うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『征服者・王道』マルロー

 『征服者』は中国における革命運動を舞台にした小説。登場人物は活動家たちだが、特に社会主義文学のような印象は受けなかった。どちらかといえば、ロシアのアナキストたちを主役にしたコンラッドの本を思い出す。

 『王道』はこの古本ではなく、その後講談社文庫で読んだ。

 

 征服者

 第一次大戦終結後の戦間期、イギリスの統治にたいし反抗を画策する共産主義勢力が中国でうごめいていた。

 サイゴンで連絡員として働いていた主人公は、職業革命家ボロディンと宣伝部長ピエール・ガランの潜伏する広東へ向かう。共産主義はこのころロシア人を中心に据えていた。ボロディンはロシア人、ガランもロシア人の血を引く。

 ガランは根っからの主義者ではなく、まず冒険家だった。大学で文学にかぶれたピエールは大戦勃発と同時にフランス外人部隊に志願し(入りやすかった)その後、スイスに亡命、共産主義者の友人の誘いを受け広東に出発する。

 彼は軍隊好みの冒険家が戦士になるように、運動に加担したのだった。

 当時、共産主義運動は冒険心をひきつける力をもっていた。彼らは軍官学校長蒋介石と世界のコミュニスト(インターナショナル)の支援を受け、張作霖軍閥およびイギリス租界の支配に攻撃を企てる。

 極東・東南アジアの風景を除けば戦後の運動的文学とそう変わるところはなく読みやすい。

 孫文のおこした国民党は、はじめソ連と協同関係にあり、ボロディンやピエール・ガランが顧問として働いたのもこの時期である。彼らが対処するのはイギリスだけではなかった。国民党の唐将軍が陳載(チェンダイ)を旗印にクーデターを企てた。ガランらは軍官学校とテロリストを動員し内紛をおさめようとするが、テロリストのひとり洪(ホン)は見境なく金持ちを殺しはじめる。彼にとっては、国民党に協力していようがいまいが問題ではなかった。富者がすなわち悪なのだった。

 ガランが資本主義の敗者に同情し、正義感、使命感から活動に参加するのにたいし(彼が貧しい生活を送ったことはなかった)、洪は、窮乏生活のうちにつちかった怨恨のみを動力にして好き勝手に行動する。第三者の肩入れも、個人の感情から発する行動も、互いにかみ合わないものである。国民党右派指導者の陳載からして、ガラン、ボロディンらの過激な行動には賛成していない。

 怨念だけで暴れまわる人物が、変化の時代には兵器として用いられる。洪はついにロシア人顧問にも反旗を翻す。彼の同志はただ自分の憎悪のみであり、中国も金持ちも革命もすべては攻撃目標になってしまう。

 これは大日本帝国が中国進出をはじめる前の話である。『征服者』の舞台である五・三〇事件を経て、蒋介石は軍官学校士官を率いて国民革命軍を設立、共産党と国民党左派の駆逐を開始する。やがて百姓毛沢東がやってくる。

 中国大陸はヨーロッパ、共産勢力、国民党、日本が交差する戦場になった。

 革命家たちの動きを至近距離からながめるためには、素性の知れぬ側近である「わたし」がことばをすすめる必要があった。彼の文章から党派性を感じ取ることは困難である。皆同じ姿になって戦う。かつての革命家はいまは改革家に、アナーキストはテロリストに衣裳替えをする。昔も今も一徹しているのは商人である。

 中国における冒険家や活動家を描いたこの本は、支那革命が歴史になっても生きながらえるだろう、と著者自ら後記において説明している。ガランにとってコミュニスムも国民党もただの装飾にすぎなかった。大事なのは自分がどう生きるかで、結局死ぬまでそれは変わらなかったようだ。