うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ベトナム戦記』開高健

 釣りの本で有名な作者がベトナムを取材して書いた本。

 

 北ベトナムと南ベトナムの内戦にアメリカが加担したのがベトナム戦争である。主戦地は農村地帯なので開高の滞在するサイゴンやフエは比較的安全だった。それでもテロやデモが頻繁におこる。

 ベトナム人の大半は政府軍にも共産軍にも疑いを抱いている。農村部の青年はどちらかにひったてられ、戦闘に参加させられる。彼らはみな仏教徒だが、僧は両陣営から迫害されていた。越共は人攫いのために仏教的スローガンを掲げてはいるが、統一した暁には仏教を排斥するだろう。僧曰く北ベトナムでは仏教は排除され、抽象体のために奉仕する全体主義経営がおこなわれている。一方南ベトナム政府は内戦を私腹を肥やすための道具にしていた。政府高官は米軍の救援物資をピンハネし、その子供たちはフランス植民地時代のリゾート地ダラットでくつろぐ。戦争は貧しい農民に任せておけばよかった。クーデターが頻発した。

 

 開高の記録によるとベトナムの根幹は仏教である。北ベトナムのなかで真の共産主義者は1%もいないだろう、と僧侶は言った。国民にとって内戦に災害以上の意味はない。

 

 彼はベトナムの現状に憤激しているが、新聞記者に参加すべき場所はない。彼が怨念をこめて書く土着の富裕層に、どちらかといえば近い存在だ。ここでもアメリカは、個人としては善良だが国家としてはしょうもないという評価を与えられている。

 ベトナム人に芯から同情し、国土のありさまに苛立ちを隠さぬ姿勢には、隔世の感がある。

 ニョック・マムとはサンマからつくられるベトナム伝統調味料で、そのにおいが国全体を覆っているという。

 モイとよばれる山岳民族はベトナムでも異質の存在である。アメリカは農村から農民をひっぱってきて「戦略村」という収容所に入れたが、これはマラヤ暴動の際イギリスがとった政策をまねている。マレーの戦いはマレー人ではなく中共が相手であり、英軍も大量の兵力をもってあたったので制圧に成功した。ところがベトナムではうまくいかなかった。

 ――山の人はオーストロ・インドネシアという種族に属している。この国の先住民族である。それが蒙古族の中国人やタイ族に追われて山へ逃げ、今日にいたったのである……彼らはベトナム人を本能的に憎んでいる。

 一部の日本兵はインドネシアベトナムに残り、独立戦争を指揮した。

 「彼らはベトミン軍に参加してベトナム兵を帝国陸軍の戦法と規律によって鍛えあげ、たいへん尊敬された……スローガンを美しく壮大な言葉で書きまくり、しゃべりまくった将軍たちや、高級将校や、新聞記者、従軍文士どもはいちはやく日本へ逃げ帰って……」

 ベトコンには共産主義者よりむしろ民族主義者や自由主義左派が多い。ホー・チ・ミンベトナムナショナリストである。アメリカ将校の中にはフランスを憎む者もいる。曰くフランスがベトナムを腐らせ、その始末をアメリカがやることになったのだ。

 ――有能、勤勉、かつ良心的で精力的な、ちょっと神経質なところのある、文学を尊敬する軍人で彼はあった……彼が抱いていてよく口にしたがる意見は、アメリカ人はいま本国で"豊かな社会"のなかに暮らしていて、無関心に支配されているということであった……上流階級は良心も知識もあるが、カクテルを飲んでおしゃべりをするだけだ。中流階級は月賦とテレビと息子の進学だ。下層階級ときたらてんで気にもかけぬというのである……アメリカ人は非常に怠惰なのだという。

 報道雑誌について開高が尋ねるとヤング少佐曰く「読まんのだよ、アメリカ人は……小学校の先生だってろくに読まないのだ」、「アメリカ人は読まない」。

 

 operation fallen leaves

 当時まだフランスは南ベトナムに影響力をもっており、ド・ゴールは中立化を推進していた。ベトコンと政府軍は傷を受けてもまったく苦痛の叫びをあげない。

 「普遍的なベトナム人の特性であるらしいのだ」。

 当時のベトナム民族解放戦線national leberation frontの議長はグェン・フー・トゥー。ベトナム政府軍作戦将校は敵の名前も知らなかったから、開高はこれは負けるなと悟ったという。

ベトナム戦記 (朝日文庫)

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