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うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『短編小説傑作選』邱永漢

 「濁水渓」

 

 台湾統治の情景、内地人(日本人)と本島人(台湾人)との関係が詳しく描かれる。日本がかつてれっきとした宗主国であったことに気付かされた。

 たしかに展開が散漫で文も印象には残らないが、政治変動のもとで生きる人びとが克明に解説されている。彼ら台湾人は、弱いものがどうやって生き延びるかを必死に考えねばならなかった。日本人の暗愚統治がおわると、さらに輪をかけてひどい外省人がやってきた。

 中国社会とは経糸を血縁や親分子分の関係、横糸を金によってつむがれる社会である。中国ほど金が力を持つ国はない。日本人につづいてやってきた国民党政府のあいつぐ汚職に台湾人は失望するが、経済を握られている以上直線的な反抗は不可能である。

 弱いものが強いもののしたで生きるにはどうすべきか、大きく分けると反抗するか、面従腹背するか、奴隷になるかだろう。「濁水渓」の若い主人公は後先省みずに第一の道を選択したが、解放後にもっとも精力を得たのは面従腹背タイプだった。確かこれは中国の対外政策方針の根幹でもあったはずだが、要は現実的な思考が欠かせないのである。

 人間はだれでも合理的な面をもっているので必要のないことはやがて廃れる。どうやって生き延びるかを考えずとも生きられる社会にいれば生き延びる方法などは考えなくなる。法律がものをいう国家なら法律を使って生き延びようとする。学歴なら学歴、武力なら武力である。日政時代には血統が、国民党がやってきてからは金が規範となった。

 台湾人たちの、生存闘争のために奔走する人びとの姿はわれわれに本来の姿を示すのである。無秩序、秩序関係なく、闘争のなかで生きようとする動物が人間である。いかにことばや制度で隠蔽しようとこの原則は変わらない。

 「香港」

 台湾で政治犯として追及される身になった春木は香港へ流れつく。老李や大鵬らさまざまな貧乏人とともにドヤ街での生活がはじまる。香港で生活すれば政治などのことは考えなくなる。政治が人を救えるなどというのは甘い考えだと老李は言う。金がなければ香港では死ぬしかない。

 少ないドルをもとに春木たちはどうにか生き延びよう、所持金を増やそうと試行錯誤する。

 ――働け! 落伍するな! そして他人の恵みにすがるな! それは太古から涯知れぬ未来まで、人類が続く限り、変わることのない鉄則なのだ。この鉄則のゆえに、彼は歩くことを強制されているのだ。

 自分が食い扶持を得るに貧乏人同士は足を引っ張りあわねばならない。春木ははじめ抵抗を感じつつも、人の使い方を学んでいく。どんなに惨めになってもプライドや自己愛は残る。自分だけが貧乏に取り残されるのを誰もが恐れている。拝金主義社会は金を中心とした一元的な世界をつくる。ここでは万人が商人であり、商売は軟弱とは対極の仕事である。

 老李はいう、香港の自由とは、自殺する自由、飢え死にする自由、破滅する自由である。

 

邱永漢 短篇小説傑作選―見えない国境線

邱永漢 短篇小説傑作選―見えない国境線