うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『追憶への追憶』ミラー

 人間との出会いを賞賛するもっとも効果的な方法は「人との出会いが大事」と白々しいことばを吐くのではなく人びとの列伝をつくることである。ミラーの本のけっして少なくない部分が、人間の陳列棚で構成されている。棚はミラーの設計および装飾によってつくられた。

 当初は『冷房装置の悪夢 第二部』と銘打たれ、戦後まもなく書かれたこの本は、戦時体制のアメリカおよび国家への抵抗の意志につらぬかれている。冷戦がはじまり、合衆国は愛国心と反共キャンペーンを投下していた。ミラーは空想的平和主義者として戦時社会、物量主義、ナショナリズム共産主義(ミラー曰く「新世界」)を含むあらゆるイズムを批判する。曰く、アメリカの作家たちが海外でもいわれぬほどアメリカのことをひどくいうのをフランス人が目にしたら、さぞおどろくだろう。

 ギリシア的人物。アメリカの食をなじる。

 アメリカの若き芸術家はみな生気を失っている。彼らは生計を立てられるかどうかの心配につぶされる。何も生みだせず、金も稼げない。金銭と結びつかないということはつまり、だれも芸術家のやってることに興味がないということである。もしくはあっても芸術家を援けることにならない。芸術通は古典にしか眼を向けず、現在追いやられている若き芸術家には投資しない。アメリカの諸都市とヨーロッパの諸都市の差を見よ、とミラーは嘆く。

 ――われわれは実に多くの若者が人生を恐れているのを知って唖然とした。彼らの心理は年寄り、病人、虚弱者のそれであった。

 ――ぼくは民主主義の世界と共産主義ファシズムの世界と、そのいずれにおいてもごく望ましいタイプの人間とはいえないようだ。今日のような世のなかでは、ぼくはどこにもしっくり当てはまらない。

 しかしミラーは若干勘違いをしている。彼のようなタイプは他のどんな世のなかでも受け入れられるのはむずかしいだろう。

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 「殺人鬼を殺せ」は本書の根幹をなす反戦の章である。戦争とイデオロギーに対する犯行声明が発せられている。

 彼はコンラッドと同じく(「わが読書」では影響を受けた作家のひとつにコンラッドをあげていた)嘘を嫌う。嘘とは戦争の実質をごまかす嘘である。戦争を正しく定義することはなによりもまず嘘を排除することだ。国家、民主主義、経済、これらはすべて戦争の目的ではない。まして平和のための戦争というのはありえない。いかなる思想や主義も戦争を正当化するものではない。ことばに惑わされて、喜んで爆死するのが近代史における一般人の傾向である。

 戦争を厳密に表現するならば、そしてそれを遂行するならば、思想やイデオロギーには用がない。平和、キリスト教精神、国家の防衛、これらどんな思想も最終的には戦争遂行の邪魔となる。戦争とはなにか? 敵を一人残らず抹殺することである。道徳心や慈悲心を投げ捨てて女子供、老人、犬猫、少年少女を殺戮することである。永遠の勝利はこの抹殺、人間用フリット(殺虫剤)の使用によってのみ達成される。

 国民はこのために脳を停止させ、合一されなければならない。群生生物、細胞のかたまりとなったこれら殺人ロボットたちならば敵を消滅させることができるだろう。意思の尊重とか、生命の尊重とかは論外だ。敵を残らず殺すなら、こちら側も不具者から赤ん坊まで動員させる必要があるだろう。

 ここでミラーは自問する。では、平和のための戦争とはどのようなものか? この章での彼の幻想は、天と地獄の極点から極点へめまぐるしく移動する。しかし何事にせよ完全無欠とは極端なのである。彼の濁流型文章はこの事実を示すのにこれ以上ないほど適切な道具である。

 曰く、人間には二種類あって、それは平和をもとめる人間と戦争をもとめる人間である。平和を成し遂げるには、平和をもとめる人間が戦争をもとめる人間を抹殺しなければならない。どうやればいいのかといえば、人間用フリットを使えばいいのだ。ひとつの自由のためには数百万人の犠牲が必要だ。四つの自由のためには一大陸の住民の根絶が必要だ。完全平和のためには、男全員が射殺されてもやむをえない。女が戦争をはじめたら、それも殺せばいい……「そんなことは問題でなくなる。なんといったって、われわれはいつも赤ん坊をつくることができるし、いつも新しい都市を建設することができるのだから――よりよい赤ん坊、よりよい都市を」。

 この文章はドイツが降伏し、日本が真珠湾を奇襲した(卑劣漢の日本皇帝)直後に書かれた。当面の予測として、戦勝国による経済千年王国が建設されるだろうと指摘している。アメリカか、英仏かの白人が経済を担い、ほかの解放国が恩恵にあずかり、「茶色い兄弟たち」がその残余を求めて機械労働にはげみ、高等教育にむらがる。英語が単一言語になり、意思の疎通は円滑におこなわれる。この民主主義帝国にとって、ただ唯一の異物は共産主義ファシズムである。少数民族は人畜無害だから放っておけばよい。彼の予想はいま読んでも納得できる点が多い。

 ――これまで殺したことがないほど殺したまえ。殺人者を殺せ、殺人を殺せ、だがとにかく殺せ、殺せ! 殺せ! 神と国のために殺せ! 平和のために殺せ! 甘味なる殺人のために殺せ! 絶対に殺すことをやめるな! 殺せ! 殺せ! 殺せ! おまえの母親を殺せ! おまえの兄弟を殺せ! 野の獣を殺せ! 虫を、鳥を、花を、草を殺せ! 微生物を殺せ! 分子や原子を殺せ! エレクトロンを殺せ! そこへ行きつけるものなら星を、太陽を、月を殺せ! あらゆるものを殺しつくせ――われわれが遂に明るく、純粋で、清らかな世界を現実のものとし、そこで時の終わりまで平和と、至福と、安全のうちに生きることができるように!

 饒舌で舌の廻る人間はしばしば自分で何をいっているのかわからなくなることがあるというが、ミラーの場合は完全平和が不可能であることを冷静に認めている。それでも人間を信じ、生きることを肯定するのが彼の選択なのだ。

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 フランス人とフランス文明と第一次世界大戦について。芸術家援助基金のユートピア世界。

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 ――オルダス・ハクスリーイヴリン・ウォーのいかにも小説くさい散文とくらべると、それは豊かな、高揚された言語だった……なにしろ筋たてからしてセンセーショナルだった。小説というよりはフレスコ壁画だ。

 ――ぼくには激情に駆られて殺人を犯す人間を理解することができる。ぼくが裁判官ならそういう犯罪を大目にみてやるだろう。しかし、戦争の常として平然と無差別な人殺しをやりながらそれを正しいと信じるなんて、このぼくにはどうしてもできないことだ。

 

ヘンリー・ミラー全集〈第10〉追憶への追憶 (1968年)