うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『信長・イノチガケ』坂口安吾

 イノチガケ

 切支丹の話。スペイン系フランシスコ会ポルトガル系ゼズス会の対立、サン=フェリペ号のスペイン人は太閤をおこらせた。殉教者の続出。スペイン皇帝領から独立したオランダ人ウィリアム・アダムズ、イスパニア人の交渉等、日本は帝国の紛争地帯となった。

 延々と殉教者の処刑が羅列される。

 「切支丹禁令以来、神父を入牢せしめれば牢番が感化され、斬首火刑に処すれば刑吏や観衆が感動して却って改宗する者がある始末に、この対策が頭痛の種で、死の荘厳を封じることが、一代の大事となり、一六三三年、穴つるしという殺し方が発明された」。

 一七〇三年、おくれてきた伝道者ヨワン・シローテは捕えられて長崎に送られた。長崎奉行所の面々は、彼が何をしにきたのかまったくわからなかった。

 「最後の潜入からわずかに六十数年、十字架の何たるかまで分からないほど切支丹に縁遠いご時世になっていた」。

 家宣治下の時代、白石は長崎に出向いてシローテから外国のことを聞きだす。シローテの日本語は三百年前の畿内・山陰方言のまざったもので、さらにそれをイタリア風巻き舌でしゃべるので、たいへんわかりにくかった。白石は当時ではめずらしい合理精神の持ち主で、偉大な人物だったが、キリスト教については頑迷に否定した。結局、奉行所に幽閉され、そこの囚人数人の信徒を得て、死亡する。

 

 島原の乱雑記

 原城で島原半島の村民のほとんどは死んだため、十年間無人だった。その後他国から農民が移住された。

 ――何よりも困ったことは、さっき彼が受取らなかったので、行先を失った名刺が私の指にぶらさがっていることだった。仕方がないので、それを千切って、掃き清められた床の上へバラまいて、帰ってきた。

 伝説では幕府軍甲賀の忍者を用いたが、切支丹用語を知らなかったためすぐばれて退散した。金鍔次兵衛は伝説的な伴天連妖術使いで、実際には一揆の直前に死んでいるが、天草四郎に加勢したとされている。

 

 鉄砲

 種子島から雑賀、根来、国友へ。

 「信長は理知そのものの化身であった。彼は一切の宗教が眼中にない男であったが、切支丹が同時に新式の文物を輸入するので之を最大限に利用した」。

 徳川の世になって信長の近代は亡び、軍事は保守的で形式を重んじるものになった。

 金作という鉄砲鍛冶の名人が、島原城から鉄砲をかっぱらって、一揆衆に与えた。訓練と試行錯誤を経て、農民は信長とまったくおなじ戦術をとるようになった。

 「今我々に必要なのは信長の精神である。飛行機をつくれ。それのみが勝つ道だ」。

 

 信長

 斉藤道三は悪魔的な悪党、美青年、成り上がりである。その息子義龍もまた巨体の人格者である。信長は領内の不良(家臣の子たち)をしたがえるごろつきである。タワケのふりをしているのではなく、タワケ、馬鹿であると同時にはかりしれない器をもっている。丹羽は信長の子分だった。土岐光秀は、はじめ斉藤道三の家臣だった。書き流してあるが、坂口の書く歴史人物は親しみがわく。バカの信長は変身し、とてつもない英雄となった。

 信長は当初、謀反をおこした家臣や一族との争いに明け暮れていた。三間半の長槍と三段鉄砲こそ信長を勝利にみちびくものである。信長は四面楚歌の状態から逆転し、柴田を傘下に入れ、内紛を鎮圧したのだった。のこる敵は義龍、そして今川である。

信長・イノチガケ (講談社文芸文庫)

信長・イノチガケ (講談社文芸文庫)