うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『言語』サピア その3

 第六章 言語構造の類型

 

 「あらゆる言語は形態的な類型に分類することができる」。すべてが独自である、として分類を丸投げするのはあやまちである。

 ――世界のさまざまな地方で、それぞれ異なる歴史的な先例から、相似した社会的・経済的・宗教的な制度が発達してきているのとまったく同様に、諸言語も、異なる道程をたどりながらも、結果的には相似した形式に収束する傾向があったのだ。

 「歴史の表面の背後に強力な偏流がある」。

 分類法について……ラテン語と中国語を二極として他を過渡的言語として投げ込む方法は古来からおこなわれてきた。その有名なものが「孤立・膠着・屈折」の三分類である。分類があまり実を結ばなかった背景には、根強い進化論的偏見がある。

 「言語は、その根本的形式においては、人間の直観の記号的表現である」。

 物質的にその民族がどうであろうと、これは備わっている。妥当性のある分類法は、「言語のなかでどの形式的過程がもっとも典型的に発達しているか、にもとづく分類であろう」。

 「分析的・総合的・多総合的」という分け方もある。分析とは「複数の概念を結合して単一の語にすることをまったくしない言語」たとえば中国語や、それに順ずる英語、フランス語のことである。この形式では文が最重要であって、語は二次的な興味しかない。総合的言語はラテン語などのことで、概念が濃密にむらがり、語はもっと豊富な内容をもっている。多総合的言語は、瑣末・抽象的な概念までが語によってあらわされる。この分類はすべて量的で、相対的である。

 goodnessは膠着、booksは規則的な融合、depthは不規則な融合、geesは象徴的な融合あるいは象徴法を例示する。

 具体的な分類については省略した。

 

 第七章 歴史的所産としての言語――偏流

 言語は個人間からすでに異なるが、個人的変異と方言的変異には「重要な違いが一つある」。

 ――何か理想的な言語的実体のごときものが存在していて、各グループの成員の言語習慣を支配しており、各個人が自分の言語を使用する際に感じるほとんど無制限に自由だという感覚が、暗黙のうちに命令する規範によって統制されている。

 「根本的な方言的差異に関する説明は、まだ見つかっていない」。方言にその集団内の個人のことばを統制させる動きがあるなら、なぜ「方言的差異が生じるのだろうか」。

 ――言語は、ただ空間に広がっているもの……時間のない絵のごときものではない。

 言語は自らの作った潮流に乗って時間を下る。「言語には偏流がある」。どんな言語でも広大な地域で話されれば、それぞれ地域集団が生じるので方言はかならず生まれる。

 原始は地方主義に傾く傾向があったので、ほぼ村ごとに異なる方言を話していた。アッティカ方言はやがてマケドニアの支配とヘレニズムの分布により「コイネー」(共通語)となった。ところがこれもやがて分化した。

 方言がさらに独自の偏流にのってまったく別々に変化してくると、印欧諸語のようになる。方言、言語、語派、語族などの観念は、すべて相対的なものにすぎない。

 「言語は、ひとえに、現実に使用されるかぎりで存在する――つまり、話されたり聞かれたり、書かれたり読まれたりするかぎりにおいて存在する。言語に起こる重要な変化はすべて、まず最初は、個人的変異として存在しなければならない。これは、完全に真である」。

 英語の偏流について述べられる。

 

 第八章 歴史的所産としての言語――音法則

 ――あらゆる語、あらゆる文法要素、あらゆる言いまわし、あらゆる音とアクセントは、言語の生命とも言うべき、目に見えない、非個人的な偏流によって形づくられて、ゆっくりと形状を変えていく。

 英語とドイツ語の比較をやっているが、ドイツ語をまったく知らんのでほぼ飛ばした。

 

 第九章 言語はいかに影響しあうか

 言語はたがいに交流するから、「完全に孤立した言語や方言を指摘するのは困難だろう」。中国語は東アジアの言語に一方的に影響をおよぼしたが、フランス語も英語にたいして同様である。これまで文化の伝達者だった大きな言語は、古典中国語、サンスクリット語アラビア語、ギリシア語、ラテン語である。この五つに比べられればヘブライ語、フランス語、ましてや英語も取るに足らぬものになってしまうだろう。だが、英語は近年に入り多言語に影響しつつあるようだ。

 借用の割合は借用する言語の心理的態度に深く依存している。英語は、分析されない統一された語credible,intangible,certitudeなどを好むので、外来語をすぐ借用できる。ドイツ語は多音節語は分析されようとするので、「厖大な数のフランス語やラテン語は、ドイツ語のなかで生き延びることができなかった」。

 ――「わたしはkredibelを受け入れるのにまったくやぶさかでないよ、きみがkred-をどういう意味で使っているのか、話してくれればね」それゆえ、ドイツ語では、新しい語の必要が生じると、ドイツ語にもともとある資料から造るほうが容易である、と一般に考えられてきたのである。

 外来語の取り扱い方は世界中でよくその対立を見ることができる。カンボジア語サンスクリットからの借用に満ちているが、チベット語はそのまま受け入れず、語をいちいち逐語訳した。

 借用はおこなわれても、音声パタンは干渉されることに頑強に抵抗するので、発音は矯正される。地理的に隣接した、まったく異なる言語は、発音が似通ってくる。

 英語の-ess,-ty,-ize,-ableなどはフランス語、ギリシア語、ラテン語からの借用である。しかし、英語は、形態上の性質を借用することはほとんどなかった。中世後期、フランス語からの借用で満ち溢れたときも、「自己本来の類型と歴史的な偏流に、あれほど忠実でありつづけた」。

 語族、というのも決定的な概念ではない。言語の自律的な偏流は強固なものである。

 「言語は、おそらく、あらゆる社会現象のうちでもっとも自足的で、もっとも大きな抵抗力のあるものである。言語の個々の形式を崩壊させるよりは、いっそ言語自体を絶滅するほうが容易なのだ」。

言語―ことばの研究序説 (岩波文庫)

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