うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『冷房装置の悪夢』ミラー

 これはWW2末期に書かれたアメリカ帰還の書である。

 ヨーロッパから戻ってきたミラーは改めてアメリカの問題を認識した。アメリカは、奴隷たちの民主主義の国になってしまった。貴族ではなく奴隷、機械が平等に生活する国、無為と無害の一生を約束される国、これが建国の理念を忘れたアメリカである。

 もともとは、逃げ出してきたものたちがアメリカをたてた。しかし今では、「詩人は呪われたるもの、芸術家は逃避者、夢想家は犯罪者として」扱われるようになった。

 ミラーと同行者の二人は全土をドライブしつつ、その土地、その土地から喚起されるアメリカのイメージを投下させていく。文のそこかしこに、産業とアメリカ文明にたいする呪詛が見られる。労働、工場、物量文明、腐敗した進歩の観念、これらにたいする憎悪はシモーヌ・ヴェイユとも共通する。ミラーは、産業革命からはじまる機械化の最終過程にいた。今ではもう言われなくなった激しい文明批判は、古代人の最後の叫びなのだ。

 古代人といえば、アッシリアの人間が叙事詩に耳をかたむけるときに感じた楽しさを、わたしはミラーを読みながら感じているのかもしれない。彼の本はどれも単純きわまりないものだ。物量国家アメリカの機械化に抵抗しつつ、気まぐれに単語と短文を垂れ流す。ところどころで言葉が渋滞をおこし、物語の筋や構成は忘れられる。わたしがミラーを読みつづけるのはただ文字を読んでいくことが楽しいからだ。思想や哲学、事実の正確さは問題ではなくて、言葉そのものに力が含まれているのがミラーの本である。即ち、文字の火力、詩の火力である。

 たとえ事実確認にまちがいがあってもそれは欠点にはならない。ミラーの本はつねに人間を賛美し、機械を糾弾する。「親分ロボットとロボットたち」、つまり企業家と労働者の国たるアメリカには、人間が少ない。退職した老人は彼にはスクラップにみえる。アメリカは、フランスや中国とはちがう。

 人間や芸術と程遠い国だからこそ、そこで生きている者は英雄になれるのだ。彼は芸術家や生きている人間を、貴賎にかかわらず賛美する。南部の園芸家にたいして、不運な前科者にたいして、絵画を嗜む外科医にたいして、ミラーは英雄の歌をうたい、声をはりあげ、言葉をカニの泡のようにはきだす。

 芸術をつくるのは非個人的な手の力である。「……世の中にのりだしていくためには、自分の才能に、力と熟練に、つまりは自分の二本の手に頼らなければだめなのだ」。

 神秘主義は、神のおろされた土地で、彼が神を見つける手助けをする。ベンが「白人種は滅びる」と叫ぶと、こだまは大陸にわたりミラーが叫ぶ、「われわれは、われわれがめちゃくちゃに荒廃へと駆りたてたこの地をインディアンに引きつぐことになるだろう」。

 外科医スーション、ジョン・マリンといった無名の芸術家たちが本のなかにあらわれては消える。彼らはいまだ無名の人間だが、ミラーは彼らこそ芸術家だと考えていた。

 「アメリカは、ジョン・マリンのような人間を生みだすと、大急ぎで、しかも情け容赦なく、懸命になって、その人を亡ぼそうとつとめる」。

 ミラーにとってほんとうのアメリカとはインディアン、自然、南部帝国、捨てられた芸術家を意味した。
興味深いことばは前半部に集中していた。

  ***

 ――自分のおかした過ちの犠牲になるのもくだらないが、他人の過ちの犠牲になるのは、なおさらばかげている。それだけではない。ヒットラーという気違いが狂暴性を発揮しているからという理由で、なぜわたしが自己の平衡をうしなわねばならないのか、わたしにはそのわけがすこしもわからない。

 ――いったい人間になにができるか。それがわかれば、人間の崇高さにも、その卑しさにも、驚くことはないはずだ。どうやら、そのいずれの方向にも限界はないらしい。

 グランド・キャニオンの風景……「朝のこんな時刻から、いい若ものが、おやじのために遊覧客を途中で待ち伏せるしか気のきいた仕事をもっていないと思うと、わたしは、むかむかしてきたのである」。