うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦争の科学』アーネスト・ヴォルクマン その1

 兵器等についての比較的読みやすい入門書。

 

 イントロダクション

 ゼロテを首謀者とするユダヤ人の反乱軍は、絶壁のうえに立つマサダ砦を占領しローマ軍をむかえうつ。ここでローマ軍が使ったのが攻城機と弩級である。

 「自分たちよりも科学的にはるか先をゆく文明が、四百年という時間をかけ蓄積してきた知識を相手にしては、どれほど狂信的で勇敢な戦士も敗れざるを得ない」。

 ギリシアの数学者が攻城機を用いるのに必要な傾斜路を計算し、ローマの技術者が弩咆のための丸石を削りだした。これがヨセフス『ユダヤ戦記』のなかの一節のようだ。

 エジプト、フェニキアカルタゴケルト人、ガリア人、古代の民族はみな神を信じていた。神がそれぞれの旗だったが、すべてローマの軍事力に粉砕されてしまった。実際的なローマ人は神ではなく軍事組織を信じた。

 余剰財産が生まれると戦争がうまれる。現在の戦争は食糧の簒奪と反撃からはじまった。著者は武器の技術こそが勝利を導くと考える。この技術の源は科学である。

 ――純粋科学の主流派には悪い癖があって、人類の益となった科学の応用方法については自分たちの功とするくせに、効率的な破壊をもたらす応用方法からは距離をおきたがる。

 

 第一章 いかに勇猛な戦士も、もはや無力だ!

 紀元前一四〇〇年ごろ、エジプトとヒッタイトは覇権をめぐって会戦する。貧農が狩りたてられ歩兵として参加させられる。武器は槍二本、青銅の剣、防具はひどいことに麻の服のみだった。

 エジプトとヒッタイトのもつもっともおそるべき兵器がチャリオット(古代戦車)だった。チャリオットが戦場を制し、やがて対抗する新兵器があらわれる。

 「特定の兵器に頼った支配をあまりに長くつづけてきた集団は、より優れた兵器が登場したときに対抗できなくなる」。

 チャリオットと当時考案された合成弓の組み合わせは「史上初めてのシステム化された攻撃兵器を作りあげた」。合成弓は従来よりも短く気候によって変形しない。操縦士と弓兵が乗り込み、遠方からは弓を、接近すれば槍を投げ、馬のコントロールによってすぐ安全圏に逃れることができた。

 中東に専制君主が乱立していた時代には、冶金職人をのぞいて戦争と科学はまったく無縁のものだった。錫と銅を合成した青銅が誕生したが、チャリオットの前には無力だった。これは数百台規模でやってきて歩兵の陣形を荒らしまわった。

 古代戦車は永久にその力を失わないかのように見えた。そこに出てきたのが「海の民」で、彼らは鉄をつくりだした。彼らは歩兵を鉄の武器と防具で武装させた。鉄のあとには鋼鉄が発明された。また「海の民」は騎兵を用いた。衝角のついた軍船。

 つづいてやってきたアッシリアは三万人の常備軍を養うために拡大政策をすすめる。巨大兵器ヘレポリスはローラーのついた三〇メートルほどの塔型攻城機である。この国はまた恐怖と残虐を武器に使った。しかし凡庸な指導者が続いたことと、科学者の流出により滅亡する。

 ギリシアは純粋科学の発祥とされているが、この土壌はあきらかに都市国家同士の終わりなき戦争である。

 一一○年間にもおよんだトロイ包囲を教訓にして、ギリシアの科学者は「兵器(エンジン)」たる弩咆を発明した。射出距離、ロープをねじる回数、弾道をわりだすために数学が役立った。

 

 弩咆をさらに改良させたのがカタポルトス、投石器だ。高層ビルほどの高さをもつ攻城機、トータス(亀)と呼ばれる一〇〇〇人乗りの破城鎚。

 ロードスは、島にやってくるギリシア軍に対抗してカリアスという優秀な科学者を雇った。彼は地中に穴をほらせ攻城機を地中にはまらせた。この攻城機が放棄されるとロードスの民は解体して、世界の七不思議のひとつヘリオスの巨像をつくった。
アリストテレスによる教育をうけたアレクサンドロスが世界を征服する。彼がつくったのが学問研究所(ムセイオン)だ。これは国力増大のためにつくられたのであり、

 「金を出す者がすべてを決めるのだ」。

 ローマは科学に関心がなかった。スキタイが考案した鞍と鐙により、騎兵が誕生した。三七八年、アドリアノープルの戦いでゴート騎兵は五万のローマ軍を全滅させ、皇帝ヴァレンスも戦死した。こうしてローマは野蛮人に負け、衰退した。

 

 第二章 信仰の花嫁

 一四一五年、アジャンクールの戦いでフランス騎兵部隊はイングランドの農民兵に壊滅させられた。農民兵が使ったのは長弓(ロングボウ)だった。これは十二世紀のウェールズで発明されたといわれる。一見中世の弓と代わり映えしないようにも見えるが、構造、射出力、矢の先端部分などは科学的にすぐれていることが証明されている。

 独立を宣言したウェールズ人を鎮圧しに遠征したところ、エドワード一世はこのおそるべき長弓に遭遇したのだった。かれは鎮圧すると彼らを訓練された部隊として組織した。

 ――さらに優秀な長弓兵部隊を育てるため、エドワードは国中で弓術大会を開催し、大会の優勝者に三十シリングという当時としては破格の賞金を与えた……競技参加者のなかには、ウェールズ一の弓の名手といわれた伝説の男、ロビン・フッドもいた。

 残念なことに長弓の進歩はここで止まり、英国の評論家にはナチス・ドイツでさえ長弓で対抗できるだろうという者もいた。また軽装備で騎兵にたちむかう長弓兵を育成するには十年、二十年かかる。

 中世はながいあいだ騎兵の天下だった。カール大帝のカタフラクトはのちに騎士(ナイト)となる。ノルマン人は騎兵によってサクソン人を征服した。鉄鉱の採掘されるドイツの甲冑が高い値段で取引された。

 「ドイツ製の甲冑は文明世界で最高の品質をもっており、もし請求金額が気に入らない客がいれば、その客は次の戦争を棍棒と石で闘わねばならない」。

 この甲冑に対抗するためにクロスボウが考案されたがこれは一分間に二発が限界だった。また鋼鉄製の矢はつくりが荒く命中精度も低い。甲冑などの冶金術をのぞき、科学は停滞していた、と筆者は考える。

 「腐りかけた屍体を城内に撃ちこんで死病をまき散らそうとしたことがあったし、あるドイツの城が攻められたときなど、石の代わりに荷車二千台分の厩肥が飛んできたそうだ」。

 印刷が埋もれていた軍事戦略や技術を復活させた。本から軍事科学を学んだ君主は改革にのりだした。ヨーロッパはイスラムから学んだ。長弓のつぎにやってきたのは火薬兵器である。

戦争の科学―古代投石器からハイテク・軍事革命にいたる兵器と戦争の歴史

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