うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『言語』サピア その1

 言語学の古典とのこと。

 言語はどのようなものか、空間的時間的にどのように変化する傾向があるか、人間の根本にたいしてどのようなかかわりをもつか、それを明らかにするのがこの本の目的であるという。

 サピアが影響を受けたクローチェは「言語が芸術の問題と密接なかかわりをもっていることを指摘した」。

 

 第一章 序論――言語の定義

 言語は歩行のような生物学的な機能ではなく、文化により与えられる機能である。

 ことばの起源は間投詞ではない。ことば、つまり「正規のタイプの思想の伝達」は、叫び、うめきとはまったく異質のものである。叫び、うめきは記号的でない、つまり感情を示していない。本能的な叫びそれだけでは、犬の吠え声や足音、風の音となにもかわることはない。

 ――かりに、慣習的に「イタッ!」で表される苦痛の思わず知らずの叫び声が、「わたしはとても痛い」といった観念と等価の真の言語記号であるとみなされるのであれば、雲の出現を「ひと雨来そうだ」という明確なメッセージと等価の記号である、と解釈することだって同様に許されるだろう。

 

 本能的な音を、間投詞として定着させたものと、本能的な叫びを混同してはならない。ことばの起源は説明できない。「いてっ」も「アウチ!」も人間の創造である。原始的な民族が擬音語や間投詞を好むといった傾向は見出せない。このことが、「ことばの本質的な性質は、事物の単なる模倣とどれほどかかわりが少ないかを示している」。

 言葉は恣意的な記号体系であり、特定のイメージと連合されなければならない。

 「事物や関係についてのすべての経験を表す記号目録を作成できるようになるためには、まずその前に、われわれの経験世界が大幅に単純化され、一般化されなければならない」。

 サピアは、思考はことばなしにはできないと考える。

 「製品〔思考〕は道具〔言語〕によって増えるのであり……それはあたかも、数学上の推論が、適切な数学用の記号体系の助けを借りないでは実行できないのと同様である」。

 言語と思考は相互作用をおこして発達する。記号を発明すると、「この概念は自分のもので自在にあやつれるのだ」と安堵する。

 「記号を入手しないうちは、その概念を直接に知り、理解する鍵をにぎったような気がしないのだ」。

 自由、理想という言葉がなければ、それのために命を捨てたりはしないだろう。

 読書や黙考など、声にださない場合も音声器官が用いられている。無言のことばでも、それは聴覚からはじまる。

 ――書かれた形式は、話された形式の二次的な記号――記号の記号――である。
これを言語の転移といい、モールス信号などは転移のそのまた転移である。

 

 第二章 ことばの要素

 「言語の真の有意味な要素は、通例、音の連続であり、それは語であるか、語の有意味な部分であるか、あるいは語群であるか、のいずれかだ」。

 singがAだとすれば、sings,singing,singerなどはA+bである。Aとは語根、語幹、「語幹要素」である。bはより補助的、抽象的な概念を示すものである。

 だが、singも純粋な語幹ではない。I singのsingはアングロ・サクソン語のsingeの対応形であり、to singのsingはsinganの対応形である。

 「ほぼノルマン征服の時代に始まった、英語の語形の崩壊以来ずっと、英語は、形式上の含蓄を混入しない、単一の概念語の創造を目指して努力を重ねてきた」。

 boneは骨でも、単数という添加がおこなわれているが、ヌートカ語のhamot(骨)はまさに骨そのものである。

 

 以上、語を四つのタイプに分けると、A(ヌートカ語のhamot)、A+(0)(英語のsing,bone)A+(b)(singing)、(A)+(b)(ラテン語のhortus)となる。あとはA+Bたとえばfire-engine,eat-standなど。括弧は、それだけでは独立できないことを示す。

 語は、形式的な単位であって、機能的な単位ではない。語は、たんにひとつの形式にすぎない。

 「単一の語幹要素や文法的要素は、孤立した概念の担い手であるから、言語ごとに比較することが可能だけれども、できあがった語はそうではない」。

 パイウート語のwiitokuchumpukuruganiyugwivantumという語は、「これからすわってナイフで黒い牛を切り分けようとしている連中」という意味である。

 機能的な単位とは、語幹要素と文である。語は、語幹要素と文という両極端の仲介をおこなう。語は、心理的に実在するから、話者は語で区切って話をすることができる。一方、語幹要素や文法的要素を分離することは「意味をなさない」。

 では語はどのように感じとられるのか。明確なこたえはないが、たとえばunthinkableをun,think,ableに分けることは、un,ableが不自然だし、unthinkableというつながりはアクセントによって統一されている。だが、「これらの特徴は、せいぜい、別な理由ですでに存在している統一感を強めるにすぎないのだ」。

 文は主部と述部を結びつけたもので、心理的な存在でもある。digoのように主部述部が一語であらわされるものもある。

 ――世界には、The mayor is going to deliver a speechによって伝えられているすべての意味を、主語と述語の二語で表現できるような言語もある。

 「すべての言語には、表現の経済に向かう傾向がある。この傾向が全然作用しないとすれば、文法など存在しないだろう」。

 文法のない言語はないが、その文法はかならず例外をもつ。

 感情は、周知のように、無言に傾きがちである。言語では観念形成作用が主権を握っており、感情や意志の表現は二次的である。こういものは大抵声の大きさ、速度、声調など動物的な動作で事足りる場合がおおい。

 たしかに、個々の言葉に感情的色調が備わっている場合もある。storm(あらし)は一般的だが壮大さがなく、tempestは海とシェイクスピアの壮大さを連想させ、hurricaneは「他の同義語よりももっと大きな率直さ、もっと直接な残忍さがある」。だが、これも個人により受ける感覚は異なるだろう。

 語の感情的色調は、文芸作家にとっては大きな価値があるがまた危険でもある。

 「ある語の習慣的な感情的色調があまりにも問題なく承認されるときには……陳腐なきまり文句に堕してしまうからだ」。

 

 第三章 言語の音声

 一般に話者が認識するよりも発音の数ははるかに多い。なまりとはこの細かい音のニュアンスの間違いの総体である。英語とロシア語に共通の母音は(正確には)存在しない。なぜ音にたいする想像力が欠けているのか……新しい音に、耳は敏感に反応するが、音声器官の筋肉のほうは幼少時に学んだ方法に慣れてしまっている。

 各言語には正確な音声体系とはべつに、話者の心理にのぼる理念的な音声体系が存在する。

言語―ことばの研究序説 (岩波文庫)

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