うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ゴットフリート・ベン著作集1』 その3

 芸術と第三帝国

 

 ワイマール朝は「奢侈と享楽の時代」だった。第三階級の力は頂点に達した。実証主義的世界像に亀裂が生じ、陶酔や精神病や芸術が「生物学的劣性」としてくくられる。

 ――月の世界以前の人間が視野に歩み出てくる。彼と共に地質学上の天変地異の時代、世界危機の時代、大火災、月の崩壊、大洪水が迫ってくる。謎めいた神々の似姿が徘徊し、ノアの洪水伝説が地のままに行われ、古代の言葉が近代の言葉とひどく似ているなどなど、第四期初期の不可思議な秘密のかずかずが歩みでてくる。

 ベンの思考の中に、形式と表現そのものへの執着がおこる。近代以来偉人はすべてニヒリズム掩蔽(えんぺい)するために活動してきた。

 「そして今、破滅が来る。歌うとは、文章を作り、表現を見出すこと、技巧家であること、冷やかな孤独な仕事をなすこと、自己を他の誰にも向けないこと、どのような共同体にも呼びかけないこと……なのである。だから問題は、技巧なのだ!」、

 「現実を創造する芸術、現実の創造原理である」。

 この形式的・表現的芸術は資本主義と合致した。「過度の緊張、搾り出される精髄、挑発された生の振動」には資本主義がふさわしかった。ヨーロッパのあらゆる異端もその形式の普遍性によって芸術の形をとって残ったのだった。

 ところがナチスはこの形式を軽んじてベンの活動を弾圧した。彼のナチスへの呪詛がはじまる……無知蒙昧で無教養な、実務だけに生きる民族、これがドイツ人である。だがドイツ人はローマ化、宇宙化をおこなわず反ユダヤ運動を推進するなどの下劣な政策を遂行した。

 ――芸術なり内的生活といえるものは、ラジオでがなり立てるナチス突撃隊賛歌である……彼らは教養豊かな諸民族に催促がましい視線を投げかけ、賛美の嘆声を浴びせてもらえるのを子供のような素朴さで、期待している。……犯罪結社を基盤にしたチュートン集団がのさばってきて、機会さえあれば、ミューズの神を打ちのめすのだ……何よりも根絶せねばならぬのは、東方的なもの、南方的なもの、西方的なもの、その他ロマンティック風、ゴシック風、印象主義表現主義、シュタウフェン王朝の人びと……

 芸術家は手工業者と化す。刑務所長や兵営が作品を依頼する。

 「豚の飼料とか製粉に携わっているなら文句のつけようもない人物たちがしゃしゃり出て、人間を理想的なものと説明し、歌合戦や賛歌を書き上げ、国民大衆の中に身を乗り出す」。

 ナチスドイツのエリートとは野良馬の趣味をもつことを意味する。芸術は「害虫駆除の対象になり下がっている」。

 「ドーリアの世界」において様式芸術の可能性をナチスに期待したベンは、彼らの趣味の悪さ、芸術にたいする無理解に幻滅したようだ。

 

 挑発された生

 原始人の集団陶酔や薬物摂取による昂奮を「挑発された生」という。

 「それは動物以下、神経反射の時限よりはるか下、木の根と石灰と石の時限まで下降しているのだ……そこにいるのは原始の民族だからである」。

 西洋文明はギリシャ以来「現実」という概念をつくりだしてきた。

 「自我がしゃしゃり出て、場内に下り立ち、戦った」。

 「感覚的には遠ざかっていったが、形式的にこれに近づいていったのだ。自我はそれを分解し、吟味し、淘汰し、武器、交換物、贖いの金に分割していった。自我はそれを互いに専門的に孤立させて精錬し、型にはめ、一つづつ取り出して分配した」。

 曰くこれは自我と世界の分裂で、現実という概念のもたらした罰であった。

 ゲーテ以外は誰もこの現実を克服することができなかった。現実の世界では「挑発された生」は容認されない。「空虚な生物学的・統計学的経験に基づく衛生学と人種改良学を現代の儀式とする共同体は、つねにただ皮相な大衆の観点を代表しうるにすぎず、たえざる戦いを挑むとしても、それはただこの大衆的観点のためだけなのである」。

 形而上学的な背景はみじんもなかったが、この背景を取り扱い純化する、昇華現象と表現価値について。

 「脳髄の奥底の思い出から再現される原始人たちの種族感情に満ちた生活に比べると、あるいはアジア人たちの形象に満たされた信仰に比べると、変性して感性を失ってしまった西欧の脳髄が生の内容を得んとして、職業にいそしみ、利益同盟や血族徒党を結び、夏期旅行を企て、いわゆる祭りを催してみても、こんなのは歴史的伝統が知る限りの俗悪極まる慣習因襲の域を出ないのは疑う余地もない」。

 薬物によって神経を敏感にし美的形式的機能を向上させよと言う。副作用は問題ではない。

 「国家が三年間に三百万の兵士を殺戮するような戦争をやっている限り、そのような権限はもたない」。

 白人は色素を失ったため日光に弱くなったがこれも克服された。

 ――常軌を逸した体躯は、平常なそれよりはるかに多くのことを果たしてきており、その生物学的に劣った特性が人間世界を創り出し、今も人間世界を担っている。

 袋小路におちいった精神、ニヒリズムの克服には、ただ形式と様式の美だけが絶対であると彼は考えているらしい。

 

 ペシミズム

 「人間は孤独ではない。しかし、考えることは孤独だ」。

 考えることは自我と結びついていてつねに孤独なものだ。西欧はペシミズムによって生まれたがそのあらわれが「純粋無垢の一神教、古代の文学、理念と形象の哲学」だ。

 ペシミズムの根源は仏教にたどりつくが異様なのはこの教えがインドの下層階級ではなくバラモンの内部から生まれたということである。仏教は改革するのではなく「実存そのもの、現存在の実体、を止揚」せんとした。涅槃の前には神も歴史も国家も共同体も無だとするこの教えが実存的ペシミズムである。

 権力をにぎってもそれはやがて消滅する。ニーチェはヨーロッパペシミズムの最後の高峰だった。

 「一言でいえば、ペシミズムは魂の正統な原理なのである」。

 オプティミズムとペシミズムの戦争はまちがいなく後者が旗を立てるだろう。そのとき「表現の世界」が生まれる。