うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『プレクサス』ヘンリー・ミラー その3

 ――スタンレイのうしろには、いつも、戦士、外交官、詩人、音楽家といった系列が見えるのに、このおれはといえば、祖先なんてものがまるでいないのだ。自分でつくりあげるしかないのだ。

 

 彼は自分を「どこの馬の骨ともわからぬ祖先をもった一アメリカ人にすぎない」と考えていた。また、ブルックリン生まれはみなクズになるというのが通説だった。

 スウェーデン人の完璧超人カレン・ラングレンの家に滞在することになった。ミラーとはことなり彼はオックスフォードで完璧な教養の基礎と訓練法を身につけていた。平日の昼間、労働者たちがあわてて仕事場にかけこむ時間に、ミラーは高見の見物をして動物園を見る。

 夢についての記録。ゴットフリート・ベンの引用に、ウルリックは感心する。

 「もしも論理的上部構造が崩れ、頭皮が前太陰的な状態の攻撃に倦み疲れて……中間的頭脳の世襲財産は……破れ避けた心理学的主体」。ゴットフリート・ベンとフーゴー・バル。

 ――われわれ人間という生物学的存在は、その肉体のうちに二百もの退化器官を有している。魂がどれほど多くのものを有しているかは知るかぎりではない。

 

 彼が元妻の娘を見に行ったときの話。ミラーは小汚い格好で行ったため、女の子のなかのどれが娘かわからず、また娘もミラーの方へ行こうとしなかった。

 「不意にぼくは、みっともない自分の姿に気がついた……なんということだ、これではまるで人さらいそっくりの恰好じゃないか」

 ――人さらい! あの子の母親は、道でぼくに会っても決して口を聞いてはならぬと口をすっぱくして言い聞かせたことだろう。

 娘は父ミラーを目撃して、おびえて逃げ去ってしまった。

 「父親が戸口に身をひそめ、誘拐魔のように、こっそり娘のほうを盗み見している。まるで安っぽい恐怖映画の一景ではないか」。

 冬になるとミラー夫妻は、グリニッチ・ヴィレッジでもぐり酒場の経営をはじめる。開店祝いに知り合いが大勢やってくる。カッツィカッツィの、彼の想像上の故郷フロレンスの逸話。十二世紀、ある学者がロボットのピコディリピピを発明したが、このロボットはまもなく学者を超える能力を身につけてしまった。

 「だが、もうひとつ驚嘆すべき、しかも同時に恐ろしい結果が生まれたかもしれない。おれたちは機械の代りに星によって動かされる従僕を使うことになったかもしれない。たぶん世界の仕事はすべて、そのような労役を求めてやむことのない奴隷的熟練工によってなされることになっただろう……」

 ――この意味においてピコディリピピは決して生きてはいなかった。この意味において、おれたちはひとりとして生きてはいない。存分に生きようではないか――それこそ、おれが言おうと試みてきたことなのだ。

 

 ――「あなたは、なぜ黙って見ているの? それとも、あなたもやはり気違いなの?」「そうなんですよ」と、ぼくは言いながら、鼻をつまんで雌山羊みたいな声を出しはじめた。

 どいつもこいつもほら話ばかりだ。もぐり酒場は破産し、あらゆる支払いにせきたてられ、ミラー、ネッド、オマラはヒッチハイクで南部に夜逃げする。ヴァージニアは「旧領地」で、礼儀正しく、高貴であり、大多数のまともな大統領はここから出た。麻薬を満載した黒人のトラックや、知り合いを殺して逃走中の農夫のトラックに乗り、フロリダのジャクソンヴィルにつく。

 「ジャクスンヴィルには、ぼくらみたいな間抜けな一旗組が溢れていた。みんなにわか景気のフロリダ南部から戻ってきた連中ばかりだった」。

 YMCAには乞食同然の廃人が百人以上もたまっている。ミラーも飢餓状態に陥る。

 彼はほうほうの体で生家に戻ってきて、一日中タイプライターの前に座っていた。ある5セント雑誌で書くことになる。彼の母曰く、ユダヤ人はクズ、ユダヤ人の言語もクズ、そして「わたしは本のことを言ってるのであって、聖書のことなど言ってません」。

 オマラからの電報で、ミラーとモナはふたたびヒッチハイクで南部に向かう。南部は暑かった。彼が執筆活動を行おうとした山小屋は食べ物に無数の蠅がたかり、髪の毛、歯、鼻にまでついた。「蠅は無料サービスである」。南部人はなにをしでかすかわからない。

 ――南部は明らかにぼくらを堕落させつつあった……暑さが、ぼくらの気力の喪失と大いに関係していた……土地の人間に共通した無感覚さは、ぼくら自身の無感覚さを強めるだけであった。真空のなかで嗜眠状態に入っていたようなものだ。芸術ということばは、だれの口からも聞いたことがなかった。南部人の辞書には「芸術」という語はなかったのだ。こんな哀れな連中よりは、チェロキー族のほうが、よほどましな芸術を生み出したのではあるまいかとさえ思われた。

 「環境の美しさは、かえって人の心を荒らすのに役立つだけである」。

 ミラー曰く、ニグロとインディアンが力をあわせて白人を追い出せば、ここは繁栄するだろう。

 このようなところから文学をうみだしたトマス・ウルフとフォークナーは偉大であろう。

  黒人社会活動家デュボイスと、一八五九年の奴隷反乱の指導者ジョン・ブラウン

 「せめて彼が狂信的なところをわずかでももっていてくれたなら! ……正義の人は強硬で、情容赦を知らず、冷酷である。正義の人は、不正不義が永続するのを見るよりは、むしろこの世界に火を放ち、できるものなら自分の手でそれを潰滅させるだろう」。

 キリストそのものである、あらゆる言語を操り人を癒す能力をもつ十六歳の国籍不明の少年、クロードに会う。彼はミラーの本のなかの人物だろう。ときどき、こういう神秘的な人間が出てくる。ハガードの「女王」のようなのが。

 ――アラビア語にしろ、またナヴァホー族のことばにしろ、それを知るためには現地人にならなければだめです……ぼくらを賢明にしてくれるのは年齢ではありません。人びとは経験だというようなふりをするけれども、それでもない。要は精神の敏活さです。

 「この世において――そしてありとあらゆる世界において――階級は二つしかない。敏活なるものと死せるものとの二つです……人間は、いったんその本来の姿である神になったとき、みずからの運命を自覚する――その運命とは自由です」。

 宗教も哲学も踏み越える必要がある。何かをうえに祭ると人間はそれに踏み潰される。

 「あるものは、ただひとつ、精神です……あるものは、ただあなただけ、それ以外なにも存在してはいないのです」。

 所有せず、所有されない。落ち込む穴というものがそもそも存在しない。目を開くには寛いでいることだ。モンゴール人の系譜。曰く、彼らの目つきは白人とは違う。

 「そのとき、その場でだったよ、人間に真に必要なものがいかにすくないかということに気がついたのは。心さえ満ち足りていれば、物質的な財宝なんぞ無用だ……」、「自分で金を稼ごうと稼ぐまいと、どっちでもいいじゃないか」。

 

 ――自分自身の世界をもち、そのなかに住むことは、かならずしも、いわゆる現実の世界に眼をつむっていることを意味しはしない……芸術家は、その内面に、あらゆる世界を保有している。それでいて、彼は他のいかなる人間にも劣らずこの現実世界の強力な一部なんだ……世界は彼の媒体なのだ……おれが世界を照らし出すんだ……しかし、それを弾劾しようとは思わない。なぜなら、自分がその重要な一部であることを、その機械の有用な歯車のひとつであることを、あまりにもよく知っているからだ。

 ――ものを書こうと努力しているものにとって、思想家、それも詩人でもある思想家、つまり事物に生命を吹きこむ魂を探し求めている思想家と遭遇することほど力になることはない。

 問題をつくる習慣は、賢者と懐疑家と狂人の道へ通じている。アメリカは西洋の一部だったのだろうか? アメリカは自由の国だったか?

 「そんなクズみたいなものを読んでいると頭が狂ってしまうぞ」。

 彼はシュペングラーに感心する。ドイツ人、チュートン。「現代の神秘――金銭」。ミラーとそのまわりの人間はこのときのアメリカに幻滅、失望しているが、そこでちゃんと本を書いた。

 「正直なところ、ユダヤ人虐殺の恐怖がないのも、もの足りなかったのではないかと思う。彼は自分がデモクラシーのうつろな墓のなかで腐れ果てていると感じていた」。

 彼は圧倒された文章をよく書取っている。それらは「アルファベットの文字のように消滅することのありえないものばかりだ……」

 シュペングラーは前衛派にとっては化石だろう、だが、「ぼくにとって、オズヴァルト・シュペングラーは、いまもなお生きて健闘しているのだ」。

 おわりの、神、世界、宇宙、についての垂れ流しはまたいずれ読む。彼は自分の古傷をひらき、他人の傷を閉じるためにこの本を書いた。神はいる、神はわれわれである。

 ――無智のうちに苦しむのは恐ろしいことだ。意識しながら苦しむ、つまり苦悩の本性を知り、それを永遠に絶滅させるために苦しむことは、まったく別の意味をもっている。

 「生命の樹は、涙によってではなく、自由こそ真実かつ永続的なものであるという知識によってのみ生気を保つことができるのである」。