うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『インド世界の歴史像』辛島昇

 「民族の世界史」シリーズのひとつだが、インドの民族のみならず文化、歴史、宗教、生活習慣、気候などにも触れているようだ。インド地域研究といってよい。

 『漢民族と中国社会』でもそうだったが、執筆者の専門分野にあまりに偏った節がいくつかあり、全体像が見えてこないことが多い。地域研究と名をつけておきながら実質は宗教家の運動の概説だったなど、看板に偽りありの項がちらほら見受けられる。印中ともに多元的だからある程度は仕方がないのだろうか。

 また、刊行年が八五年のため、社会経済の現状については年代を考慮する必要がある。現在のインド経済の発展を調べるにはもっとあたらしい本を読まなければならない。

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 序章 南アジア世界の形成

 インドは他民族国家であり、さらに民族区分に宗教とカーストが関係してくる。インド民族という一体性があらわれたのは独立運動のときであり、民族という概念自体不変不動のものではない。

 インドにはおおきくわけて四つの言語区分がある。シナ・チベット語、インド・アーリヤ語、アウストロ・アジア語、そしてドラヴィダ語である。シナ・チベット語にはネパールのナワーリー語などがあるが、これを話す民族はインドでは少数民族である。ドラヴィダ語族はタミル語を中心に、南部で用いられている。ドラヴィダ語を使うものたちは西方イランから降下し、インダス文明を担ったとされる。インド・アーリヤ語は最大の話者人口をかかえるヒンディー語や、サンスクリットベンガル語などをふくむ。

 インドの歴史はアーリヤ語の歴史を抜きには語れない。

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 第一部 伝統文化の構造

 インドは多宗教国家だがその最大のものはヒンズー教であり、ヒンズー教はほかの宗教を包摂する特性をもっている。このヒンズー教と密接に結びついたのがカースト制度である。ヒンドゥー教には精神を重んじる静と行動や祭式を重んじる動とのふたつの側面がある。この二つを合一させた思想に、与えられた行動をおこなうことが生の義務(ダルマ)であるというものがある。

 カーストポルトガル語のカスタ(種族、階級)が語源であり、インド社会を観察した宣教師によって名づけられた。カースト制度はまず四つのヴァルナ(バラモンクシャトリヤ……)と不可触賎民の、大きな枠があり、そのなかに無数のジャーティ、細かいカーストが存在する。

 カーストはたいてい職業別に分けられ彼らはみな親族であり、インド亜大陸のなかに約2000から3000のカーストが存在する。各カーストヒンドゥー教の浄・不浄観にしたがってランク付けされているが、これはあくまで宗教上のランク付けであって政治・経済的なものではない。各村落には支配的カーストとよばれる集団がおり、通常最大の土地をもつものがこの役割につく。カーストはたとえば農業を営むもの、家系図をつくるもの、大工を営むものというふうに職能別に構成されており、村落内での分業制度として機能している。村落内で完全自給自足の経済が成立しているわけではなく、村はより大きな地域経済に属している。

 イギリスの統治にともなう近代化、貨幣経済の浸透、指定カースト(不可触賎民)の差別撤廃運動など、状況の変化にともないカースト制度は崩壊しはじめたが、まだ根強く残っている面もある。カーストの帰属意識は強く、カースト別に大学が乱立する例もあった。

 家屋や土器、農耕などには地域によってばらつきが見られる。インドでは六月がもっとも暑く、一年に三つのモンスーンがある。

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 第二部 新しい時代のうねり

 まずインドを五つの大きな地域に分けて、地域ごとの文化を論じる。

 パンジャーブ、ハリヤーナー、カシミール三州およびパキスタンをふくむインド西北部はインド亜大陸への侵入路にあたるため古来より殺戮と略奪の歴史がつづいてきた。アフガニスタンやイランなど西方の文化圏に属している。

 イスラム教ムガル帝国時代(14、15世紀)にインドにやってきたが、パンジャーブ族を中心とする西北イスラムでは、スーフィーが下層カーストにむけて布教をおこなった。ムスリムが西北部(現在のパキスタン)に偏っているのはこのためである。また、スーフィーに大きな影響を受けたナーナクによるシク教が同時期に発生した。シク教は教義の上ではイスラム教に類似しているが、両者は血なまぐさい抗争をつづけてきた。パンジャービーはヒンドゥームスリム、シクと分裂して争っている状態にある。また、スーフィーは現在では暴力団こじき組織といった裏社会と密接に結びついている。イスラム、シクともに理念上ではカーストを否定しているが現実には存在する。

 パフトゥーン(パシュトゥン)は伝統的な部族社会であり、復讐(バタル)という厳しい掟がある。

 イギリス統治下では、パンジャーブやグルカ、ラージプート、パフトゥンは好戦的種族martial racesとされ、英領インド軍に多く用いられた。反面反英闘争も激烈で、イギリスを悩ませた。

 パンジャービー・ムスリムヒンドゥームスリムの「二民族論」を御旗に独立運動をはじめることでパキスタンが成立した。ところがベンガルを中心とする東パキスタンは西パキスタンの支配に抵抗してバングラデシュとなった。この情勢変化に伴う移民の過程で、シク、ヒンドゥームスリムの相互殺戮が発生した。パキスタン内部もパフトゥン人やバローチなど多くの異民族をかかげており、彼らのナショナリティ、帰属意識は複雑である。

 西部マハーラシュトラ州はボンベイを含み、中世にはバクティ(帰依運動)の中心となり、またイギリス統治下では独立運動の先鋒となった。タミルナードゥ州、タミル民族を中心とする南部は、ドラヴィダ人の地であり、独立運動の際にはタミル民族主義をシンボルとした運動がさかんになった。デカンの南部では伝統的にバラモンが社会的優位を保っており、バラモンがすなわちアーリヤ文化の体現者だった。このためイギリスと結託したバラモンに対抗して、ドラヴィダ人の、精確にはタミル人のナショナリズムが勃興したのである。ところが、独立後はタミル人内部のカーストによる勢力争いがつづいている。

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 イスラームムガル帝国時代に征服者によってもちこまれ、ヒンドゥー教とは異質な慣習を普及させた。ここではベンガル地方イスラームを記述する。イスラームでは神の下での平等が原則であるためカースト制は存在しない。また性欲は人間のエネルギーとして認められ、これを合理的に解消する手段が結婚とされた。離婚や再婚には否定的でないが、快楽を認める分、日常生活での男女隔離(バルダー)は徹底している。イスラームの不動産法は、独特で、生きているものには手厚い保護がされるが死ぬとイスラーム法にしたがって分配される。女性も財産所有権をみとめられている。埋葬は簡易であり、死者を神格化するなど多宗教にみられる思想はない。

 イギリス統治以前は、イスラームとヒンズーの分離は階級の分離にも対応していた。征服者であるイスラームが上層であり、商人や地主など中層がヒンドゥー、そして下層カーストが布教者によってひろめられたイスラームというのがおおざっぱな構図だった。

 しかしイギリスの統治にイスラームは反対したため政府に取り入れられず、逆に積極的に近代的教育を受容したヒンドゥーの地位が向上した。ヒンドゥーイスラームの対立が激しくなったのはこの時代からである。

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 十九世紀半ばまでに、ムガル朝、マラーター同盟、マイソール王国、シク王国などはイギリス東インド会社との戦闘に敗北し、インド亜大陸の五分の三が英領インドとなった。残りは藩王国として委任統治を任されることになった。

 一八五七年、東インド会社の傭兵セポイ(スィパーイー)の反乱をきっかけにインド全土で大反乱がおこる(セポイの反乱)。鎮圧に手を焼いたイギリスはこれをきっかけに女王による直接統治に切り替える。社会構造を乱していた同化政策を改め、貴族温存政策をとり、またインド人の慣習に立ち入らぬようにした。また軍においても、インド兵の比率を減らすなど、植民地政策の全面的な見直しがおこなわれた。女王に任命されたベンガル総督=インド総督を頂点とした、中央集権化がすすめられた。

 イギリスの自由主義者やインドの高カースト層を中心に国民会議がつくられ、イギリスの傀儡ではないインドのための政策提言が積極的になされるようになった。この運動は大衆とは分離していたが、さらに国民会議の一部がヒンドゥイズムを鼓舞することで、ムスリムたちのあいだに危機感が芽生えた。

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 第三部 伝統と近代

 ――ガンディーは、南アフリカにおける人種差別反対闘争、第一次反英不服従闘争、第二次反英不服従闘争において圧倒的な指導力を廃止した。

 彼が活躍したのは十九世紀末から1920、30年代にかけてであり、またインド独立の際にもヒンドゥームスリムの流血の防止に驚異的な貢献をした。彼とその弟子ネルーは、インドにおいて人格神崇拝的な扱いをうけていた。

 独立後、インドは地方自治と分離主義、大統領統治とのあいだをさまよっている。各州には民族の相違や経済格差があり、また60年代以降共産勢力の台頭も見られた。ネルー=ガンディーの一党は反国民会議派の州自治にたいし強権政治の手法をとってきたが、扱いを間違えれば分離運動の火種になりかねない。パンジャーブ、アッサム、ベンガルなど、インド連邦内には多くの異分子が存在する。

 多元社会の要素は宗教、民族だけでなく、カーストもまたそのひとつである。本書が書かれた時点でもっとも貧しい州のひとつであるビハール州では、中間カースト、クルミーと指定カースト(不可触賎民)とのあいだで暴力事件が発生している。

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 一九八一年の新聞によれば、インドのGNPの半数弱を闇経済が占めていたという。このような国を西欧発の経済学のみで分析するのには限界がある。

 水の量に比して耕作面積がはるかに広いため、伝統的に水の貯水灌漑利用は共同体ごとにきびしく制限・規則化されてきた。ところが過剰開発により数々の害がおこることになった。米穀関連産業についても、闇経済の占める割合が大きく、国は手を焼いていた。本書刊行時はこうした公・共・私の経済のバランスが問題となっていたようだ。

 

民族の世界史(7) インド世界の歴史像

民族の世界史(7) インド世界の歴史像