うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ワイマル共和国』林健太郎

 史上最大の民主主義憲法を携えた議会制国家から、なぜナチスが生まれたのを考えるのがワイマル研究第一の課題であり本書の根本でもある。

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 憲法成立までに長い混乱の時期がつづいた。まず休戦ののちも玉座を去ろうとしないヴィルヘルム二世にたいしてキール軍港で水兵が暴動をおこす。皇帝が退位すると社会民主党がマックス臨時内閣をつくり国家を安定させようと試みる。ところが今度は社会民主党の多数派エーベルト、シャイデマンらと、極左スパルタカス団やオップロイテらのあいだで対立がおこり、それぞれが煽動をおこなう。さらにドイツ軍も復古を試みる者と人民軍を名乗るものが相次いでクーデターをおこしてしまう。革命に混乱はつきもののようである。

 スパルタカス蜂起とその鎮圧によって国内はさらに混乱し、極左につづいて極右勢力がバイエルンを中心に台頭する(ヒトラー伍長が活動をはじめたのもこの頃からである)。また一大勢力となったゼークト率いる国防軍も共和国・民主主義に反対する。対外からは戦勝国が巨額の賠償金請求をもって待ち構えていた。

 賠償を激しくせまったのは復讐心にもえるフランスだった。フランスはベルギーとともにルール工業地帯(中立)を占領しドイツ経済に大打撃を与える。一兆マルクが1新マルクにとってかわったが、それでもインフレはおさまらず物価と収入の差が開くばかりだった。

 一九二〇年、ドイツ労働者党は国民社会主義ドイツ労働者党と改称するが、これはのちにナチスの略号で呼ばれる。ヒトラーミュンヘンで雄弁家としての名を挙げた。党綱領は「戦争成金からの没収、大企業の国営化、ユダヤ人追放、ヴェルサイユ条約破棄」だった。

 シュトレーゼマン外相時代、ドイツ経済はおどろくべき復興を遂げたが内閣は流動的で依然政情は不安定だった。エーベルトが大統領を辞任するとつづいて国民的英雄ヒンデンブルクがその職につく。

 シュトレーゼマンについて……「彼の行動はのちにナチスが攻撃したような西側への屈服ではなく、あくまでもドイツの国力を回復し、国家威信を高めることを目的とするものであった。彼は東西の力を巧みに利用してドイツの強大を図るという意味ではやはりビスマルクの政策の継承者だったのである」。

 ヒンデンブルクがゼークトを罷免し、彼の時代はおわる。ちなみに、ナチスが政権を握る前からすでに国防軍のなかで秘密再軍備が進められていた。ナチス生贄説はやはり一理あるようだ。

 経済復興はおもにアメリカの資本によるものだったので、大恐慌で致命的な打撃をうけるのは当然の理だった。賠償金はドーズ案、ヤング案と延々と議論されていく。
ミュラー内閣が倒壊し社会民主党が退くと、残ったのは共和国打倒を唱える極右の国家人民党や共産党だけだった。ここで軍の実質的支配者シュライヒャーがブリューニングを内閣に選出する。シュライヒャーはゼークトの後釜だが、彼は天性の陰謀家だったという。

 ブリューニングの代に行われた一九三〇年の選挙でナチスが一大躍進を遂げる。突撃隊(S・A)はもとはナチスの警備隊のようなものだったがいまや乱暴狼藉の集団になっており、トップのエルンスト・レームはナチスが政権をとったのちに突撃隊を正規軍にすることを夢見ていた。ヒトラーは忠実な武装親衛隊(S・S)をつくり、突撃隊の粛清をつとめる。

 彼は政権掌握のためには資本家と軍を味方につけることが不可欠と考えた。軍とはシュライヒャーを通じて接触し、資本家や工業家たちとのパイプ役は元ライヒスバンク総裁シャハトが果たした。ブリューニングらが恐慌打破を達成できぬあいだに失業者らはナチス共産党に依存していった。

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 従来、皇帝と官僚による統治になれていたドイツ国民は突如民主主義を与えられたときそれを生かすことができなかった。政党は特定の集団の利益しか重視せず、広く国政を考えて行動方針を定めようとしなかった。こうした状況のなかで本来中立である軍と官僚を上から掌握されればヒトラーのようなものに乗っ取られるのは避けられなかった。

 危急の事態に大統領に強い権限が与えられていたことがヒトラー台頭への陥穽となってしまったのだろうか。しかし「もはや独裁は大衆の支持なしには成立しない」というシュライヒャーの言葉通り、ナチスを支えたのは有権者である。

 

ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの (中公新書 (27))

ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの (中公新書 (27))