うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『戦争論』ロジェ・カイヨワ その2

 

 第四章 イポリット・ド・ギベールと共和国戦争の観念

 彼はフランス革命思想の先駆であり、またクラウゼヴィッツの先駆であった。彼は、王朝は圧制にむかわざるをえないと批判し、国民の主権を説いた。彼が失脚して死んだときに、すでに革命は起こり、軍隊は(チュイルリー宮殿のスイス人部隊をのぞいて)議会への忠誠を表明していた。だが、もっとも大事なのは、コルシカ貴族出身の将校が、徴兵制を、すなわち兵即市民、市民即兵を志向していたことである。

 ギベールはディドロなどの百科全書派に属していた。彼にとっては、短い武器こそ勇気であった。彼が不満であったのは、「テュレンスやグスタフ・アドルフの時代なら一軍団をつくれるほどの人数の兵士たちが、今日では、一つの軍団のなかで大砲という戦争機械を操作することだけに使われている」ことだった。彼は、これら強力な兵器が兵学をほろぼし、偉大さを消してしまうと危惧した。

 ギベールの時代の軍隊は、異国人、浮浪人、法の保護を受けぬ者らによって構成されていた。彼曰く「国家が本当に軍事国家となるのは、共和制のなかにおいてのことだ」という。彼が評価していたのは、国民の軍隊、すなわちローマ、スイス、スウェーデン、イギリスの民兵だった。

 ――こうしてギベールは、諸国の王たちが厖大な金を払って傭兵を養い、それによって戦うというこの人為的な戦争の、真の理由を発見しえたと考えた。その真の理由とは、市民を武装させることに対しての恐怖である。

 第五章 国民戦争の到来

 フランス革命の際議会に忠誠を誓った平民あがりの将校たちは、アメリカでインディアンとともに英軍とたたかい、戦術を学んでいた(フレンチ・インディアン戦争)。伝統的な戦術の時代がおわり、共和制と全体戦争がはじまったのだった。共和制においては、兵士の義務と市民の権利とに区別はない。

 徴兵制は共和国の強化の必要性から生じた。フランス国民軍とプロイセン軍はおたがいに敬意をもって接した。徴兵制によって集められる兵力は際限がなかった。彼らは圧倒的な人海戦術でイギリス・ハノーヴァー連合軍やオーストリア軍を破った。

 この軍隊は規律も訓練も行き届いていなかった。兵は作物の刈り入れ時になると帰ってしまい、また兵士の身分によるゆすりたかりが横行した。共和制の徳の裏では醜い欲望が渦巻いていた。しかし、このことは結局利点となった。

 「それによって、機動性のある攻撃的な戦略が生まれ、定式的な陣形を攪乱することができた。狙撃兵と遊撃兵の活躍は、規則によって自発的動作ができなくなった機械人形のような敵兵たちをまごつかせた」。

 友愛の精神は昔語りになり、敵を追撃しなかった将校がギロチンにかけられた。また、捕虜をとらない(つまり全員殺害する)という法規が採択されかけた。

 民主主義と束縛は切り離せないものである。――市民は、子供としては教員から物ごとを教え込まれ、労働者となっては企業主に搾取され、機械化された労働の奴隷とされ、納税者としては国庫に収入の一部をさし出さねばならず、徴兵されては古参兵からいじめられる。

 シャトーブリアンなどは、ナポレオンらの行う大量殺戮の戦争に恐怖を抱いた。一方、軍人のジョミニは、「これからはヴァンダル族や韃靼人、フン族の行ったような過激な戦争に戻るのだ、と予言した」。工業と科学の力により、大量破壊が可能となった。もっとも大切なのは機械の性能と生産力である。

 はじめ軍隊は、貴族と賎民からなる、法とは無関係の集団だった。やがて軍隊は国民の一部となり、今日では、国民のほうが、軍隊の一時的過渡的な状態とされている。

 ――国民が軍隊と異なる点はもはや、国民のほうが不完全で、統一性と組織度が薄く、何か無定形できびしさに欠ける、というところにしかない。

 第六章 ジャン・ジョレスと社会主義的軍隊の理念

 ジョレスは第一次世界大戦前の、ドイツ社会党の党首だった。革命政権の軍隊では、「理由など考えることなく服従すること」が第一の徳とされた。

 「ある意味において軍隊というものは、妥協と弱さを認めぬ、一種の純粋な民主主義であるとも考えられる」。

 彼は(社会主義の見地から)軍隊と国民の一致を目指した。彼の、スポーツと軍人の理想の世界は、しかし、全体主義の傾向をもっていた。

 ギベールの理想もジョレスの理想も、歴史によって打ち砕かれた。国民は、「好戦的軍国主義を弱めるどころか、かえってそこに、狂信性と節度無視とをつけ加えたのであった」。

 ――軍隊の内部には、彼ら二人をひきつけずにはおかないような、一種の平等の原則が存在した。軍隊は、ある種の社会主義社会のモデルをさえ示していた。

 民主主義はナショナリズムを、社会主義全体主義を連れてきた。革命を例とする社会体系の転覆がひきおこすのはいつも、当事者さえ予想しない最悪の事態である。

 

 第2部 戦争の眩暈

 「戦争は、聖なるものの基本的性格を、高度に備えたものである」。

 戦争の賛否にまつわる論争は、宗教のそれに似ている。賛否は両義的であり激烈で、また科学的研究は嫌がられる。聖なるものは、魅惑と恐怖をもっている。戦争が宗教的感情を引き起こすようになるには、国民の総てが加害者あるいは被害者になる必要があった。

 第一章 近代戦争の諸条件

 ミラボー曰く、プロイセンは国家を持っている軍隊だ。ヘーゲル曰く、戦争は個というばらばらの存在にたいしての、最適な社会化の手段である。彼によると、ヘンリー・ミラーのような不敵な輩、「自分だけのための絶対不可侵な生活を願い、自己の安住のみを求めるような個人に対しては、政府はすべからく、ここに課された労働のなかで、彼らの支配者である死がいかなるものか、思い知らせてやる必要がある」。

 この哲学者はさらっととんでもないことを言っていたようだ。

 近代戦争の条件とは何か……ナポレオン戦争に従軍したクラウゼヴィッツは、まず「極端への飛躍の原理」をあげた。

 「自分が躊躇しているところのことを相手が実行するのではないかと彼我おのおのが恐れ、そのために、戦争に賭けられた得失がいかにつまらぬものであったとしても、あらん限りの力を出し切るところまで、両者の戦いはたえずエスカレートしていってしまう、というのである」。

 だが、もはや本来の政治的目的さえも捨て置かれるようになった。手段が目的から分離して、ただ相手を凌駕することにのみ主眼が置かれることになる。戦争は政治の道具であるとは彼の言葉だが、後継者ルーデンドルフは「政治は戦争の道具である」と述べた。

 ――戦争は事実上<目的を超越した>ものとなったのである。

 アッシリア王アスルナジルパルは自分の残虐行為を誇った。ほかチンギスハンやベルトラン・ド・ボルンなど王にとって戦争は「栄光の源であった」。

 戦争が精神的意義をもちはじめたのは、戦争が非人間的になったときだった。神聖なものは、人間とは異質だからである。遊戯・スポーツから殺し合いになるにつれて、人びとは畏れを抱いた。メーストル曰く殺戮は全体的な調和の一要素である。戦争によって人間は、すべてを律している不可避な力のあることを知る。

 第二章 戦争の予言者たち

 一八六〇年から一八八〇年の平和な時代、プルードンラスキンドストエフスキーの三人が戦争擁護論を発表した。彼らはいずれも軍人とは縁遠く、変化しつつある世界への不安から、対抗物として戦争を用いた。

 プルードン曰く、戦争は神の御業であり人間を動物から区別するものである。だが、彼は最後に、戦争はもうおこらないだろう、と『戦争と平和』に寄せて書いた。

 ラスキン曰く、「美術は人民が兵士となるところにしか栄えぬ」、牧畜民と農耕民はなんの芸術も生まず、商工業は美術の破壊者である。偉大な芸術とは戦争の叙述である。ローマ芸術が陳腐なのは彼らが本質的には武人でなかったからだ。

 「すなわち、戦争は人間のもつあらゆる高い徳とすぐれた能力の基礎なのだ」。

 文明は戦争から生まれ平和によって亡ぶ。

 だが、ラスキンは当時起こりつつあった容赦のない戦争に恐怖を感じ、すばらしい戦争がすたれてしまったと考えた。

 「肝心なことは、ラケットをもったテニスの選手の像を造るよりは、楯と剣をもった騎士の像を造った方がよい、ということであった」。

 彼は近代戦を否定した。

 ドストエフスキーは前二者とは違い、現実の戦争の、近代戦の結果こそが問題だった。戦争は科学や芸術に刺激をあたえ、社会の老廃物を捨てる。戦争においては「すべての人間が、ヒロイズムの前において平等の立場におかれる」。戦争は腐敗した平和のなかでみじめに嘲笑される大衆に、尊厳を取り戻させる。

 

戦争論―われわれの内にひそむ女神ベローナ (りぶらりあ選書)

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