うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『かくれた次元』エドワード・ホール その1

 各文化による人との距離のとりかたの違いなどを論じた本。人によって感じ方は変わる。また、動物としての特性はいまだに大きな割合を占めている。

 だいぶ前に読んだ本だが、言語と現実認識との関わり、動物の本能に関する点など、現在の研究とはかけ離れた点もあるため、注意が必要となる。

 

 世界ぜんたいとのかかわりが喪われていると感じることの多くなった現在、「人間が対応してゆかねばならぬ大量の、しかも急速に変化する情報を統合してゆきやすくする必要が、ますます増しつつある」。著者曰くこの本は特定の専門分野に属さない。

 人間はあくまで一個の生物である。この本がテーマにしているのは「ある文化に属するメンバーが共有し、知らず知らずに伝えあう、そして同時に他のすべてのものごとを判断する背景をなしているあの深い、共通の、口に出してはいわれない体験の問題なのである」。

 異なる文化システム間にあつれきが生じるのは、都市に人がなだれこむことにより、国内でもおこりつつある。それぞれの文化に属する人間が空間をどう捉えるか。

 

 第一章 コミュニケーションとしての文化

 「プロクセミックスproxemics」とはなにか……ボアズは「コミュニケーションとは、文化いやじつに生活それ自体の核であるという見解の基礎をうちたてた」。サピアとブルームフィールドは言語のそれぞれがひとつの閉じた系であることを発見した。その後ウォーフは「言語は思想形成のひとつの主要な要素である」と主張した。世界認識は言語にしたがっておこなわれる(ウォーフ仮説は現在では疑問もあるが)。

 このことは、自由意志の概念をゆさぶった。体験は普遍的ではなく、受け取る人間によってどうとらえられるかはまったく異なる。

 「異なる文化に属する人々は、ちがう言語をしゃべるだけでなく、おそらくもっと重要なことに、ちがう感覚世界に住んでいる」。

 体験とは文化という舞台のなかで生じるものだ。

 たとえば、アラブ人とアメリカ人は、生涯の大部分が異なる感覚世界に住んでいて、会話のときでさえ共通の感覚を用いていない。アラブ人はより嗅覚や触覚を使う。文化は「生物学と生理学に深く根ざしたものだ」。人間は延長物(人間の諸機能の拡張)をつくりだす生物である。

 「言語は体験を、記述は言語を時間・空間内に延長した」。

 だから、ついわれわれの本性が動物に基づいていることを忘れがちである。人間は体ではなく延長物を進化させた。

 コミュニケーションの際、予示的部分では、相手の微妙な反応を感じることで、争いに発展したり敵意を生んだりすることを避けている。だが、異文化の混交した場所では、この予示を読み取れないことから問題がおきやすい。

 動物行動学者(エソロジスト)のコンラート・ローレンツは、「攻撃性というものが生活の必須の構成要素であると考えている」。動物は個体数が増えすぎて密集するとストレスが強くなる。食料は二次的であり、あくまでこの混みあいcrowdingが種の崩壊の主因となる。

 人間は文化とともに自身を家畜化し異なる世界をつくりだした。世界によって、混みあいと感じる基準も、攻撃性誘発の原因も異なる。アメリカでは黒人とスペイン人が多大なストレスを受けているようだ。言語によるものだけでなく、沈黙のコミュニケーションを読みとることが、異なる世界を理解するためには欠かせない。

 

 第二章 動物における距離の調節

 H・E・ハワードは鳥の「なわばり行動territoriality」について研究した。これは「動物がある土地を自分の土地だととくに主張し、同じ種の他個体から防衛する行動」である。さらにヘーディガーによればなわばり行動は、「固体密度を調節することによって種の繁栄を保証するものである」。これをスペーシングという。

 また劣等個体も、自分のなわばりの中では優位な個体に勝つ。このことで「種の多様性が高められるので、優位の個体が進化のおこる方向を凍結してしまうことを防ぐ」。このなわばり行動は人間も含めた動物の基本的な行動系である。

 個々の動物は自分のまわりに空間をもっている。「逃走距離」と「臨界距離」は異なる種の個体が出会ったときに用いられる。「個体距離」と「社会距離」は同じ種のメンバーが相互にかかわるとき認められる。

 大きい動物ほど、逃走距離が大きい。一方ヤモリは約二メートルほどまで近づかないと逃げ出さない。逃走反応は生存のための基本的機構である。人間は不完全な家畜化しかできなかったので、この逃走距離が残っている。自分の境界は体の外にまで広がっている。

 

 逃走距離のあるところには臨界距離がある。これは「逃走距離と攻撃距離との間のせまい帯のことをいう」。人間が逃走距離を越えてなお近づくと、追い詰められたライオンは向きを転じて人間に忍び寄ってくる。

 動物には群がって体を接しあう接触性動物と、接触を避けて距離をあける非接触性動物がある。前者は豚、カバ、セイウチ、インコ、後者はウマ、イヌ、ネコ、タカなどだ。接触性動物は「互いによくインヴォルヴ」されているという。非接触性動物は、群集ストレスにずっと弱いのかもしれない。

 個体距離は、「非接触性動物が彼らの仲間との間におく正常な空間」のことである。社会的地位の高い個体は、低い個体より大きい個体距離をもつ。劣位の個体は優位の個体に場所をゆずる。

 「攻撃性は脊椎動物の心理構造における本質的な要素である」。

 攻撃的な動物ほど強烈な誇示をおこなう。だが、種の保持のために同種間のあらそいは制御されなければならない……それで社会的順位や、スペーシングが発達したのだ。

 社会距離は、社会性動物がその種のなかに入っていられる距離のことである。そこを越えると、個体は不安を感じはじめる。フラミンゴの社会距離は短く、いつも寄り集まっているが、ニワシドリは不快な鳴き声によって数千フィート以上へだてながらも接触を保っている。人間の社会距離は各種技術の発展により大幅に延長されている。電話、テレビ、インターネットはむしろ統合を保つためのものである。

 動物は過密になると人口の調節をおこなうが、たとえば深海蟹は弱い個体を殺して食べる。スカンジナヴィアのレミングが大量に崖から飛び降りるのも、個体群密度(density)による崩壊であるとわかった。

 ※ レミングス集団自殺は後に誤認識と判明している。

 メリーランド州ジェームズ島におけるニホンジカの大量死は、過密によるストレスであったとされる。ストレスが大きくなると副腎が肥大する。死んだシカの九割は牝と仔ジカだった。

 

 ――彼がフクロウの胃の内容物をしらべてみたところ、その大部分は若いか、未熟か、年寄りか、さもなくば病気の(つまり動作がのろくて捕食者から逃げられなかった)動物によって占められていることがわかった。

 ニオイネズミも「人間と同じように、混みあいに由来するストレスのもとでは残忍になる傾向がある」。出生率も低下する。捕食者とえものの関係は、巧妙な共生関係のひとつであるという。捕食者は「たえず環境としての圧力を加えてえものの種を改良してゆくように働く」。だが、やはり個体数の増減に重要なのは混みあいによるストレスである。

かくれた次元

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