うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『Childhood's End』Arthur C. Clarke

 「宇宙の旅」と並ぶクラークの作品。

 the Overloadsとよばれる超越者が地球にやってきた世界を主題とする。超越する存在の使い(ロボット?)があやつる巨大宇宙船が大気圏上に降下してくると、人類は無意識のうちに行動を矯正されていく。この超越者と統一政府を仲介するのがストームグレン氏やその部下ライバーグ氏である。

 完全な善の意志のもとに地球を改良していく超越者だが、その正体を明かさないことにストームグレンやレジスタンスは不満を抱くようになる。超越者は人類の導き手となり、あらゆる貧困や紛争は解消されるようになった。ところが宗教の求心力が失われることをおそれて一部の教父たちが超越者に抵抗するようになる。

 Karellen(カレリエン?)はついに人間の大地に姿をあらわすが、この場面は未知との遭遇その他に影響を与えたのだろうか。神の降臨と重なる場面だ。

 いきなりチープな宇宙人があらわれた。彼らは降臨してから徐々に人類とかかわりはじめていた。

 人類の歴史は進み、いっさいの攻撃性は失われる。静的で平和だが、活力を抜かれたような未来図である。

 ジャンとサリヴァン、二人の科学者は超越者たちの秘密を探ろうという野心を抱く。

 対立がなくなると同時に文化の根幹は失われる。グレッグソン一家のすむニュー・アテネ・スパルタは古風な直接民主制や劇(ドラマ)などを推進する地域である。

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 ユートピアが一転してディストピアとなる。ゾンビのような存在となった人類を、クラークはどういう意図で描いたのだろうか。宇宙は人間のためにあるのではない、とカレリエンたちは繰り返す。人類は完全な群生細胞となり、個人という概念は消滅する。そして人類もまた宇宙に存在するさらに巨大な精神に吸収される。地球は消滅し、人類の姿かたちも消滅する。

 これが幼年期の終わりである。幼年期をおえて秩序に組み込まれる個人と重ねることもできるが、そのような人生のたとえばなしじみた解釈は不適切だろう。

 人間が不完全な状態にあり、文明を謳歌していた時点から、すでに人間たちは宇宙の支配下にあったのだ。The Overmindから逃れる手段は、核兵器で自滅する以外になかった。つまりは不可能ということだ。

 "The space is not for a man"というテーマは、Overlordがあらわれ、Overmindに吸収されることではっきりと顕現したにすぎない。

 人類の推移をひとつの人生としてとらえること、観察者として一人の人間を脱出させておくこと、その際聖書のエピソードを用いることなど、学ぶ点が多い。

 

 

Childhood's End

Childhood's End