「白雨」
「未青年」にあったような鮮烈さ、血の匂いはなく、前に読んだ歌集の、後半部と同じく、枯れた調子の歌が並んでいる。
――降る雨は光あまねく充ちてゐる空をぬけきて木立をぬらす
水墨画のような、白黒の風景と、淡い光線、白くぼうっと輝く雲をおもわせる。冬の景色、イギリスの湯治場について詠んだ句、また夫を失った妹についての句がある。どれものどかで、雨上がりのような静かな世界である。
昆虫のことを表現した句はおもしろい。
――古代びとに蝶々は死の使ひとぞ青乱れまふ太陽モルフォ
モルフォとは新大陸に棲む大型チョウで、光沢のある青い翅をもつ。この句には異国情緒を感じる。
――ハザーラ人にわれは似るといふ天に近き高地にて風を追ひゐる民に
――われもまたこの朝寡黙に遠方の山のまばゆき白さを見つむ
キックボクシングを描いた句、ベトナムの河の風景を描いた句など、情景は明確である。素直な表現が多く、初期の耽美性は若干薄れている。
――戦火の河を泳げる家族カメラ・アイの焦点となり今日も泳げる
――廟上に月を招けるヴェトナムの街なり暑さのうすれむとして
幻想的な風景が魅力的である。「廟」は日本の風景にはない施設であり、月を招くという言葉づかいと、「暑さのうすれ」という推移が、熱帯の夜を想起させる。
――鋏もて魚の腹のひらかれゆく手さばき早し水上レストラン
――時計回りに火星の風は吹くといふ時追ひてどこまでも走りゆくべし
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青が使われているだけで鮮明に感じる。
――エディプスの裸体つゆけき青をもて塗られてありきアッティカの壺
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都市を主題とした写生的な歌の入った「水の蔵」より……
――グラウンドも庁舎も沈め暮れはてし街の白霧に灯が浮かび初む
「沈む」ということばに、水没した都市のイメージが重なる。霧に沈んだ建築物と、おぼろげな灯りの景色が、うまく表現されている。
――ビルの影に入りしつかのま風寒し立体交叉の路面翳れる
秋から冬への移り変わり、夕方の赤い風景を想像させる。さびしい夕暮れ、赤い西日に照らされて重みをますコンクリートの質感を感じる。「白霧」の句や、この立体交叉の句など、寂寞とした世界をつくるのに秀でている。
――仄あかき肉せせり食う狼藉のわれの無明の夜よ長かれ
これは人肉食だろうか、生焼けの肉をかみちぎりながら、なにか粗暴な気分になっているだけか。
あまりに写実に徹しすぎて、ただの旅行記のおまけになってしまっている歌もある。
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加藤という歌人についての評論が収録されているが、この歌人の短歌は噴飯物にしか感じなかった。