うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『物理学と神』池内了

 近代科学の発展と、神(一神教の神)とのかかわりを追っていく。自然の摂理を分析する科学と、世界を創ったとされる神の存在は、互いに矛盾するものだった。それぞれの時代がこの対立にどう対処したのかという歴史は、人間が神を放逐する歴史でもあった。

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 近代自然科学は十六世紀中葉のコペルニクスから、十七世紀のガリレイデカルト、そしてニュートンによって完成される。彼らはみな完全なる神の証明をおこなおうとしていた。

 ギリシア哲学、とくにアリストテレス宇宙論は、すでに一神教の教義と対立するものだった。聖アウグスティヌスは「地球の天が宇宙の中心にある地球を取り囲んでいようと、地球のどこかにひっかかっていようと、私にとって何のかかわりがあろうか」と無視し、トマス・アキナスアリストテレスの天動説と神学教義を調和させることに力をいれた。

 近代科学確立の過程で、宇宙はひとつではなく、多元的に広がっているのではないかという説が生まれるが、これは神の存在に疑問を投げかける最初の矢であった。

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 ガリレイも教会によって裁かれたが、十八世紀以降の科学者ははっきりと神に対立することになる。科学者という職業が生まれたのもこの時代である。

 ラプラスはあらゆる法則を解明した知的存在をラプラスの悪魔と名づけ、また確率論を研究し、自然が偶然に委ねられていることを追求した。マクスウェルは分子の研究によって熱力学を発見し、宇宙がやがて熱死することを予言した。

 無から有は生じず、またエネルギーは質の悪化を進めながら増大することがわかったため、錬金術永久機関も不可能になった。熱力学による宇宙の熱死が叫ばれたころは、ちょうどダーウィンが進化論を発表した時期と重なる。

 ――科学革命後の物理学者は、悪魔の名を借りて「常識」に挑戦し、物質世界の法則を徹底させ、自ら神に挑戦する悪魔となった……神の無力さを如実に示したのだ。

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 パラドックスは、宗教や諺において用いられるが、古くは古典古代のゼノンが用いている。日本語では逆説、逆理といい、「常識的な通説あるいは経験事実に対して、その逆こそが正しいと説く論説である」。

 ゼノンの四つのパラドックスは、現代の無限論への導きとなる問題だが、当時の人間はまだ説明することができなかった。

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 神の追放は進み、やがて量子力学宇宙論があらわれる。フラクタル(自己相似性)、カオスに満ちたこれらの現象が研究されるうち、この宇宙は人間のためにつくられたのではないか、という人間原理が生まれる。人間は神を追放して自らがその座についたのだが、当然これはおかしいと著者は言う。そもそも人間が誕生したのは結果であって、人間とまったく関係ない現象でこの宇宙は満ちている。

 直線的な因果関係にない現象を複雑系というが、この複雑系は身の回りに満ち溢れている。枯葉の落ちるパターンや水滴の滴り方のみならず、パチンコ、ひいては現在の市場もまた複雑系である。

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 現在、宇宙論の正統派はビッグバンだが、定常宇宙論や宇宙項を用いた論説もまだ存在している。

 

物理学と神 (集英社新書)

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