第二部 二重生活
第一章 過去の影
ヒトラーが政権をとったときに亡命した人間の大半はただ個人的な危険を避けてそうしたのだった。それもロシアとは異なり直接処刑の危険にさらされたわけではない。ドイツ亡命者は「むしろ逆に、ロシアの亡命者たちを追い出した側の人びとの同志(comrade)と感じていたようである」。ベンはベルリンに残った。彼は政治的なことにかかわりをもっていなかった。
反ユダヤ主義などの綱領は当初はほんとうに実行されるものとはとられなかった。
――一九三三年にこんな蛮行をやってのけうる権力がこの地球上にあろうとは誰一人信じはしなかった。リベラルな時代は「権力の本質を見ることはできなかった」と私はある箇所で書いたことがあったが、リベラルな時代は権力を直視せず、権力から目を逸らしていた……しかしやがて、時代は権力の本質を見た。私もまたそれを見た。
クラウス・マンはトーマス・マンの次男である。彼は「年長者と接するとき、常にある種の敬意を払うという、今日ではほとんど廃れてしまった美徳を備えていた」。
「亡命文学者に答える」を含む一連のやりとりのなかでのクラウス・マンの手紙……「今日では、非合理的なものへの余りにも強い共感は、もし恐ろしく厳密な注意を払わぬなら、政治的反動に通ずるということが、ほとんど避けられない法則のように思われます」、「ベンは×××氏に対して腹を立てすぎて、とうとうナチになってしまった」。
ベンはマルクス主義に大いに反感を抱いていたという。
「大都市、工業主義、主知主義、これらはすべて、時代が私の思考の上に投げかけた影であり、これらはすべて、私が自分の作品の中で対決してきたこの世紀の力なのです」。
結局ベンの手紙の核心はなんだったか。
――つまり、一つの民族は、たとえほかの民族には気に入られなくとも、新しい生の形式を得んとする権利をもっている、ということをいいたかったのだ。
「西欧は歴史を崇めている。歴史からそのイデオロギーの大部分を引き出している。勇敢さ、名誉、美徳、祖国(そして祖国の裏切り)、男性的勇気、忠誠、自己主張、休らうものは錆つくという警句……これらはナショナリズムのもつすべての柔術的概念なのである」
ヴァレンシュタイン、プリンツ・フォン・フォンブルク、テルハイム、ジャンヌ・ダルク、ニーベルンゲン、エッダ、これらすべての背後に「歴史の理念のために尽力し、勝利を収め、仆れる男が立っている。男性の勇気、しばしば掟を無視してまでモラルを変革する男性的勇気の象徴としてである」。ヒューマニズム起源のギリシャは戦士を称える文明だった。
――われわれは簡潔かつ現代的にこれを表現せねばならない。つまり歴史の成行きは民主主義的ではなく、暴力によったのだと。
そもそも暴力とはなにか。かつてマンも第2次世界大戦の終結時に、ドイツ精神の昂揚という「運命陶酔」を味わった。「独裁制のためにドイツを去って行った」ある亡命文学者は「もはや独裁制なしでは事は運びません。情勢がこれを要請しています」とベンに告げた。
――良い独裁制と悪い独裁制――こうなると私はもうついてゆけない。こうなるとまたぞろイデオロギーがしのぎを削る領域に立ち入るのだ。かつて自分こそ世界最上のものと考えなかったイデオロギーが存在しただろうか? ……ときに思想なんてもう駄目だという感情をもつことさえある。
「勝利と敗北の彼方に人間の栄光が始まる。」偶然と機会(言い換えれば、運命)を引き受けることこそ栄光である。運を引きうけること。
第二章 琴と剣
当時のナチ党ドイツのエピソードはほとんどコントである。
――退くために、私に残された道はただ一つであった。軍隊である。
国防軍にははっきりと反ヒトラーを公言する将軍がまだ大勢いた。ベンのことば「軍は亡命の貴族的形式である」。復役した彼の任務は退役軍人保護の仕事だった。ところで、戦争末期にヒトラー暗殺未遂をおこしたのも軍関係者である。軍はもっとも保守的というが日本と異なりドイツではこれがナチ党にたいする最後の牙城だったようだ。
彼ら老兵の所属した「将校団のこの部分には、本質的に今なお古来のプロイセン陸軍の服務規程の根本原則がしみわたっていた」。当時の社会の記録として貴重な話が多々ある。
「突撃隊と国防軍将校との殴り合いがときに昔の名誉典則への問題を投げかけ、解決しないまま適当に調停された」。
文筆活動を禁止され著作院から除名されたからには、もしこの悪評で軍隊までクビにされたら彼は乞食になるしかなかった。
――ギリシャがサッフォーのためにしたように、汝のために貨幣が鋳造されることはあるまい。汝の脳天に一発くらわせないこと、ドイツではそれだけで文化に対する裏切りなのだ。
国防軍のなかに、反ヒトラー派の人間や教養の価値を信じる人間がいた。
第三章 叙情的間奏曲
戦況が悪くなってもナチスはあいかわらずだった。国防軍では原因のはっきりしない自殺者が多かった。自殺はよくアルコールを借りておこなわれた。
「明らかにわれわれは、内的に想像以上に自殺への誘惑に陥りやすく、また道徳的自己構築の仕方において認めようとする以上に、この誘惑に陥りやすいのである」。
ベンがナチ時代に書いた詩「独白」はすばらしい。
第四章 第二ブロック第六十六号室
彼は数ヶ月丘の上の兵舎に配属されていた。戦時中にもかかわらずそこは神秘的な牧歌世界だった。
「二次元の世界にいるような感じ、舞台のセットの世界である」。
――オーストリアから来た同僚の士官が、それを機にこんな話をする。オーストリア・ハンガリー帝国軍隊では髭をきれいに剃っておく権利をもつものは、ヴィンディッシュ=グレーツ竜騎兵だけだった、と。
第一次大戦に従軍しその後は会社経営で食いつないできた老佐官たちはのんきなものだった。
「一つの疑問にたえずつきまとわれていないものがいただろうか、一つの疑問、つまり、ドイツが今のいわゆる政府なるものに確固として従うということ、ここ十年来同じ歓声をはり上げる聴衆を前にして、同じホールで、同じお喋りを定期的に繰り返している半ダースのわめき立てる連中、自分たちだけがそれ以前の何百年よりも、また他の世界の理性よりも、はるかにものが分かっていると、信じ込んでいるこの六人の道化師に、つねに従って行くなんてこと、こんなことがどうしてこれまで可能であったか、どうして今もなお可能なのか、という疑問である」。
国民は「少なくとも爆撃を受けた都市以外に住んでいる民衆は堅く信じている」。新兵器、秘密の報復装置。田舎では思考過程よりも天候のことが大事だ。息子が戦死すれば家計がうるおう。
――戦争五年目の軍隊は、二つの階級、つまり中尉と元帥によって担われていて、その他はすべてディテールにすぎない。中尉たちはヒトラー少年団の出身であって、書物や行為から思想的道徳的人生内容を組織的に焼却して、その代わりゴート族の首長とか短刀とか――そして行軍演習のときには夜営用に乾草の山がいるなどという教育を受けてきていた。
ドイツはおどろくべき無教養と安っぽいスポーツの社会に変貌していた。
「本官は断固命ずる」といって便所掃除をさせる。こういうことが平均人間に超個人的な錯覚をよびおこす。
ベンは言う、ゲッベルス配下の著作家たちの文章にはたびたび「若き民族」という言葉が出てくるが、これが正しいとすれば若干二七歳のソ連が勝利にふさわしいのだろう。リルケやヘルダーリーンは巧妙に歪められて援用された。
「宣伝相ゲッベルスは白い歯をむき出して戦傷者たちに微笑みかけ、空相ゲーリングはサンタクロースになって街頭に立つ――童話の世界がわれわれを包みこんでいる」。
党員の若者は我が物顔で満員列車の座席に寝そべっていた。新聞曰くナチ党員は特別待遇などなくそれに反する視覚像は誤解にすぎない。「例の三人の旅の道づれは、明らかにこの視覚像の一つであったわけだ」。
「歴史的世界に足を踏み入れる価値は何もない。小さな投石器を携え、大きなラッパを吹き鳴らし、このために闘う価値がどこにあろう。歴史的世界などは、ブルドーザーに乗せて、ういきょうの茂る野を、駆けめぐるにまかせようではないか! ……生きているものと、考えているものとは異なる。これがわれわれの実存の基本的事実であり、われわれはこのことに甘んじなければならない」。
彼が信じるのはただ生と芸術とのかかわりだけだという。