うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ガン病棟』ソルジェニーツィン

 ソ連社会で要職につき、数人の子供をもつ幸せな家長パーヴェル・ニコラーエヴィチは、首にできた癌腫瘍のために僻地の病院に送られる。設備は劣悪で、賄賂を試みるがうまくいかず、大部屋に収容されてしまう。

 生きているあいだは人間は地位や階層ごとに隔てられるが、死ぬときにはみな土の下に戻って一緒になる。

 墓の一歩手前である癌病棟に入ったパーヴェル・ニコラーエヴィチは、素性のわからぬウズベク人や「生意気にも文化的なところのある」悪党面、末期の青年、つぶやきつづける頭のおかしい男など、普段は目にかかる機会のない底辺の人間たちと共同生活をするはめになる。

 「知恵とは何か、かい。自分の目を信じること、人の言葉を信じないこと、これだね」などをはじめとした警句が病人・看護婦たちの会話にちりばめられている。正統のリアリズムが使われているがこのような小説においては適切である。

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 患者のなかには、自分の症状を完璧に説明するよう医者に求めるものもいる。かれらは自分の肉体が自分の管轄外に置かれるくらいなら治療されるよりも死んだほうがましだと考えている。

 肉体は異常をきたしてはじめて存在を主張する。健康体に絶対的な信頼を置いているものはいざ発病や老化にみまわれると思考の基盤を失う。

 人間がコントロールできる範囲はわれわれがふだん考えている以上に狭い。

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 コストグロートフは収容所に入れられた後ガン病棟にやってきて、無事退院した。彼は独身の女医とおたがいに好意を抱く関係になるが、女の家まで来てすぐに引き返す。彼はホルモン剤投与のため生殖能力を奪われていたが、性欲だけは残っていた。

 市バスのなかで密着した若い女にたいして性欲を感じた彼は、女医にたいしても同様に性欲を感じるだろうと考え、立ち去ることを決意する。

 彼は近くにいても子供をつくれないみじめなおもいをするより一人で暮らすことを選んだ。なぜ彼が性欲を抑え、割り切ることができなかったのかは理解できない。飢餓経験のない人間が、飢えた人間の精神を理解できないのと同じことである。

 彼は原始的な欲に左右される生活よりも、不毛で貧困だが、自分の理性によって完全に管理できる生活を選んだのだろうか。もしくは、自分の社会的地位の低さに負い目を感じたのだろうか。

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 駅に到着して列車に乗る場面を読んで中国の鉄道を連想した。

 この本に出てくる人間は総じて善良という感想をもった。善良でない人間、他人に危害を加える人間は、患者たちの経歴や、新聞記事のなかに身を潜めている。

 結果として、悲惨な環境下であっても個人個人が希望を持つことができるという主張が感じられる。

 この小説において患者たちが出会うのは、幸いなことに冷血漢やきちがいではなかった。身の回りの人間がたまたまこうした善良な、無害な性質であった場合にのみ、安楽が得られる。ソルジェニーツィンはおそらく、この可能性の低い幸運に希望を見出そうとしている。

 

ガン病棟 上巻 (新潮文庫 ソ 2-2)

ガン病棟 上巻 (新潮文庫 ソ 2-2)