うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『小さな狩 ある昆虫記』エルンスト・ユンガー

 ユンガーの昆虫的エッセイ。

 「鉱物、植物、動物の採集は、幾世代にもわたる習わしになっていて、息子たちが採集を始めると、年寄りたちは喜んだ」。

 

 少年時代の思い出話が書かれる。父親は十年周期でなにかに熱中する人間だった。一家はチェスにはまり母親はそれをよからぬ兆候だと考える。このチェスの客のなかで親しくなった青年に、ユンガーはなぜあなたがいつも悲しそうな顔をしているのかと尋ねた。この青年は恋人がいないことで絶望していたのだった。結局彼は第1次大戦後行方知れずになった。

 

 昆虫採集において命名は発見者の至上特権である。蒐集癖は果てしない。甲虫や蝶の美しさについて滔々と語る。昆虫採集は学者や軍人にとって精神の避難所となっていた。

 

 ――偉大な人物とは、他の人より広い空間的な広がりを持つというのではなく、時間的なゆとりがある人物である。どんなに忙しくても、時間を割く余裕のある人物である……時計の文字盤で数が多いことは何の意味もないように、この尺度からするとたくさん知っているなどというのはそれだけでは少しも偉いものではない。

 「この人には時間もそうたやすく手出しはできない」。

 古代ギリシア・ローマやエジプトについての幻想がたまに挿入される。ティポーエウス、これはテュポーンのことだがこういった神話的な名前をつけられたカブトムシも存在する。

 フンコロガシに近いカブトムシであるティポーエウスは「良風美俗と進化が必ずしも必然的に結びつかないことの一例を結びつけてくれる」。タマコロガシの食糞種のことをいっている。

 ――この領域には興味を持たず、むしろ嫌がってさえいた私の衛兵たちも、目の前のこのタマコロガシの番のこの営みには、すっかり魅入られたように凝視していた。

 昆虫を神秘の対象としてみること。微小のものを通して宇宙を観察すること。サルディニア、イタリアの描写はすばらしい。

 「回想」の章は彼の少年・青年時代を明らかにしてくれる重要箇所である。彼は徹底して成績不良だったが、本はよく読んでいた。冒険小説を読んで学んだ「緊張を生み出す秘密」……「これまで私には偶然だと思われていた出来事、たとえば両親がパーティーを開くなどという事実を、規格化された一つの枠に組み込んで、世界を単純に見渡せるようにしていたところにある」。

 ――一九一七年、イギリス軍の攻撃が一時中断して休戦状態になったとき、私は前線のドープシュッツの森でも読書にふけった。もちろん私はあらかじめ歩哨を立てておいた。

 島に憧れたのはバイロンを読んだからだという。ショーペンハウアーについての彼の両親の会話、「あの男は、どうもわれわれの目に映るすべてが存在していないと信じているようだ」「一度走って行ってあそこの樫の木に頭をぶつけてみればいいわ。正気に戻るでしょう」。

 彼は子供時代、学校の成績は散々だったが、興味のあることには精を出した。

 ――時間を持つことは、空間を持つことより重要である。空間と権力と金は、時間が与えられないならば、手かせ足かせの桎梏である。自由は時間の中に潜んでいる――結局のところ、個々人は、時間の使い方の弁明を自分自身に対して行わなければならない。時間こそ、彼の財産である。

 

 従軍中に彼は昆虫記録を書いた。

 「前線でも、本に不自由することはなかった。野戦郵便で送ってもらえたし、戦友同士で交換しあった」

 趣味の合う仲間はしかしほとんど死んだ。

 「モルトケのような理論家は北の出身が多いが、レリツキイのようなエルベの東の出身者には、無気味なエネルギーに満ちた実戦家が多かった。その典型的例はマルヴィッツで、怒りだすとどこまでも興奮して行くので「自動湯沸し器」と呼ばれていて、局外者がそばから見る分にはおもしろい見物であった」。

 ダーウィンダーウィン主義者よりはるかに多くのものを与えてくれる。昆虫採集は富豪や貴族の大掛かりな道楽でもある。小生物に目をかけるのは権力者のたしなみなのだろうか。そんな昆虫採集にも機械化・物量文明化の傾向があらわれてくる。

 ――ここ数十年、有機物のすべてがますます木質化ないし鉱物化し始めたかのように、この領域にも機械工学的方法が侵入していることに、愛好家は危惧を感じている。

 人間は統計をとったアンケート結果以上のもの、肉と血と骨以上のものであるはずだとアリストテレスにならってユンガーは述べる。ダーウィンはあらゆる生物のすべての側面を有用性という観点から見る。工場の林立する現代ではそこに適応できる種が増えるかもしくは虫が消滅するだろう。

 昆虫学に国家が資金援助すると広範囲に毒ガスがまかれ虫の屍体を一挙に捕獲することができる。

 「こうなると、小さな狩も、おしまいであった」。

 マルクスは専門家を「さしあたっていないと困る玄関番」と考え、ユンガーは「付き合うことのできない人びと」とする。しかし実際には専門家の力はそれほどではなく、「技術よりも国の政治の方が中心に近いことが分かる」。

 熱帯は無尽蔵に昆虫がいるわけではなく、長い時間をかけてゆっくり偵察・調査しなければ、砂漠でも生きられそうな蟻とスズメ蜂を目撃するのみである。アングロサクソン人について、「大人の内部には子供が隠れていて、遊びたがっている」。

 ――エピソードの中にこそ歴史が、事実の中にこそ全体が現われ出る。

 ハンミョウが好きなようで、これを探して世界中、エジプトからマレー、日本まで飛び回っている。中国の高官の絹のような文様をもつハンミョウ、絹の服を着たスルタンのように移動するハンミョウ。

 彼は稀観本についても造詣が深い。あまりに高いものは「手もとに置いて楽しむことができるようなものではない。このことは芸術品についてもいえる。値段は価値を蝕む」。

 「たとえばリントナーの蠅についての書物やアムゼルの小型の蝶についての書など、誘惑に負けてふと予約注文してしまうが、予約申込書も共著の学者たちも、完結前にとっくに他界していることがよくあるものだ」。

 古本産業は宝石商と屑鉄商の方面に二極化していると書いてあるがこれは見事な予言といえよう。

 ――あまりにたくさん名所旧跡を押しつけられると、これはもう苦痛と呼びたくなるものであった。見るところもこう氾濫すると、目が眩み、吐き気を催し、見すぎ病になる。本物も多すぎて、食傷気味となり、古びた絨毯のように踏みつけられ、擦り減らされたように思える日々が続く。芸術が洗練によってではなく、様式の交替によって進歩するという理由は、ここから説明される。

 終戦時には首都では乱交するのが定石らしい。

 「静かに人知れず崩れ落ちていくこうした場所を見ると、不思議な心の安らぎを覚えたものだ。遊星のコントロールを次第に強めている無慈悲な神の目から避難する場所ででもあるかのように思えるからだ。私はこうした安らぎを、われわれの時代の象徴の一つだと思いたい」。

 フランドルの画家は廃墟を好んだ、クービンは廃墟に住んだ……「秩序原理が支配的な時代には、それは益々強くなる」。

 「洞窟の中には目のない昆虫がいると考えるのには、よくあるように、文学的由来がある。世界を書物によって知ったものは、とかく高く狙いすぎ、的の上を射てしまう」。

 ユンガーには世界紀行で得た事実の力があった。エイに刺されて大怪我をしたという。エイは尾びれ毒をもっていてもし下腹部を刺されていたら彼は死んでいただろうという。

 昆虫や植物、キノコにたいする純粋な愛着がよくあらわれている。このように観察対象への好意を表明することは確固とした足場がなければできないことである。ヤケーブリというトカゲを飼う。

 一生をかけて集められた標本のコレクションも、死んでしまえばやがて倉庫や床下におしこまれ、風化する。

 「昆虫名と日付は読み取れる。墓碑銘のように。粉塵の記念トロフィー――これが狩人があとに残した足跡である」。

 彼らの収穫はやがて消える。それでも狩人は、あの世で狩をつづけるだろう。

 

小さな狩―ある昆虫記 (1982年)

小さな狩―ある昆虫記 (1982年)