うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『人間の土地』サン=テグジュペリ

 みじめな生活とは何か、なぜ働かなければいけないのかについて考える本。

 

 ――ぼくら人間について、大地が、万巻の書より多くを教える。理由は、大地が人間に抵抗するかがためだ。人間というのは、障害物に対して戦う場合に、はじめて実力を発揮するものなのだ。

 新人郵便飛行士ははじめてスペイン上空を飛ぶことになる。山がちの地形に避難所はほとんどなかった。発動機がとまればそこでおわり、雲海の上に出てしまってもおわりだ。飛行機の草創期にパイロットを務めるのはかがやかしいことだ。

 ――老サラリーマンよ、現在のぼくの僚友よ、ついに何ものも君を解放してはくれなかったが、それは君の罪ではなかったのだ、きみは、かの白蟻たちがするように、光明へのあらゆる出口をセメントでむやみにふさぐことによって、きみの平和を建設してきた。きみは、自分のブルジョワ流の安全感のうちに、自分の習慣のうちに、自分の田舎暮らしの息づまりそうな儀礼のうちに、体を小さくまるめてもぐりこんでしまったのだ、きみは、風に対して、潮に対して、星に対して、このつつましやかな堡塁を築いてしまったのだ。

 「きみは答えのないような疑問を自分に向けたりはけっしてしない。要するにきみは、トゥールーズの小市民なのだ」。

 老いてしまったらもうなにものも彼の可能性をゆりおこすことはできない。「職のふしぎな力」、彼は仕事、責務、使命の力をうけて人生を手に入れることができた。

 航行の表現が正確かどうかは経験者にしかわからない。無電装置、メーター、点々と大地に散らばる人の灯が印象にのこる。彼はいつも人びとの灯を見て人間たちについて考える。

 文明にうたがいを抱く一方、機械の発展にたいしては希望をもっている。

 サハラ砂漠とモール人の話。真冬のアンデスから生還したギヨメ。

 「彼の真の美質はそれではない。彼の偉大さは、自分に責任を感ずるところにある……彼の職務の範囲内で、彼は多少とも人類の運命に責任があった」、「人間であるということは、とりもなおさず責任をもつことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ」。

 危険を冒して仕事をする飛行士たちは、命を軽々しく扱う賭博者や自殺者とは全然違う。「文学的な誘惑に駆られて」自殺した若者には「あさましい印象」しか受けない。

 ――自ら引き受けた責任の観念に深く根ざしていないかぎり、それは単に貧弱さの表れ、若気のいたりにしかすぎない。

 サハラ砂漠のアラビア教徒は、フランスにいる自分の子たちに好きなだけ恵みをやるキリストをどうおもったろうか。豊かなフランスの土地や水を見て、アラビア人たちは自分の神を裏切りそうになった。

 砂漠にいるときは自由、飛行機に乗っているときも自由、しかしそれは孤立によってなりたつ。飛行士たちはいつも空の上にいるので互いに顔をあわせることがめったにない。数年ぶりに口をきくと、数年前の話題がそのまま継続されていることがあったという。

 誇りのある仕事を手に入れることのできたサン=テグジュペリは勝者だったのだろうか。

 

 濃い雲につつまれると地上に星が見えることがある。それは自分たちの下に空が来て、飛行機が大きく傾斜してしまったということだ。砂漠に不時着した主人公とプレヴォー。ひと思いに拳銃で死のうとほのめかすプレヴォーに反抗する。

 「センチメンタルな気持の流露ほど、このとき、ぼくにいやなものはなかった」。

 ――ぼくにはいま、すべてはきわめて単純だと考える必要があった。生まれることも単純だ。生育することも単純だ。渇き死にすることも同じく単純なはずだ。

 「これら永久に変わらぬ大理石のあいだにあって? ぼく、滅びる者、このぼく、肉体の消滅するであろう者が、ここ、この永遠の世界で、何ができるだろうか?」

 三十年後に死ぬとわかって生きることも、三日後に死ぬとわかって生きることもかわらない、「遠近法」が変わっただけだ。

 「ぼくは、疑わなかった、自分に、こんなにわずかな自治しか許されていないとは。普通、人は信じている、人間は、思いどおり、まっすぐに突き進めるものだと。普通、人は信じている、人間は自由なものだと……」

 すべては明快だ。思いどおりにならないときは死ぬ。力のない人間は死ぬ。

 「ぼくには、もう理解できない、あの郊外列車の市民たち、自分では人間だと信じているが、じつは彼らの感じない圧力によって、その用途からいうと蟻のようなものに退化してしまったあの人たちを」、「ぼくは、自分の職業の中で幸福だ」。

 彼らは衰弱死寸前のところをリビア遊牧民に発見され生還する。

 大抵の人間は選ばれなかった者だ。「選ばれざりし者達」、スペイン内戦に志願した凡人軍曹はそれまでは孤独でみじめな異端者だった。

 ――……ここ前線におけるきみは、自分が完成する気持を味わっていた、きみは世界的な仕事に加担していた、異端者であったきみが、いまや愛をもって迎えられていたのだから。

 この男に冒険心と解放への意思をあたえた政治家の大言壮語が正しいかどうかは問題ではない。

 「それらの言葉が、きみの必要と一致したから」彼は死地に向かったので、それが正しかったか判断するのは当人だけだ。

 「また経験はぼくらに教えてくれる、愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだと」。

 お互いに嫌っているが、同じものを見ている。「ぼくらは解放されたいのだ」。

 労働が必ずしも徒刑とはかぎらない。労働という行為に醜さがあるのでなくそれがどこにも結びつかないことが労働を徒刑場たらしめている。これがわれわれの問題だ。

 物量が人間を解放すると大昔に考えられて、いまも考えられている。

 「技術学校の劣等生でも、自然やそこに行われる法則についてなら、デカルトや、パスカル以上のことを知っている。だがはたして、彼に、あの二人と同じほどの精神力があるだろうか?」

 サン=テグジュペリは人間に生気を与えるひとつのきっかけとして軍服をあげる。軍服は若者に気概をあたえるが代償として命をもらっていく。ナショナリズムも白々しいものになった。自分がドイツ人であること、ベートーヴェンの一族であることは船倉係をも満足させるだろう。

 「これは確かに、船倉係からベートーヴェンを作り出すよりは、やさしいに違いない」。

 ――たとえ、どんなにそれが小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる、そのときはじめて、ぼくらは平和に生き、平和に死ぬことができる、なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから。

 だからサン=テグジュペリはかれの言葉の意味において平和だった。「眠りっぱなしにされている人間が、あまりに多くありすぎる」、ミラーと声をあわせて目覚めろとよびかけている。人びとのなかの眠る特性はそのまま埋もれていく。

 「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」、それはそうだ。精神なしに生きるのは消化器人間にすぎない。

人間の土地 (新潮文庫)

人間の土地 (新潮文庫)