うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『The struggle for mastery in europe 1848-1918』A.J.P.Taylor メモ4

 戦時外交

 第一次大戦では、三国協商も同盟国も、どちらも聖戦を唱えた。ドイツは特に戦争目的に欠けていた。この目的欠如は結局終戦までつづいた。協商にとって、戦争は実際にはドイツの勢力拡大阻止を意味していた。

 まもなくイタリアが協商側として参戦し、ブルガリアが同盟国側に、ルーマニアが協商側につく。一九一七年四月、ドイツの無制限潜水艦作戦によってアメリカ船が沈められると、合衆国が参戦する。五月にロシア革命が勃発し臨時政府が立てられる。

 "Extreme answered extreme".中道的な人間が消え、過激派が前面に押し出される……ベートマン・ホルヴェークは力を失い、イギリスでは決定的勝利を求めるロイド・ジョージがあらわれ、フランスでもクレマンソーがあらわれる。ロシアでは臨時政府のケレンスキーが戦況を好転させようと訴えかけた。ハプスブルクでは一九一六年に死んだフランツ・ヨーゼフに替わりチャールズが無謀な政策を展開する。

 ベートマンは左派政党の反戦主張に乗っかったため、ルーデンドルフヒンデンブルクに非難され、ベートマンが更迭されなければ辞職すると脅した。ベートマンが辞めると、ビュローがベートマンの座についた。しかしカイザーは一九〇八年のデイリー・テレグラフ事件以来ビュローを許していなかったので、実質ルーデンドルフが権力を握ることになった。ルーデンドルフは決定的勝利の野望を抱いており、ドイツは大勝利か大敗北かどちらかの選択しかとることができなくなった。

 教皇が和平のために動いたが無に帰した。

 双方が勝利を望んでいた。ドイツは欧州において勝ったが、アメリカに横取りされた。ロシアは消滅し、ボルシェヴィキは一九一八年三月、ブレスト=リトフスク条約でドイツと単独講和を結んだ。

 ドイツは、英仏はアメリカに主導権を握られるのを恐れて講和を提案してくるだろうと計算したが、外れた。アメリカはウィルソンの理想主義を携えてやってきた。彼の理想はレーニンのそれと同じくらい現実離れしており、反帝国主義的で、新秩序形成を目指すものだった。

 第一次大戦によって勢力均衡は消えた。しかし、民族自決を含むウィルソンの理想主義では、ドイツの準覇権的地位を奪うことはできなかった。英仏は疲弊し、これまでの支配的地位を保つことができなくなった。

 一九一八年一月にヨーロッパは世界の中心でなくなった。アルザス=ロレーヌ、植民地アフリカ、ドイツの膨張政策、これらすべては些細な問題となった。合衆国とソ連との、世界秩序とイデオロギー自由民主主義と共産主義)をめぐる対立はこのときはじまったのだった。

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 さらに掘り下げたい点は多々ある……ナポレオン三世のフランス、クリミア戦争ビスマルク、モロッコ情勢、ボーア戦争オーストリアハンガリーの詳細など、個別にあたって調べていくことでさらに理解できるようになるだろう。

 ルーデンドルフ軍事独裁および彼の著作は、日本ともゆかりがあるようなので、これも調査対象である。

 

Struggle for Mastery in Europe 1848 1918 (Oxford History of Modern Europe)

Struggle for Mastery in Europe 1848 1918 (Oxford History of Modern Europe)