読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『輝ける闇』開高健

本メモ ◆日本のフィクション

 ベトナム戦争を題材にした昔の日本文学で、主人公のインテリの苦悩よりは、ベトナムの様子や戦場での生活の方が印象に残った。

 

 日記体と客観的な叙述が混ざったような形式のフィクションである。

 従軍記者の私と、アメリカ兵、それに寺の坊主(ボンズ)。南ベトナムは持てる者(ハヴツ)たちのもので、この戦争がつづくかぎり資産は増えていく。一方ベトコン(越共)には失うものがない。

 ベトナムのクリークは無数の網目となってのびている。

 「だからこの国は、アメリカ大陸から見ると盲腸ぐらいの面積しかないが、ゲリラにとっては何倍、何十倍もの広大な国なのである」、「黄昏にここの小屋の窓から見る長城は森閑としていても、一歩その内部へ入れば、葉と蔓の海は人と銃器ではちきれんばかりのざわめきにみたされているのではないだろうか」。

 チャーリー(ベトコン)も南ベトナム人もよく昼寝をする。日が暮れると戦闘がはじまる。

 「おなじ岸にいてとなりどうしで昼寝する仲の人びとが、ただ目がさめただけで、たちまち殺しあいをするのである。虚無の性格をこれまで私はまったく誤解していたようだ。それは暗く卑小でみじめなものではない」。

 虚無が「赤裸の晴朗に達している」。

 <エア・ゴリラ>とはジェット機が地上に衝撃波をたたきつけることで発生した音圧をいう。

 

 作中のインテリ主人公の嘆きについて。

 ――あやふやな中立にしがみついて自分ひとりはなんとか手をよごすまいとするお上品で気弱なインテリ気質にどこまでもあとをつけられている自分に嘲笑をおぼえたのだ。みんなが血みどろになっているなかから自分だけは手の白いままぬけだし、それでいて難破船の仲間なのだとどこかで感じていたいのではないか。

 彼がこのとき愛読していたのはトゥウェインの『アーサー王宮廷のヤンキー』である。

 曰くベトナムの気候にはロシア文学は耐えられない、暑さで読んでも頭に入らないのだという。

 ――善意をもってしてもそれは抑止できなかった。白人種間でもそれは抑止できなかった。おなじアングロ・サクソン種間でもできなかった。コミュニストぬきでも抑止できなかった。アーサー王も死んだし、ランスロット卿も死んだ。円卓騎士団も死に、魔法使いも死んだ。そしてアメリカ人も死んだ。戦争は七十五年前に終っている。

 「すくんで、けわしく、魚のような眼をし、どこか正視したくない卑賤さのある顔だ。孤独はなぜあのような賎しさを蠅の卵のように人の顔に産みつけるのだろうか。一人でいるときにも人まじわりしているときにもふいにいっさいの意味と時間が私から剥落する」。

 

 ベトナム独立戦線がフランスと戦っていたころは味方の陣営は多彩だった。やがて中国革命が成功するとコミュニストが仕切りはじめた。ロボット化に耐えられなくなった人間は次々に離脱した。小説家たちも規制をうけて三文小説を書かされるしかなくなった。

 主人公は自分のことをあざけりをこめて「視姦者」とよぶ。しかし第三者がいなくては成り立たない。見学者であることもまたなにかの縁だったのだ。

 じじい言葉をしゃべる現地人、米兵、その他の人間とともにベトナム戦争についての議論が交わされる。主人公はどちらを支持しているわけでもない。 水牛の衝突によって小さな蚊がつぶれて死ぬ、というベトナムのことわざがある。

 ――徹底的に正真正銘のものに向けて私は体をたてたい。私は自身に形をあたえたい……彼らは冒険の世紀に棲んでいる。ゼロを発見したばかりなのだ。彼らは人が機械に勝つと信じて地雷を抱いて走り、飛散する。

 この本が暗いのは詠嘆調のせいではないか。こういう人格は落ち込もう落ち込もうとするから暗くなる。このような態度には未来がない。

 最後の最後で自尊心がおこり、かれは自分の命が惜しくなった。主人公はわめきながら撤退の列に加わって話は終わる。

輝ける闇 (新潮文庫)

輝ける闇 (新潮文庫)