うちゅうてきなとりで

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『比較法概論』ツヴァイゲルト ケッツ

 有斐閣『法学入門』にて薦められていた比較法の入門書。入門書とはいえ世界各国の法の歴史、制度、特色などを学ぶことができる。

 大陸法圏に入るだろうわれわれからみると英米法は興味深い。

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 まず総論において比較法の定義を述べてから、ローマ、ドイツ、英米など世界の諸法圏を検証していく。比較法ははじめ、普遍法、世界法をつくるという理想をもっておこなわれた。これは二〇世紀初頭、進歩思想がまだ力をもっていた時代の話である。

 比較法の機能はまず認識、つまり解釈、社会的紛争の防止・解決モデルの探求だが、従来これは国内法に閉じこもっておこなわれていた。またほかの機能として立法者のための資料、解釈の用具、学問における地位、超国家的統一法のための準備、などがある。

 法の国際化、超国家統一法制定に関する問題などは、現在のEU法について考えるきっかけとなる。

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 法圏の分類には様々な矛盾や問題があるが、本書ではロマン法圏、ゲルマン法圏、北欧法圏、英米法圏、そして極東、イスラーム社会主義ヒンドゥーという区分けがなされている。法圏が異なれば法はまったく別のものになる。

 たとえばイギリス人は経験的、帰納的であり、法においても判例を基盤とする。大陸人には一般化、普遍化の傾向があり、法にも演繹的傾向が見られる。

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 ロマン法圏

 ロマン法圏で核となるのは一八〇五年制定のフランス民法典(code civil)である。これは当時北部におけるゲルマン的慣習法と南部のロマン法お融合させたものであり、ほぼローマ法を前面継受したといってよい内容である。革命前まで慣習法の採録は各地で進んでいたが、はじめて全土を統一する法典がつくられたのはこのときである。革命とナポレオン治世によって既存の社会秩序は完全に消滅した。

 ――余の真の栄光は、四〇回の戦闘で勝ったことではない。ワーテルローは、多くの勝利の思い出を抹殺するであろう。何ものも抹殺しないもの、永遠に生きるもの、それは余の民法典である。

 コード・シヴィルはフランス帝国の「権力の問題」だけでなく「質の問題」の点からも、欧州、南米、ケベックルイジアナなどに広範な影響をおよぼした。またアフリカ植民地においても民法商法が施行され、同化政策の失敗した戦後もフランス人同士の係争においてはフランス法が適用されていた。

 簡潔な文言を使い、難解な法律用語を省いたこの民法はその後学説や判例によって補強されるが、これは極力隠されていた。フランスでは法律問題から判決を破棄する破毀院はじめ、小額訴訟以外はすべて匿名複数裁判官による審議がおこなわれるが、これは法源がただコード・シヴィルにのみ由来し、機械的抽象的に判決が生産されるべきという思想のためである。判決も数行に満たない場合が多く、傍論や解釈学的問題は決して記載されないという。「形式は、事物に存在を与える」のことばのとおり、簡潔、流暢、文体、印象に重きが置かれる。

 フランスでは法廷における弁護士と訴訟の事務管理を行う代訴士とが分離していたが、いまはふたつの職業が融合しつつある。日本と同じく法律家、とくに弁護士は社会的徳性が高いとされている。

 「認知制、父性確認の訴えの禁止、姦生子および乱倫子の冷遇」……ロマン法の特質として、婚外子の権利の制限があげられている。これは家族血統の安定を重視するためと、男の権利を守るためである。婚外子による「父の捜索」が禁止されていたのは、かつて、父であると疑われた多くの男性が責任や争いに巻き込まれたためである。孤児や少年盗賊団はこの法制度から生まれたのだろうか。

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 ドイツ法圏

 ドイツにおいてはフランスのようにライヒ(国家)統一がおこなわれず、各地の法の統一もおこなわれなかった。ドイツ黄帝神聖ローマ皇帝を継承した後一四〇〇年ころ、ローマ法の前面継受がおこなわれた。やがてフランス啓蒙主義・合理主義に基づく自然法がやってくるもドイツはこれに反発し、「文化的現象が……歴史的に生成し、かつ、絶えず変化する実体としての諸民族から生み出されるということに眼を向けた」。

 こうして理性信仰に対抗してドイツで生まれたのが、法学者サヴィニーを始祖とする歴史法学派である。

 歴史法学によれば法は抽象思考や理性の創造物ではなく、長い歴史を経て成長してきた民族精神Volksgeistのひとつであり、民族の所産である。

 サヴィニー以後、「ローマの法的素材の教義学的・体系的取り扱いだけしかその任務とは考えないようなパンデクテン学が現れたのである」。これはやがて純理的な概念法学へとつながる。

 ドイツ統一民法典は一九〇〇年に発効した。総則を前置するパンデクテン法学が基礎になっており、条文はフランスとは対極で精密・厳格・晦渋である。一般人に理解するのは難しいが、法律家にとっては「最高の精密計算機」とよばれる。一九世紀の所産であるため、極度に個人主義的であり(社会政策への考慮がほとんどなく)、官憲国家的傾向が強く見られる。世界でももっとも守旧的・保守的な民法典といわれるゆえんである。

 ドイツ法はまずギリシアに継承された。これは一九世紀中葉、ドイツ諸侯オットーがギリシアの帝位についたためである。またオーストリア、スイスにおいてもドイツ法の影響が見られる。特にスイス民法典は優秀であるとされ、トルコは革命時にそれまでのイスラーム法を一挙に廃止し、スイス民法を前面継受した。

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 英米法

 コモン・ローは大陸の法とまったく異なる理念に基づいている。曰く「法の生命は、論理ではなかった。それは、経験であった」。

 一〇六六年、ウィリアムⅠ率いるノルマン人はヘイスティングスのたたかいを制し、ブリテン島全土のアングロサクソン人を支配下におさめた(ノルマン・コンクエスト)。ウィリアムⅠは土地調査書(domesday book)を作成し、租税制度を整備する。コモン・ローはこのときからはじまる。

 はじめ封建領主たちの土地用益権問題にかかわる訴訟は王会がすべて管轄し、同時に刑事裁判も管轄した。やがてこの役目はウェストミンスターの法務機関に移される。

 「中世の裁判手続の技術的基礎をなしたものは、いわゆる「令状Writs」である」。これをもって聖俗諸侯は名宛人に通知を与えた。法生活においては国王が出す命令のことをいい、被告と原告双方の住所氏名を記した。

 この令状は形式化され、種別によって分類した令状目録がつくられた。また、訴権の事実認定を陪審juryに委ねた。

 「訴権法的思考」なるものはよく理解できないので、ローマ法との比較を引用しておく。

 ――広範に類似している訴訟手続開始の方式は、ローマにおいてもイギリスにおいても、法実務家が請求権に即してではなくて、訴権の類型に即して考え、そして所与の法的素材を合理的観点から構成される体系にまで加工することに対して関心をもつよりも、むしろ個々の訴権(actiones)とか令状に該当する事実関係を具体化していくことに関心をもつという結果を招来した。

 衡平法the equityとは、コモン・ローの注釈、補填に近いらしい。詳しく調べる必要がある。

 イギリスでは法曹身分は法実務家たちによって担われた。法曹学院は現在に至るまで国家から独立して運営されており、学者や官僚が法学を担う大陸法とは一線を画している。また、スチュアート朝時代にローマ法継受が画策されたのにたいし、法曹たちはこれに対抗しコモン・ローおよび衡平法(the equity)の擁護につとめた。このためコモン・ローは今でも自由と権利の保障の象徴である。

 イギリスにおける制定法は、法典化(codifying)の域を出ない。あくまで判例法が下敷きであり、現代社会の変化に伴って制定された、大陸法を判とする特別法も例外ではない。

 しかし、スコットランドはフランスと同盟してイギリスとたたかった大独立戦争(十三世紀)以来、大陸法とコモン・ローの共生ともいえる法概念を構築している。

 英国の裁判所制度は大陸と異なる。瑣末な刑法・民法上の事件は治安判事裁判所Magistratesが、それよりも訴額の大きいものは県裁判所Country courtが担当する。治安判事は地元の名士が任命されることが多い。

 ロンドンの高等法院High Court of Justiceは三つに分かれる……女王座部、衡平法部、家族部(旧・検認・離婚・海事部)の三つであり、女王座部に首席裁判官Lord Chief Justice、衡平法部に副大法官Vice Chancellor、家族部に部長Presidentが据えられている。

 高等法院の上に控訴院があり、最上級は貴族院House of Lordsである。

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 アメリカは当初コモン・ローを継承したがいまでは独自の発展を遂げている。法学の変遷は流し読みしたが、現在「アメリカ法学は、法と社会との相互関係の研究をそのもっとも重要な課題とみなしている。このような課題をもっているために、法学は、立法者によっても裁判官によっても、尊重すべきものと考えれらているのである」。教授たちは法名望家と称せられる。

 アメリカの法は人類史上もっとも複雑といわれている。連邦法と州法が並立し、各州法も独自のかたちをもっており、また統一法は商法など一部にしか存在しない。各州のロー・スクールではアメリカ共通法が教えられているが、これはもちろん現実には用いられていない。裁判所の制度も州ごとに異なるので一般化は不可能だという。

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 大陸における「体系的な概念思考」とコモン・ロー諸国における「帰納的な問題思考」とのあいだには大きな相違があるが、架橋不能なものではない。

 先例拘束性がコモン・ローの大きな特徴である。

 信託trustは英米法を特徴付ける概念である。本来はコモン・ロー上の所有者と、衡平法上の所有者、つまり受託者を分けることで、本来の所有者が死んだとき、土地が封主に返還されるのを防ぐためにつくられた。

 現在は投資信託、公益信託、議決権信託など、多様な発展を見せており、また私法上のさまざまな分野でこの概念が用いられているために、コモン・ローが生んだ万能の武器といわれる。

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 北欧法は諸国家の類似や歴史的な協調関係のため、独自の発展と法の共有をおこなうことに成功した。

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 社会主義法の原則とは「法を社会的・政治的に運用していくこと」である。しかし、帝政ロシアの法の要素を少なからず残しているため、ロシア史を参照する必要がある。

 社会主義法の重要な点は法が「教育的機能」を果たしている点にある。人民の社会主義化が政治の課題でありつまり法の課題である。

 また毛沢東中国においては法的安定性に達しないことが、国家を「永続的な革命的興奮と動揺の状態に保ち続ける」ためによしとされた。そのため秩序だった民法典も用意されず、そもそも制定法規を公開することさえしなかった。

 社会主義法圏の特質を論じるのには所有権と契約をとりあげるのがよい。

 マルクスレーニン主義においては、所有権とは普遍的なものではなくとくに資本主義を正当化するための概念であるとされる。このため私的所有権は制限される。また経済活動は国営企業や共同農場によって行われ、各企業に分割された財団(フォンド)には厳密な目的が課される。

 社会主義経済における規制の基本は、契約ではなく計画である。納入する国営企業Aと、受け取る国営企業Bのあいだには、国家による取り決めすなわち計画が存在する。細かい部分は各企業に委ねられている。この契約に違反した場合は、教育的機能の観点から罰金が支払われる。すなわちフォンドからの割り当て金が減り、その分を損害を負った企業にあてがう。

 筆者は、資本主義の社会化と、社会主義の資本主義化が進み、両者は収斂していくだろうと予測する。実際、これは的外れではなかった。

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 極東法圏

 中国、日本を中心に説明がなされるが、中国は儒教の概説程度、日本も中国の影響と開国後の簡潔な叙述にとどまる。戦前の日本は、封建領主の特権から資本家の特権に移行したにすぎず、欧米のように権利が重視されることはなかった。占領後は英米法に基づき権利の擁護や、法と社会とのかかわりの研究に重きがおかれるようになる。

 儒教倫理においては人間の社会的地位が重視され、また紛争解決においては穏便な和解がよしとされる。これはアジア経済史でも学んだことだ。社会的勢力や圧力の通用しない裁判所は、紛争解決の最終手段とされ、また、問題を法廷に持ち込むことは嫌悪される。交通事故においても法廷ではなく主に地元の警察が調停をおこなう。

 これが西洋からみると、社会の圧力に人間の尊厳が屈服させられていると映るようだ。

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 イスラーム法圏については他に専門書がある。シャリーアイスラーム法)、スンナ(クルアーンの注釈)、などを基礎とする。十九世紀、オスマン帝国を先駆けに法の近代化がはじまった。

 ヒンドゥー法圏

 ヒンドゥー法はこの本が書かれた当時は世界最古の法として有名だった。ダルマシャーストラという法典をもとに法が敷かれていたが、イギリスの領有によってアングロヒンドゥー法が施行され、さらに独立後にはヒンドゥー法の法典化がすすめられた。

 

比較法概論〈原論 上〉―私法の領域における (1974年)

比較法概論〈原論 上〉―私法の領域における (1974年)