うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『断作戦』古山高麗雄

 古山戦記三部作のはじめ。騰越作戦で生き残った芳太郎について。中国戦線での雲南もまた激戦区であったらしい。これは小説だから書き手は古山ではない。

 落合一政は、従軍経験者と親交を結ぶうち、詩人である吉田に戦争体験の手記を書いてみないかとすすめられる。そこから、一政の騰越守備隊での回想がはじまる。騰越守備隊は将校が全滅したため、いままで詳細な状況が書かれてこなかったのだった。

 ビルマ戦線、雲南についての戦記は、古山以外にはあまり見ないな。この小説にも言及されている『菊と龍』相良著は、主人公一政によればいささか美化されている嫌いがあるという。

 前線で戦っていた一政のような兵士によると、彼らは戦況などまったくわからなかった。戦後、将校らの回想や戦記を読むことで、自分たちがどのような戦闘に参加していたかがわかるのだ。中国戦線、大陸の方はどこか開放的なイメージがあるが、騰越や竜陵など、玉砕が多いのをみるとそんなことはないようだ。

 一政にも芳太郎にも、復員して帰宅してから自分の戦死広報が届いたのだった。

 「一人を射殺しただけで、興奮した。戦争とはいえ、なにしろ初めて人を殺したのである。自分があんなふうに撃たれることもあるわけだ、と思った。殺したことに興奮したのか、自分が殺されなかったことに興奮したのか、その両方なのか、わからない」。

 第三十三軍の断作戦。

 「忘れられた戦場や忘れられた陣地は、山ほどあるのだ」。

 章ごとに落合一政の視点と白石芳太郎の視点が入れ替わる。芳太郎は、一政や新聞記者の萩原の文章力に感心しつつ、じぶんの手記を見るとその文才のなさにがっかりしている。龍と菊というのは兄弟師団であったようだ。連合軍の援助物資を受け取った雲南遠征軍とのたたかい。軍馬は支給品であって天皇の所有だから兵隊よりも偉いのだと、一政は上官に言われた。

 

 雲南の山道は高度五〇〇〇メートル近くあり凍死するほど寒い。

 「一政は、背筋を水が流れるような寒さ、と書いているが、あの寒気を、猛烈な寒さだとか、厳しい寒さだとか、ぶっきらぼうに書いただけでは、経験しない者にはわからないだろう」。

 高黎貢山での日本軍は、遠征軍の海の中の島のようなものだった。勝利に浮かれて戦線を拡大した日本軍は、伸びきったゴムのようになっていた。騰越などはすべて城で、中国の城というのは砦に囲まれた町ということである。敵は蒋介石

 防衛庁編纂の『戦史叢書』と、野口現自衛隊戦史教官によって書かれた『陸戦史叢書』。冷水溝、龍陵、拉孟近辺の戦闘と行軍が延々と思い出されていく。

 「いきり立たなくても伝えることはできる、伝えられんもんはどんなにいきり立っても伝えられんのじゃなかでしょうか。私は、今、反戦反戦ちゅうて騒いどる人を見ると、こん人たちは時代が変われば、撃ちてしやまんの、聖戦の奉公のちゅうて、騒ぐんじゃろうと思われてならんです」

 「しかし、結局、性格が自分の生き方を決めてしまう、これはもうどうにもならないのだ、と一政は思うのであった」。

 玉砕部隊から生還した一政は、遺族に各兵隊の死を伝えなければならないという義務感を感じる。だが話せるものとそうでないものがある。

 「あの中隊長の遺族に、あなたのご主人は、あるいはあなたのお父さんは、下の者にひどい人だったので恨まれて、ついに耐えきれなくなった部下に射殺されたのだと伝えて何の益があろうか」。

 「断作戦を計画したのは、辻政信参謀である……断作戦というのは、印支地上連絡企図を遮断する意味で、断とつけたのだという」。

 ――そう言えば、いつだったか、奥州町の萩原稔が、戦場に行って生死の境をさまよったもんは、みんな運命論者になるんじゃなかね、と言ったが、自分は運命論者と言うよりは、運論者といったところだろうな、ま、運命も運も同じことなのかも知れないが、と芳太郎は思った。

 菊と龍の師団は北九州出身者で構成される。七月中旬、来鳳山が陥落し、青天白日旗がひるがえる。すると遠征軍は、今度は騰越に目標を定めるのだった。ここで一政と芳太郎はともに防戦したのだった。

 騰越守備隊の死守はつづく。一政の記憶と、『戦史叢書』にある記録との相異。兵隊のなかには、職業野球の巨人軍でキャッチャーをやっていたものもいて、手榴弾投げがうまかった。二人は虚弱な兵士だった浜崎のことから交友をはじめたのだった。浜崎の死にざまを彼の妹に伝える必要がある。

 一政と芳太郎は、温泉がてら浜崎の妹田村に会いに行くため東京に出てくる。

 老人たちは古くからある地名や、新幹線、飛行機、電車といった普通名詞しか使わないので、80年代の雰囲気はない。無色透明の日本を書くことができるのは老人だけなのだろうか。

 ――有事立法反対、原爆許すまじ、は言いやすいが、憲法改正賛成、とは言いにくい。有事立法も憲法改正も戦争につながるという。戦争につながるものは芽のうちに、いや芽を出す前に摘み取らなければならないという。反戦を叫ぶ声は衰えない。しかし、戦争は、遠くなった。

 

 復員したものの中には精神に異常をきたすものが少なくない。突然の自殺や、一政のように酒乱になるなど、症状はさまざまだ。

 「わけ知り顔で説明する人はいるだろうが、説明しようのないものだ」。

 浜崎の妹、田村は反応が薄かった。出征のとき、兄は軍国少女の妹に、万歳などするなと言ったのだった。

 「兄は、非国民になれるといいんだけど、足が洗えないということは、非国民になれないということだ、ネコっかぶりの少数派にしかなれないんだ、って、言いましたわ」

 芳太郎も戦争はよくないと今では考えているが、反戦反戦と騒ぐ人間とは違い、「その考えを人に押し付けたり、金切声になるようなところがまるでない」。理屈もいわず、人の理屈にはまることもない。

 

 「そこに出て来る〝戦争〟は、単に、極度の苦労ということで扱われてしまうのであった。苦労の経験も理想もない人がふえているんですね。だから、みんな、安易な拝金、拝物主義に走ってしまうんでしょうね」。

 田村のなかでもう戦争は風化したということだろうか。従軍経験者が死んだあとに残るのは反戦反戦と騒ぐ人間と、どうでもよい人間だけなのか。いかなる記憶もいずれは忘れられてしまう。

 バルダミュかロバンソンが言っていた、一体どこの誰が、三十年戦争で死んだ一兵卒のことを思い出したりするものか、と。無駄死にのことをいっているわけではなく、災害が興味をもたれなくなる日が必ず来るということだ。

 

断作戦―戦争文学三部作〈1〉 (文春文庫)

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