うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ロシア革命』ニコラ・ヴェルト

 ロシア革命の入門的な本。絵や写真が多いので当時の雰囲気がうかがえる。

 

 ロシアは膨大な人口、民族を抱える巨大な国で、十九世紀の工業化以来、近代の矛盾を一身にひきうけていた。第一次世界大戦に参戦するも、食糧弾薬は不足し、工場人夫もつぎつぎと解雇された。

 サンクト・ペテルブルクはネヴァ河をはさんで西岸は富裕層、東岸は労働者層・工場地帯に分かれていた。一九一七年二月、労働者のデモ隊が橋を破って西岸に侵入するが、警備隊のコサックはこれを止めなかった。ここから暴動は全土に広まり、ニコライ二世は退位、臨時政府がつくられる。

 臨時政府はカデット(立憲民主党)を中心に創られ、首相にはリヴォフが選ばれた。皇帝のつくった名目だけの帝国議会(ドゥーマ)との二重権力体制がはじまった。このとき、革命家たちはほとんど亡命していた。レーニンはチューリヒに、トロツキーはニューヨークに、またスターリンはシベリアに送られていた。

 軍隊のなかで平和主義と士官への不満が募り、大量の脱走者が出た。帝国の崩壊に伴う言論や少数民族の解放、農民、市民、軍隊の自治。共産主義者はマルクスの説にしたがい、現実を強引に革命の枠にはめこんだ。

 

 四月四日、レーニンは帰国すると「戦争をやめろ、臨時政府を倒せ、全権力をソヴィエトへ」と主張する四月テーゼを提案する。ボリシェヴィキ指導者カーメネフジノヴィエフはこの主張に対し躊躇した。

 つづいて外相ミリューコフ、陸海軍相グチコフが辞職し、穏健派を中心とする第二次臨時政府が誕生した(エス・エル党、メンシェヴィキ中心)。ツェレテーリ郵政相、ケレンスキー陸海軍相、チェルノフ農相。

 七月事件……労働者街ヴィボルグ区に駐屯する第一機関銃連隊が前線に送られることになる。ところが連隊はこれに反対しボリシェヴィキの援護を求める。

 軍事独裁をかかげるコルニーロフ将軍のクーデターはケレンスキーに阻止され、失脚する。ボリシェヴィキは支持を取り戻し、十月革命を企画する。

 ――一九一七年十月の革命にはふたつの特徴があることがあきらかになった。ひとつは、ボリシェヴィキが綿密な反乱を計画して成功し、政権を握ったという事実。もうひとつは、自主的で大規模な社会革命が各方面で起こったという事実である。

 スモーリヌイ学院の砦、トロツキーによるソヴィエト軍事革命委員会、赤衛隊、実際のクーデターに参加したのは数千人にすぎなかった。冬宮は陥落し、ケレンスキーは逃亡する。結果、ボリシェヴィキが全権を握った。

 屈辱的なブレスト・リトフスク条約によりドイツと停戦するが、フィンランドバルト三国ウクライナなどが続々と独立してしまう。翌年からはじまる内戦はこの土地を再征服するという側面もあった。

 ボリシェヴィキがかかげていた農業集団化が実際に行われるのは、一九二九から一九三〇にかけてだった。

ロシア革命 (「知の再発見」双書)

ロシア革命 (「知の再発見」双書)