うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『南回帰線』ヘンリー・ミラー

 『わが読書』『北回帰線』につづく三作目。

 

 有名なことば「私の周囲のものは、ほとんど落伍者であり、落伍者でないやつは、ひどく不愉快な人間ばかりであった」。「どだい、われわれアメリカ人は非常にゲルマン民族的だ――ということは、つまり、大ばかだということだ」。

 ――しばしば私は、自分自身を非難するために、彼らを非難すべき理由を探した。なぜなら、私は多くの点で彼らに似ているからだ。

 規律にしばられぬ主人公は、真の冒険とは自我の発見であり、物理的な移動とは関係がないという。

 「北アメリカ大陸は、いまや最大多数の最大不幸を生産しつつある悪夢の国と化しているのである」。

 彼は誰か名士を殺してアメリカを転覆させたかった、彼はいっそ刑務所へぶちこまれて死ぬほうが心の平安につながるだろうと考えていた。

 食うに事欠く失業者としてぶらぶらしていたが戦争の途中、ついにメッセンジャー・ボーイになり、電信会社に就職することにした。

 「私が憤慨したのは、そのためではなくて、有能かつ卓抜な人物である私、ヘンリー・V・ミラーが、この世の最低の職を求めたというのに、彼らがそれを拒絶したということである」。

 主任になり、人事を采配することで、彼はアメリカの搾取の螺旋構造を見たのだった。メッセンジャー志願者はどれも犯罪者か詐欺師か白痴か黒人か性倒錯者だった。

 「概して重要なことは、たえず雇い入れ、首を切りつづけることであった」。

 「人間はあらゆる点で貧しかった――過去もつねにそうであったし、将来もつねにそうであるだろう」。

 彼は雇用主任として、親切であること、寛大であること、忍耐強いことを心がけた。

 

 「人間は才知がとぼしければとぼしいほど、世の風当たりが強いようだ」。

 連語を多用する……そして、どこへ行っても同じように、飢えや屈辱、無知、悪徳、貪欲、搾取、陰謀、拷問、独裁、人間が人間に加える残虐行為、手かせ足かせ、鞭、拍車のあることを知った。

 奇怪な配達員の紹介がつづく。

 

 ――こうして、恒常的な均衡状態のなかにいると、おそろしく陽気になる。いわば不自然な明朗快活さを身につけるようになるのだ。現在の世界には、以上の論旨をよく理解している人種が、二つある――ユダヤ人と中国人である……あなたは、いつもおかしくないときに笑うくせがある。そのために、あなたは、実際は忍耐強く神経が太いだけに過ぎないのだが、非常に残酷な薄情な人間かのように思われてしまうのである。かといって、もし他人の笑うときに笑い、他人の泣くときにないていたら、結局は、他人の死ぬように死に、他人の生きるように生きなければならないだろう。ということは、自分を正常な人間にしようとして、それに負けることである。

 絶望と無能感を超越したとき、「中国人のように、異常な人生を送ることになるのである。いわば、不自然に快活で、不自然に健康で、不自然に冷淡にならざるをえないだろう」。

 

 自分自身になったとき彼はアラスカかどこかに既にいるのだ。世界は正しくも間違ってもないが、問題は自分の頭である。彼は電信会社で休暇をとり、一日に八千語近く書きちらし、みじめでどうしようもない失敗作を書いた。そして、小説を書くためには「書いて書いて書きまくらなければならない」と悟ったのだった。

 曰くありふれた貧乏話や、病気、恋、死、幻滅、あこがれに関する話や愚痴を聞くことほどくだらないことはない。人間は生きている本である。貧乏人の話は「いずれもモーゼの十戒の程度に短縮できそうなものばかりであった」。

 ――たぶん、この本を読んでも、読者は私がまだ渾沌状態にあるような印象を受けるかもしれないが、しかし、これは生きた世界の中心部で書かれているのであり、渾沌としたものは、いわば、いまでも私とまったく無関係な世界の、末梢的な、瑣末な断片にすぎない。

 自動筆記風文章に用いられるイメージは、肉体(下品な)、戦争の兵器、ニューヨークの摩天楼と工業、宇宙、太古の文明などだ。

 「私は根本的に、働く意欲を全然もたないし、社会の有益な一員になろうという意欲もないのだから……」。

 主人公はいい年になっても社会に適応できなかった、「奴らは、きれいに着飾り、ひげを剃り、香水をつけているが、要するに殺し屋か人食い人種にすぎないんだ」。

 「おれは、こんなところでぼやぼやしていないで、さっさと家へ帰って本を書かなければいけないのだ、と考えた」。

 

 

 カーリー少年は十七歳にして道徳心、羞恥心、名誉心の欠如した人間である。彼はカーリーによく裏切られたが、彼を気に入っていた。

 彼はブルックリンでの少年時代を回想する。あるときいとことカロライン伯母の家に遊びに行ったとき、そこのガキ大将たちに囲まれたので、手痛い反撃を食わせてやろうと石で殴りつけたところ、死んだ。

 ブルックリンの住民は雑多な人種から成っていた。ポーランド人、ドイツ人、アイルランド人、中国人……中国人が一人住んでいたが、ミラーたちがからかいに行ったところ残酷で不気味な表情とともにナイフをつきつけられた。女男はからかわれた。ジョン・ゲルハルトは、ユダヤ人のバーシュテインに喧嘩を売ったところぼこぼこにされてしまった。紳士のゲルハルト。

 フランス語をしゃべるクロード・ド・ロレーヌはその言語の珍しさで皆から距離を置かれた。フランス人は堕落した人間だというイメージがあった。クロードは理性的にものを言い、いちいちウィットに富んだことばを発するのだった。彼はミラーと親しくなりたがっていたが、そのことにミラーが気がついたのはこのフランス人が遠方に引っ越してからだった。

 彼らはアイスランドやペルー、エジプトなどの秘境、そしてインカ帝国、火山と地震、各国の言語をはじめさまざまな未知のものに興味を抱くのだった。

 ――人生の驚異と神秘! 私たちが社会の責任ある一員となるまで、めいめいの心のなかに抑圧されている人生の驚異と神秘。私たちが社会に働きに出されるまでは、世界は非常に狭く、私たちは、その辺境に――いわば未開拓の地に――とじこめられていた。

 彼はギリシア的だった子供の頃の世界に帰りたいという。曰く、今いるところは暗鬱で片務的な世界である(賃金労働者の世界)。

 彼はベルクソン『創造的進化』に感銘を受ける。

 「私の考えでは、ある本の意味を理解することは、その本が視界から消えてしまうこと、それが生きながら噛まれ消化されて血肉となり、その血肉が、さらに新しい精神を生んで、世界を再構成することにほかならない」。

 「無目的の放浪は、それ自体充足したものなのだ」。

 シュルレアリスム風文章がかなり分量を占めている。She(ハガードのか)についての暴走文がつづく。

 ――そのころの私は、科学や哲学、宗教史、帰納論理、演繹論理、肝臓占い、頭蓋骨の形態や重量、薬学、治金学など、到達する以前に早くも消化不良の憂鬱症になってしまいそうなあらゆる分野の無益な学問を頭につめこんでいた。へどのようなこれらの学問的ガラクタは、まる一週間ほど私の腹のなかでぐつぐつと煮えくりかえっていて、日曜日になって音楽にされるのを待っていた。

 彼はブルックリンの知人たちを、その弱点をもって親しんだのだった。将校の大部分は味方に殺された。

 「ところが、きみというふざけた野郎は、高邁な理想にとりつかれ、世界を改造するとかなんとかわけのわからない議論にうつつをぬかして、これっぽっちも金のために働こうとはしないのだ――だれかが銀の皿に金をのせてもってきてくれるようなつもりでいやがるんだ」

 「これこれであることは幸福である、不幸である」というのはある側面を隠す。それはミラーが言っているような自我の側面である。

 「われわれが人生と呼んでいるもののほとんどすべては、われわれが眠る習性をうしなったことに原因する単なる不眠症と苦悶にすぎないのだ」。

 ――発電機が、人生や平和や現実について、いったいなにを知っているというのか。アメリカの発電機的人間が、知恵やエネルギーについて、あるいは木の下で瞑想にふけっている乞食の豊かな永遠の生命について、いったいなにを知っているというのか。

 「寛大さ――わかるかね? きみたちは、だれも、平和なときも戦争中も、全然それを実行しなかった」、「寛大というのはな、相手が口をひらく前にイエスということなんだ」。

 ダンテ『神曲』の英訳。シュールレアリスト、ツァラ、エリー・フォール、ニジンスキーらに影響を受けたという読書、芸術遍歴がはじまる。

 

 人生の恐怖とは、すぐに馴れてしまう災害や地震ではなく、金がなくなることだ。

 「たとえ餓死しようとも、他人に物を売りつけるようなことは二度とやるまい」。

 われわれを支配しているのは機会の歯車である。

 「私は、生活のためにという欺瞞によって機械的な前進をつづけるよりも、パンを手に入れるために銃をとって隣人を殺す奴のほうが好きだ」。

 南部のタバコ畑で、黒人奴隷たちは白人がなにをしているかをひとつももらさずに見ていた。身分をわきまえていたのではなく、つねにナイフを構えていた。――人間の魂は、まだ幌馬車時代の旧態をつづけている。私は文明の全盛時代に生れ、それをごく自然に受け入れた……

 役立たずからごくつぶしに、そして最後には狂人に認定された。仕事時間の大半を自分の創作(『反キリスト論』と題する重要なエッセイ)に費やしてくびになる。ハムスンもまた彼に影響を与えた一人である。

 「普通の人間は概して実際的な状況を把握するのが早い……しかし、一般の人たちとまったく歩調の合わない人間は、自我の極度の過剰に苦しむか、自我をまったく没却し去らなければならない」。

 野蛮人の叡智。――だれひとり私と心から結びつくことはできなかった――なぜなら私は、たえず自分の個性を流動体にしていたからだ。

 「自分自身になること」、それを言うためにミラーは延々と文字を書きつづけている。宇宙を想像すれば、それいじょうにあなたにとって現実であるものはない。

 「思索と行動はひとつである」。

 押し付けられた概念に頼ることなく生きることが必要となる。

南回帰線 (講談社文芸文庫)

南回帰線 (講談社文芸文庫)