うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『かくれた次元』エドワード・ホール その3

 第八章 空間のことば

 

 ボアズは異なる語彙の研究により言語と文明の関係を強調した。その系譜であるウォーフの『言語・思考・現実』について。

 ――いかなる人も自然を完全に無色透明に叙述することはできない。

 ウォーフの研究したホピ族のことばは、空間をはなれた純粋な timeが存在しない。つまり地獄や天国という想像ができない。「筋道をつかむ」や「要点をとらえる」といった英語の空間的比喩も理解できなかった。

 ヨーロッパ文明はとくに空間にたいしての意識が強い。オックスフォード辞典での空間にかんすることばは全体の20%を占める。ジョルジュ・マトレ『人間の空間』での、比喩の分析。

 文学を、「記憶を解き放つ役目をもった、高度に成型化された暗示体系」としてみること。マクルーハン曰く最初に視覚の三次元的遠近法が用いられたのは『リア王』である。これは『銀河系』で読んだな。ソローの『ウォールデン』。文学にあらわれた人間間の距離について。

 ――トウェインのトレード・マークの一つは空間のねじまげである。読者はありえない距離で、ありえないできごとを見たり聞いたりする。マーク・トウェインは大平原の縁に住んでいたので、フロンティアの大きな影響を受けている。

 想像力を押したり引いたり、拡げたり縮めたり。距離、におい、空間についての表現はそこかしこに見られるようだ。

 「文学とは、他のあらゆる事柄と同様に、人間がその感覚をどのように用いるかについてのデータを与えるものである」。

 ただ内容だけを追うのでなく、こうした「歴史的・文化的な差異」をよくすくいとることだ。

 

 第九章 空間の人類学――組織化のモデル

 文化の土台となっている組織化レベルの低い行動を、下位文化とする。プロセミックスとは、人間の空間利用についての観察と理論をさす。生物学的過去に基づく型、生理学的型、そして微小文化のレベルについていままで論じてきた。

 統一的な思想体系をもたないと「人は一種の分裂症的な分離・孤立に陥りがちになる」。前述のシカの大量死と、人口過密にともなうヨーロッパのペスト禍には共通点がある。

 人間はしゃべる内容を省略するが、これを背景で文化が補っているのだ。「観念のモデルと分類体系により、コミュニケーションの自明な部分を顕在化させ、その部分相互の関係を示さなければならない」。

 固定相空間fixed-feature spaceとは……個人および集団の活動を組織する、基礎的な方法のひとつである。建築などは、人間の内面もまた規定し、あらわすものだ。アメリカの整然とした区画になれた人間は、ヨーロッパや日本でしばしば道に迷う。「ヨーロッパの体系は線を強調し、それに名をつける。日本人は交差点を技術的に取り扱い、線のことは忘れてしまう」。日本で名づけられるのは交差点であって道ではない。

 アメリカ人もまた狭いと嘆く。チャーチル曰く「われわれは建物を作り、建物がわれわれを作る」。日本は、交差点の文化に自動車を受け入れた……「東京が交通渋滞をおこすので世界的に有名なのはこのためである」。インドも都市は過密で社会も階層により細分化されているので、自動車導入は成功していない。アメリカにやってきたアラブ人は狭くて眺めがないと意気消沈する。

 文明のちがいだけでなく、技術の進歩によっても、空間と感覚の不一致はうまれる。

 半固定相空間……オズモンド医師は離社会的空間と集社会的空間を発見した。カフェは人が話しやすいよう設計されているが、鉄道・病院の待合室は会話をやめさせるようできている。半固定相空間の構成は、行動に深く影響する。椅子を整頓すると、会話が不可能になることはよくある。

 日本では、壁(フスマ)は半固定相だった。合衆国とことなり、やることによって部屋を変えることをしなかった。中国人の客は、主人に言われぬかぎり絶対に椅子を動かさない。彼らにとって椅子は壁や天井と一緒である。声と同じように、物の使い方によっても個人は特徴的に分けられる。

 非公式空間……人間と出会ったときの距離にかんするもので、もっとも重要なものだ。言い表されないが、まさにかくれた次元である。

 

 第十章 人間における距離

 人間は逃走距離と臨界距離は失ったが、個体距離と社会距離は明らかにまだ存在している。二人の人間が距離を知るひとつの手だては、まず声の大きさである。人間間の距離は、密接距離、個体距離、社会距離、公衆距離の四つに分類された。どの距離をとるかには、人々のそのときの感情が大きく影響する。激怒した人間は近寄ってくる。男は女に好意をもつと近寄ってくる。

 人間は「多種多様の情報を与える、一連の伸縮する場によって囲まれている」。内向型・外向型、アポロ型・デュオニュソス型、権威主義平等主義といったタイプとおなじように、四つの空間にたいする適性のパーソナリティもまた存在する。

 公衆的空間を体得できなかった人間は、発言者、調停者としては失格である。密接距離、個体距離に困難を感じる対人恐怖症は大勢いる。

 アメリカ人は外国人に密接距離に入られると不快になる、「おまえの顔をおれからどけろ」。地下鉄ではお互いに動かず、体を触れ合わないことで密接距離から親密さをとりのぞこうとする。満員エレベーターでは手をのけ、目はあらぬ方向を見やる。
個体距離と社会距離の境界は「支配の限界」を示す。個人的でない用件は社会距離を通しておこなわれる。ここで人を見下ろすと威圧感を与える。上司の机は部下を適切な社会距離まで隔離する役目をする。

 ――社会距離のプロクセミックス的特徴は、人を隔離し遮蔽することである。

 公衆距離では声よりも身振りが重要になり、また話すことばは「凍結の文体」になる。これは「最後まで知り合いになることのない人々に対して」用いられる。人間は中心窩のなかでアリの集団になる。

 なぜ距離の分類は四つなのか? 「科学者は分類の体系に対して基本的な欲求をもっている」。この距離、プロクセミックス分類の背後には、動物のなわばり行動がある。鳥獣も密接、個体、社会の距離をもっている。

 スペイン、ポルトガル、およびその植民地諸国は、家族―非家族を分ける。アラブ人、ユダヤ人は親類と他人を厳重に区別する。アラブ人の、非公式空間の組織化体系は、アメリカとは非常に異なっている。アラブ農夫の族長や神にたいする関係は、仲介者なしの個人的関係である。人間は体の体積だけでなくそのまわりにスペースを必要とする。

 世界中で都市化がすすみ、人々はファイリング・ボックスに収納されつつある。感覚と不一致をおこし、狭苦しいと感じると、人々はだんだん怒りっぽくなる。以下、それぞれの民族のプロクセミックスを論じていく。

 

かくれた次元

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