うちゅうてきなとりで

the cosmological fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『シュルツ全小説』ブルーノ・シュルツ

 ――七月、父は決まって湯治場へ出かけていき、私と母と兄とは暑熱に白いめくるめく夏の日々のなかに置き去られた。光に放心した私たちは休暇というあの大きな書物を一枚ずつ見開いていくのであったが、どのページもちらちらと燃え、その底には黄金色の洋梨の実の気も遠くなるほどの甘みがあった。

 ――あのころ、早くも私たちの街は慢性的な薄暮の灰色のなかにますます沈みがちになり、街を取り巻くあたりは、暗黒の湿疹、綿毛の生えた黴、鉄色の苔で蔽われていった。

 「八月」と「憑き物」の冒頭に置かれたこれらの文章において、実際におこっただろう出来事と、書き手の目にうつる非現実的な出来事は完全に融合している。「あの大きな書物を一枚ずつ見開いていくのであったが」、以降のことばは、夏の生活を表現しているのだろうが、具体的な描写はいっさい消えて、書物というイメージだけが展開される。

 街も、「~のような」などの強調はつかわれず、ほんとうに汚れていく。比ゆが多用されているのではなく、文章によってつくられた世界そのものが、非現実的な要素に侵された混合物なのである。

 うだるような暑さの通り、人びとの生活などのなかで、語り手によって執拗に観察されるのは、病気で頭のおかしくなりはじめた父の言行である。茫漠とした世界のなかで、父は正気と狂気を交互にくりかえす。正気のときはひたすら会計的作業をおこない、おかしくなるとパンツ一丁で徘徊し、奇声を発する。

 おかしくなった父と同じく、文章そのものにも起伏がある。比較的おとなしい、ありのままを報告することばがつづいたあと、発作がおとずれて、ふたたび物語は空想と幻覚に侵されていく。

 街は灰色かとおもいきや極彩色にかわり、娼婦や通行人は変形し、とりが不気味な挙動を示す。まぼろしのような通りを歩くが語り手は肉桂色の店にたどりつくことができない。

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 第一短編集まで読んで、疲労がたまった。

 

シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)

シュルツ全小説 (平凡社ライブラリー)