うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ゴットフリート・ベン著作集2』 その1

 文学論

 詩の問題性

 科学万能の時代に詩の必要はあるのかという疑問が多数の人間によって投げかけられた。ベンの世紀、物理学者とともに双璧をなすのが人類学者である。詩人と時代というのがはやりの形式である。

 ――時代とは何か? 時代が我々に口をきいたか? 我々は時代と話しあったとでもいうのか? 時代は郭公鳥のように自分の名前を歌ってきかせるのか? ……時代の中間層のための宣伝屋として詩人にそうしろとでもいうのか?

 そもそも芸術に歴史形成の力はあるのか。芸術は純粋に魂の現象でありこういう「社会的なものや法的なもの」から遠ざけておく必要がある。歴史はイデオロギーをめぐる攻防戦だが、ベン曰く、アレクサンダーやジンギス・カンを見てみるとよい。

 ――ここには動因も意味もない。かく断片的なものの範例たる性格を歴史はもっているのである。ナイヤガラを征服して風呂桶の中で溺死するというのがオリエントの主題であり、地中海の神話なのだ。必然性が呼びかけ、偶然性が答える。必然が順番を待っている偶然へと移行するのだ……これが総じて歴史と時代である。

 詩は「啓蒙思想の柩をかつぐ科学主義」の宣伝をすることが使命などではない。詩の偉大さは「社会的前提がないという事態にこそあるのだ」。未開人と文明人をくらべ、われわれの失った感覚をよみがえらせよという。

 

 ハインリヒ・マンに寄せる

 マン兄弟はドイツ文学に変革をもたらしたのだった。

 「芸術は、ドイツではつねに時代の潮流から逸れたものとされ、とりわけ昨今は、トーマス・マンが最近の講演でも言っているように、多くの分野の人にとってほとんど犯罪のカテゴリーに近づいています」。

 ――ドイツでは、だから芸術といえばすなわち十八世紀であり、学問の前段階、二流の認識可能性、純粋概念の直観、それも低次の感覚的直観だとされるのです。

 芸術の代わりにドイツにおいては教養なるものが浸透した。これを変えたのがマン兄弟でありニーチェはその先駆である。フォルム、輪郭、造型性への感覚をおこす。

 「生の本来の課題としての芸術、生の形而上的活動としての芸術」。フローベールの小説はギリシア建築であるとベンはたびたび言うがこれはフランス語が読めないとわからないだろう。

 外的なもののない芸術は「強度に知的な芸術であり、言ってみれば日用品、純粋に機能的な、娯楽性などみじんももたぬ日用品」である。これはたんなる審美とかエスプリ(技巧)以上の意味をもつ。

 ドイツ人は世界から非合理な民族とされている。「ニーチェによれば、いかなる物も自分の似姿を愛するゆえにドイツ人は雲を愛するのであり、不明確な、生成しつつある、曖昧模糊とした、湿っぽい、神秘のヴェールに蔽われた一切のものを、およそ種類をとわず不確定、未完成のもの、流動、生成の途上にあるものを深遠だと感じる」という。

 ――つまり究極のものは芸術だったのです……一方にはつねに諸価値の深いニヒリズムがあり、そのうえに創造の歓喜の超越性が樹立されたのです。

 イデオロギーは力を失った。フローベール曰く「わたしは神秘主義者であり、しかも何物も信じない」。

 

 ゲオルゲ

 ゲオルゲはドイツのみならず欧州に大きな影響をもたらした。世紀末になると言語は「生活の模写とか表現であることを不意にやめ、現実に合わなくなりました」、そして「自分自身内の独自の創造物となりました」。フランス象徴派とゲオルゲの連絡。ゲオルゲクライスではギリシャ的肉体性が重視された。若者の復権。

 ――我々の時代の西洋的人間は、形式によって魔性的なものを克服するのです。

 形式こそ創造である。ゲオルゲの詩は「道徳的あるいは社会的な方面からの補足を必要としない芸術です」、「何かを言ったり、働きかけたりしたいという病的欲望にとりつかれている者は、芸術の門をくぐる資格はないのだ」。

 

 ニーチェ死後――五十年

 ベン曰く今世紀のあらゆることばはニーチェについての解釈である。ニーチェは「内容を破壊し、実体を滅し、自分自身を傷つけ、切り刻みました……内容から表現への道、表現のために実質を抹殺すること、根本的なのはこれでした」。

 ――表現の世界――合理主義と無とのこの仲介物! 内容、実質、思想であった、というよりそう思われていたものすべてを、彼は、彼の頭足類的脳髄によって引っぱり寄せ、紺碧の地中海の海水を注いで洗い、皮膚の下に手をつっこみ、八つ裂きにします。

 ベン節はあいかわらずである。ニーチェは哲学は単に哲学でしかないといった。人間はもう内容を失っている。