うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『アメリカの反知性主義』リチャード・ホーフスタッター その2

 第二部 心情の宗教

 知識人と反知性主義とのたたかいは、まず近代初期プロテスタンティズムからはじまった。アメリカでは信仰において感情が知性をくだした。洗練された貴族たちのカトリックにたいして、民衆は簡潔で熱狂的なプロテスタントに惹かれた。内的経験に重きをおくため、数多くの宗派に分裂した。熱狂主義は制度よりも個人のカリスマ性を重視する。福音主義は聖書を絶対視する。千年王国派、再洗礼派、求正教徒(seekers)、喧騒派、クエーカーははじめイギリスでうまれた。

 開拓当初、ハーヴァードのあるニュー・イングランドは学問を大変重んじる地域だった。一七〇〇年には、アメリカ(ニュー・イングランド)の人口はわずか十万人ほどだったが、ハーヴァードの卒業生はオクスフォード、ケンブリッジのそれに匹敵するとされた。学識ある牧師はピューリタン社会に受け入れられた。それが、なぜ現在、知的な牧師というと非寛容的な、セーレム的な牧師像が連想されるのか。

 教育ある牧師が完全に否定される最初の事件は、十八世紀半ばの「大覚醒」(信仰復興運動)である。カリスマ牧師のあいつぐ登場。大覚醒を批判するチョーンシー曰く「彼らは学問を無視して、精神の力に頼っている。これほど多くの者が学校や大学をないがしろにしているのはそのためだ」。

 大覚醒は民主主義と人道主義(奴隷制批判など)をもたらした一方、反知性主義をも拡大した。

 ピューリタンの時代がおわり、福音主義がはじまった。開拓途上の中西部や南部が、福音主義牧師の活動場所となった。カロライナの住民はいっさいの知識を軽蔑していて、聖公会牧師をして「イギリスの下層民とおなじ」といわしめた。開拓前線では共同体が形をなさない。

 「イリノイ準州の中心都市カスカスキアでは、まともな聖書が一冊もなかった」。

 学校もない、識字人もいない南部では、鼻が長いことが問題でないのと同様無知で無学であることはなんの欠点でもなかった。

 ――忌まわしい爬虫類的生物には、よどんだ水たまりが適しているのだ! 喧しい嫉妬、膨れ上がる偏見、渦巻く猜疑心。虫のごとき盲目。鰐のごとき悪意……

 彼ら西部人と南部人は貧困と労働とインディアンとのたたかいに明け暮れて、文化に触れる余裕などなかった。

 「自分たちが持ちえないものは否定するほうが、欠落を自身のいたらなさとして認めるよりも楽だった」。

 演説会場に武器をもって殴りこんでくる者のいる土地では、主知的な東部の牧師は用を成さない。ここで福音主義はレベルを下げて彼らをうまく導くことに成功した。

 ――この社会は勇気と品格、忍耐力と実践的な抜けめなさを備えていたが、詩人や芸術家、学者を生み出す風土はもっていなかった。

 アメリカの教派主義は十九世紀に浸透した。アメリカでは自発的に好きな教派に加入する。未来志向の、歴史を軽視する諸派が歓迎された。

 「聖書をつうじて天からやってきたセクト」。

 教会の中央部というものがなくなった。

 「「スター」システムは、演劇界よりも早く宗教界で広まったのだ」。

 福音主義の三大宗派が長老派、メソディスト、パブティストとなった。長老派は徐々に反知性的になり、メソディストは熱心な巡回牧師が教育のない民衆の支持を得て、パブティストも似たような道をたどった。メソディストはやがて都市部に根付くために教育の意義を見直したが、これには反発もあった。パブティストは知識・学問の軽視がもっとも根強かった。暗愚だとしてもっとも迫害をうけたのもこの宗派だった。

 南北戦争後にあらわれた会衆派ドワイト・ムーディは、まったく教育を受けなかったが、そのカリスマ性で国際的な支持を得た。彼の演説にはほぼ全教派が関心を示した。かれはよみがえった復興運動主義者だった。

 「教育を受けたならず者は、ならず者のなかでもっともたちが悪い」。

 彼は聖書しか読まなかった。文化も演劇も小説も邪魔だ。科学も、とくに進化論は邪悪である。

 元弁護士のフィニーが「理性的な説教のなかに法律の訓練が活かされていることを誇りにしていた」のにたいし、元ビジネスマンのムーディは「ときに救済のセールスマンのようだった」。これが福音主義とビジネス精神の結合のはじまりである。つづくビリー・サンディはさらに粗野なことばを使い、服装は成金だった。

 十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、キリスト教は力を失った。近代主義や科学が知識人だけでなく一般大衆にも広がり、都市の発展が宗教への関心を失わせた。この時期からファンダメンタリズムは敵意や憎悪をあらわにしていく。

 ――「地獄はある。聖書がそういっているのに信じないというなら、お前たちは邪悪で下劣で堕落している。大ばか者め!」「何千人もの大学卒業生がまっさかさまに地獄へ落ちる。もし私が一〇〇万ドルもっていたなら、九九万九九九九ドルは教会に寄贈する。教育に払うのは一ドルで十分だ」「神のことばと違ったことをいうなら、学者は地獄へ行け」。

 とくに大きな敵となったのは進化論である。子供が大学を出たら進化論者になっていて、両親の宗教を嘲るようになる、こういう危惧が根本主義者のあいだにおこった。やがて根本主義は右翼と結びついた。二〇世紀の右翼指導者のほとんどは牧師または元牧師である。二〇年代は反ドイツ、冷戦時は反ソビエトを旗にした。

 「政治的不寛容と人種的偏見にかんする研究によれば、熱心かつ厳格な宗教信仰と政治的・人種的憎悪とのあいだには強い相関関係がある」。

 根本主義は世俗化の過程で政治心情になっていった。カトリック原理主義者も、根本主義と同盟を組んで、南部では人種差別廃止運動にたいして闘った。

 なぜ現代は右翼的心性にたいして「きわめて懐疑的であり、理解力も欠いている」のか。

 「政治的知性の態度は本質的に相対主義的で懐疑的だが、同時に慎重で人間的なものでもある」。

 一方、根本主義者の精神、右翼的心性は異質である。

 ――本質的にマニ教的思想をもつ彼らは、世界を絶対善と絶対悪の戦場とみなし、妥協を軽蔑し、いかなるあいまいさも許さない。

 たとえば共産主義者を一度も目にしたことがなくても、国内の共産主義者を敵の象徴としてとらえる。彼らにとって、冷戦は権力バランスの問題ではなく、精神的な闘いの場であった。

 カトリックについては、アイルランド的戦闘性を受け継ぎ、また支持層も貧しい移民が主だったため、はじめ知的生産を行わなかった。近年ではましになったものの、一部は根本主義者と手を組んで超保守的運動を展開している。

 

アメリカの反知性主義

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