表現主義とは一般にドイツでおこった芸術運動を指すが、この言葉の概念は一致していない。ベルリンの芸術家だけを指すものから、フランスはじめヨーロッパの印象主義者、フォーヴィスト、キュビズムまでを含む定義も存在する。
菊池によれば印象主義と表現主義は(impressionismus-expressionismus)は必ずしも対立するものではない。印象主義が主流となったフランスとは異なり、ドイツ表現派の敵は主に自然主義絵画だった。
表現主義の中核をなしたのはヘルヴァルト・ヴァルデン、キルヒナー、同人「橋」、「青の騎士」、対立する「アクツィオン」誌と「シュトルム」誌だが、大戦によりマッケ、マルクは戦死し、カンディンスキーはロシアに戻り、一時消滅する。
未来派はあまりに巨大なイタリアの伝統にたいする荒療治だったが、全欧州に伝播した。マリネッティらは「反文化、反アカデミズム、反論理」を掲げ、「人間が機械となり、機械が人間となる新時代の陶酔的表現」を求めたが、この運動はドイツ人にも大小の影響を与えた。
表現主義者の紹介がつづく。彼、彼女らのほとんどは一八八〇年代に生まれ、第一次世界大戦を経験している。戦死したものも多い。
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表現主義の理論とはいかなるものか。ゴッホ曰く「わたしは赤と緑でもって人間のおそるべき情熱を表現しようとこころみた」。一般的に表現主義は内的衝動を表出させるといわれる。静止ではなく動きを求める。節度と自然科学を放棄し、「新しい人間性は文学、芸術中にその表現をもとめた」、これはベンの文章にたびたびあらわれる主題である。
ベルグソン曰く「分析することは、あるものをこのものではないものの函数として表現することである」。彼と表現派は、分析と概念ではなく直観に根ざした芸術。極端な抽象化。
カンディンスキーは現代芸術に共通する抽象化への欲求を「芸術の精神化」とよぶ。抽象芸術論の展開が表現主義の核であり、言語芸術論はその文学版である。表現主義言語は、自然的世界を人工的世界に変えるだけではない。
――表現主義にとって言葉は伝達の手段ではなく(それは非文学的な日常語だ)、言葉によって、また言葉のなかで内部の世界を外部に投入するのである。
言葉の快楽だけが表現主義の根本原理なのだ。論理の法則にしたがわず、内的体験の表現を追及する。また、形式の破壊は伝統的思考から離れるためにおこなわれた。マラルメは、語が詩をつくるのであって、理念や感情がつくるのではないと言った。
未来派からの影響も大きい……物質そのもののエネルギーを表現せよ、匂い、動き、雑音を導入せよ。
この語にたいする事物愛をもっとも体系立てて説明したのがロタール・シュライヤーである。彼によれば言葉は日常語、精神世界の認識手段、言語芸術の言葉に分かれる。言語芸術の言葉は調和がなく、リズミカルで、自由である。
概念的意味よりも感覚的意味を重視する。芸術的論理は経験世界とは異質であり、非論理的である。ことばは不可能を可能にする。しかし行き過ぎた言語破壊がよいわけでもない。ダダへの道、キュビズム的な語群はあたらしい言語とはならない。
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表現主義者の多くは一九一四の開戦に際して、反戦平和の立場をとった。かといって彼らは徹底した政治家・革命家ではなかった。著者曰く「一種陳腐なキリスト教的同胞愛」に過ぎない。「政治的働きの無方向性」とも批判されるが、裏を返せば特定の党派に奉ずるものではなかったということだろう。ベンのナチズム接近もその一例といえよう。
――詩人が政治的な影響を与えようと欲するなら、直ちに党派に身を捧げなければならない。そして一旦そうなれば、その詩人は詩人として失われたことになる。その人は自由な精神、捉われぬ広い眼に別れをつげて、その代わりに固陋と盲目的憎悪の頭布を耳の上にかぶらずにはいなくなるのである。
これはゲーテの言葉である。
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表現主義と宗教、およびドイツ神秘主義とのつながりは深い。ユダヤ系表現主義者はその宗教を作品に色濃く反映させている(フランツ・ヴェルフェルなど)。
――多くの表現主義者が昼よりも薄暮と夜を好むのは、いかにも彼らがロマン主義の系譜上にあることを物語っているが、特に彼らにあっては薄暮や夜のなかでは物質的世界が視野から消えて、精神的世界の出現が可能となるように思われたためであった。
彼らは観念的な、理想化された人間を謳うが、これは現実への幻滅の反動である。「来れ、魂の洪水、苦痛、無限なる光よ! 杭を、堤防を、谷間を打ち砕け! 鉄ののどから吐け! とどろけ、汝、光の声よ!」とヴェルフェルは書いた。
人間、生そのものにたいする宗教的姿勢が表現派を貫く特性である。終始神を否定していたのはベン、シュトラムらだけだった。
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表現主義は一九二〇年には死んでいた。その後ナチ・共産勢力双方からの攻撃をこうむることになる。ファシズムと表現主義が結びつけられることについては、あながち間違いともいえない、と著者は考える。「精神と道徳の武装解除」の役割を表現派が果たしたのは確かであり、そこにつけこんだのがナチズムだったのだ。
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表現派は主義の対立に巻き込まれざるをえなかった。共産主義か、ファシズムか、デモクラシーか、どれかの基地に入らないものは全方位からの砲火を浴びた。芸術は権力の干渉をうけずにはいられないが、それでも究極的には同化・吸収されることがない。宣伝広告と芸術の違いは、最後に政治権力や党派を裏切れるかどうかである。たとえ時代から攻撃されようと、美的価値は残りつづけるだろう。ベンが託した芸術人間への希望はここにあったのだ。美はそれ自体が根拠である。