている。

 ――断末魔にあえぐエジプトはこれからやってくる人間に伝えるために宇宙に散らばった普遍的エネルギーを集めようと試みる。そしてこれがすべてだ。エジプトの魂が詰まっていた石の壁は再び始まった侵入によって壊され、エジプトは力つきる。その内的生のすべてが口を開いた傷口の上を流れ去っていく。

 

 エジプトの石の泉を飲みにやってくるのがギリシア人とユダヤ人だ。遅れてローマ人がやってくる。「エジプトの科学、宗教、その絶望と永遠の要求、この一万年もの単調な無限のざわめき」、これが自ら語りだすことはないだろう。

 古代オリエント……二つの河の流域はいま放棄されている。シュメールの遺跡ラガシュから出てきた彫像は、「エジプトの精神よりはるかに現実的な精神の存在を証言してくれる」。エジプトがピラミッドとスフィンクスで神秘のなかに自分を埋め込んでいったとき、シュメールは神秘とは無縁の像を切り出していた。

 メソポタミアは、東はメディア・ペルシア、さらにインド、中国にまで浸透し、北はアッシリアから近代文明まで、西はフェニキアからエーゲ海まで浸透した。浸透というよりはこの地がこれらの文明を生み出したのだ。

 ――国土とそこに住む人間の知性とのあいだには常に深い一致が存在した……永続する物質は精神に永続性の概念を与え、風化する物質はもろさの概念を与え、その物質を材料とした武器の実際的な利用の概念を与え……

 実際的な民族を収容していたメソポタミアの都市は骸骨さえ残さずに消えてしまった。アッシリアは暗黒帝国のごとき扱いをうけている。アッシュール・ナシルパル二世、ティグラト・ピレネル三世などの独裁君主、「彼にとって殺せという命令は少しも刺戟にならない」。

 ――<余の戦車は人間と獣とわが敵の肉体を押しつぶす。余がうちたてるトロフィーは余がその四肢と頭を切り落とした人間の屍から作られる。余は余が生け捕りにした者たちすべての手を切り落とさせる>

 「繰り返し血の流れるのを見たので、死を予期することが多かったので、血を、そして生の中に死を感じさせるものすべてを愛するようになった。常にそこにあったのは虐殺と戦闘と怒涛のような軍隊の往来。軍隊はニネヴェの周囲に押し寄せるかと思えば、逆にこちらからくりだして近隣の民に荒廃をもたらす。常にそこにあったのは腐敗と悲惨のなかにうごめく無名の群衆、瘴気に満ちた水、空を焼き尽くす火」。

 アッシリア人の生とは「すべて抵抗しているか殺しているか死んでいるかのどれかでしかない」。彼らの美術は戦闘と狩猟ばかり、王は戦争と殺人をつかさどる英雄である。

 ――このライオンが血を吐いているのは肺を槍で刺し貫かれたからだ。歯と爪をむきだし、怒り狂ったこの雌ライオンが狩人の方へ麻痺した体をひきずっていくのは脊髄を矢でやられたからだ。仰向けに横たわり、大きな四肢をくずおれるにまかせた死んだ獣たちはもっと怖ろしい。これは力と殺戮と飢えの詩なのだ。

 この荒涼たるアッシリアからペルシアに盟主が変わったことで「オリエント世界の雰囲気は前よりも呼吸しやすいものとなった」。

 

 エリー・フォールら欧州の人間にとってギリシア観の転換は大きなできごとだった。われわれには想像のつかないことである。

 ニーチェ以後の研究によってあきらかにされたギリシアの側面……「落ち着きはないが生殖力のある騒々しさ、際限も永続性ももたない理想主義、度し難く耐え難いけれども必要なイリュージョニズム……正しき人間を粛清し、無垢なものを虐殺する正義への渇望……」その他。

 なぜ本来野蛮といっても差し支えないギリシアがこれほどまで神聖化されてきたのか? 衝動を完璧にまで突き詰めることがその要因だ。

 「……あらゆる領域、道徳的、美的、社会的領域にわたって、同時に、あるいはかわるがわる、ここでは禁欲主義、あちらではピューリタニズム、他の場所ではアカデミズム、別の日には共産主義に行き着くようなただ一つの観念力(イデ・フォルス)を人間に課すために支配するのはこれかあれかのどちらかなのだ」。

 人間の黄昏……「ギリシアの英雄的精神は三つの傷口を通って逃れ去ることになる。すなわち、スパルタの勝利とアテネの富裕化と主知主義の支配という三つの傷」。

古代美術―美術史〈1〉

古代美術―美術史〈1〉