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『芸術と政治をめぐる対話』ミヒャエル・エンデ ヨゼフ・ボイス

 夢見る二人の芸術家がさまざまな話題について議論する。項目ごとの整理はなく漫然とすすむが、趣旨は把握しやすい。

 芸術とは本来、自然と対立する人工のものを意味するが、これにしたがってボイスは社会総合芸術なる考えを提案する。人間のつくりあげる社会を、一個の芸術作品にしようという試みがである。ここでは既成の芸術家という定義はもはや使われず、だれもが芸術家(社会をつくる人間)となる。

 エンデは芸術家の役割について述べる。近代以降、文学がおこなってきたのは批判だった。「これはだめだ、よくない」、文学は時代にたいしてひたすら拒否を示してきた。しかしこれから重要なのは、人びとが未来、ユートピアをとらえられるような、新しい人間像の提示である。これが来るべき社会のなかの芸術家である。この仕事は誰にもできるわけではない。

 ――いや、芸術という特別の領域で、だれもがおなじように権利があって、おなじ能力があるなんて、思えない。

 だれもがクリエイター(造物主)になれるはずがない。ボイスの描くような社会では、医師も、工員も、それぞれ芸術家なのだ。そしてエンデの言葉のとおり芸術家も手仕事職人のようなものになるだろう。

 芸術作品たる社会では、だれもがベッドに寝て当然だとボイスは言った。しかし巨大なピラミッド型の建築もまた芸術である。苦痛の車輪を中心に据えた社会。

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 二人の共通の敵は資本主義である。ボイス曰く、はじめ人類は芸術の文化をつくりあげたが、それが政治の文化になり、やがて経済の文化に至った。政治は大資本に従属する。芸術も流通機構に還元される。

 エンデ曰く芸術は付属物にすぎなくなった。金持ちが見栄をはるために絵画を買う云々。

 貨幣経済は間違っているとボイスは考える。物の交換が経済の根本だが、貨幣は利子を生む。貨幣は「法のドキュメント」とはどういうことか。貨幣は物の価値をあらわすので、政治の領域に含まれる。貨幣のない世界。

 人間の創造力を用いた労働。創造的仕事である教育が国営である時点で、自由はないとボイスの言葉。

 

 言葉を選ぶのに慎重なエンデにたいしてボイスは放言が多い。

 ――日本人は、なんだって機械を使ってやるだろう。あんな音楽なんぞ、ぜんぜん聞きたくないね。ほんとうにムカつく、汚いコンサートホールの糞だ。

 芸術の使命は名前をつけること。

 ――内側からの必然性もなしに、形式的な可能性がありすぎると、麻痺しちゃうわけですからね……なんでも可能ということは、すべてが不可能ということさ。

 モダン(ヨゼフの言葉)、実験を経て、「ふたたび、なにかに拘束される必要がある」、「いいかえれば、よかれ悪しかれ、一般に通用するような象徴言語を使う必要があるということです」。

 二人とも、芸術をただの包装とみなして、そこにくるまれたメッセージを発見する、という解釈法に反対する。

 芸術は政策形成に役立たない。芸術があること自体が益のあることである。

 ゴッホが絵を描いても戦争は回避されなかった。しかし彼の絵は新しい世界を提供した。

芸術と政治をめぐる対話

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