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『クラウゼヴィッツと「戦争論」』清水多吉 石津朋之 編

 クラウゼヴィッツについての雑多な論文を集めた本である。誤解を受けることの多いクラウゼヴィッツの思想、彼の戦略・戦術論と歴史的ドイツとの関係、また現代戦における位置づけなどがテーマである。

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 『戦争論』は未完の書物である。クラウゼヴィッツは八部からなる全体を書き上げて、その後改定をくわえようとしたのだが、第1部と第8部だけを書き換えたところで死亡した。このため、誤解をあたえかねない構成になってしまっている。

 また、時代の影響を受けて、わかりづらい、ドイツ観念論的な弁証法が論理展開に用いらているのも、読解をさまたげる原因である。

 本書では、クラウゼヴィッツのナポレオン従軍を詳細に物語るとともに、『戦争論』の精確な理解のための要点を並べている。自身の従軍したナポレオン戦争および、フリードリヒ大王の戦争をもとに、彼は『戦争論』を執筆した。

 クラウゼヴィッツは、戦争はほかの手段による政治の継続だと考える。そして、『戦争論』が取り扱うのはこの手段たる戦争の性質である。政治の定義や、政治から生まれる倫理についてはこの書は関知しない。

 戦争を分析するため、彼は「絶対戦争」と「制限戦争」という二つの概念を用いる。絶対戦争とは暴力の無制限行使、敵の殲滅にいたるような「理念上の戦争」であり、現実におこなわれる、さまざまな状況によって制約された戦争が制限戦争である。クラウゼヴィッツは、絶対戦争を根本的な性質として把握し、それを制限戦争に適用することで、戦争の体系的な理解をこころみる。

 もうひとつの主要命題は、戦争は三つの要素からなるということである。すなわち、「盲目的衝動とみなしうる憎悪・敵愾心といった本来的激烈性」、「蓋然性・偶然性」、「政治的道具としての第二次的性質」である。

 三つの要素とともに、「摩擦」「天才」といった概念が加えられる。摩擦とはあらゆる障害、不確定要素をさし、天才とは、国民精神を体現するナポレオンのような指導者をさす。クラウゼヴィッツは、このようなあいまいな概念を残すことで、とらえどころのない現象をつかもうとした。

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 ナポレオン戦争は、あらたに誕生した国民の軍隊と、従来の傭兵からなる常備軍とのたたかいといえた。兵役によって集められた国民軍は圧倒的な強さをほこり、ヨーロッパの大国……イギリス、プロイセンオーストリア、ロシアなどに軍制・社会改革をせまった。

 プロイセンにおいて、君主と政府に従属する常備軍から、徴兵制度に基づく国家の軍、国民軍への改編をこころみたのが、改革派軍人であるグナイゼナウシャルンホルスト、ボイエンらである。このときクラウゼヴィッツシャルンホルストの補佐官だった。

 ナポレオンは軍隊の変容をいち早く見抜いた天才だった。ある歴史家によれば、ヨーロッパを変えたのは革命ではなく革命戦争だったという。実際、「自由、平等、友愛」を掲げる革命の熱はすぐにおさまってしまった。ナポレオンが利用したのは、新しい軍隊における平等と競争の原理、それにナショナリズムの熱狂である。彼は身分の隔てなく有能なものに論功行賞をおこない、高級幹部に取り立てた。レジオン・ドヌール勲章もこの時期に創設されている。体罰におびえ、すぐ脱走する常備軍の兵隊や、戦況を察してすぐに寝返る傭兵とは異なり、フランスの兵士たちは精力的に働いた。

 本書の中盤は、以上のごときナポレオン戦争に啓発されて、プロイセンにおいてどのように軍制改革がおこなわれたかに多くの頁を割いている。改革派と保守派の抗争、民兵の原型である国土防衛隊、兵役制度にたいする市民の抵抗など、ウィーン体制時代のマニアックな説明がつづく。

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 『戦争論』はプロイセン・ドイツでどのように受容され、実践されたのか。参謀制度の創始者モルトケは、自らをクラウゼヴィッツの使徒と称した。しかし、軍人のクラウゼヴィッツ理解は必ずしも正確なものではなく、意図的にゆがめたもの、シュリーフェンのごとく自らの軍備計画のために「絶対戦争」概念を利用したもの、単純に誤読していたものまで幅広い。

 国民皆兵制度も、立場によって賛否両論だった。ゴルツやベルンハルディなどの参謀総長は、国民皆兵による社会の軍事化、そして来る国民戦争こそが国民を鍛え、民族を強化すると主張した。これは社会ダーウィニズムの影響を受けた考えであり、わたしの感覚ではナチスの起源のひとつでもあるといえる。

 クラウゼヴィッツプロイセン・ドイツ軍に残した影響は、戦史研究の確立と軍国主義醸成の2点にまとめられる。戦史研究の発展は、ジェネラリストからスペシャリスト、テクノクラートへの軍人の変容と軌を一にする。

 後者は、シュリーフェンによる殲滅戦理論にはじまり、ルーデンドルフクラウゼヴィッツ否定にまでいたる問題を秘めている。ルーデンドルフは「政治の一切は戦争に奉仕すべきである」とする、まさに『戦争論』とは対極の理論を展開したことで知られる。その萌芽が、シュリーフェンらの曲解おいて確認できる。

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 戦間期クラウゼヴィッツ受容について……ドイツ国防軍の再建者ゼークト、およびルーデンドルフは「精神力の強調や殲滅戦理論の追求」という、シュリーフェン以来の解釈を提示した。ルーデンドルフの総力戦・軍事独裁思想はヒトラーの戦争観に影響を与えた。

 ――実際、ヒトラーによる第二次世界大戦の遂行は、ルーデンドルフの総力戦思想の内容をほぼ踏襲したものであった。

 対して、ルートヴィヒ・ベックはルーデンドルフ軍事独裁に反対し、また民族の意思としての戦争という、社会ダーウィニズム的な価値観にも反対した。彼は諸国間の協調こそ第一の目的と考え、反ヒトラー運動に身を投じ殺害された。もっとも、彼は平和主義者ではなく、「戦争の理性的な統制を考えていた大モルトケに近い立場」にあったという。

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 クラウゼヴィッツと現代とのかかわり……リデルハート第一次大戦の従軍経験から、凄惨な総力戦に強く反発し、総力戦の原因をクラウゼヴィッツの『戦争論』とこれを信奉する指揮官たちに求めた。リデルハートは、戦争が政治の代替手段である、という大枠をクラウゼヴィッツと共有しながらも、直接的な戦闘のみを重視するのではなく、政治目的にかなった戦争の運営、間接的アプローチ戦略などにたいして関心の目を向けた。決戦と殲滅だけが戦争ではないとする彼の戦略論は現代においても通用している。

 『補給戦』の著者クレフェルトは、『戦争論』の欠点をつぎの5つにまとめる。第一に、政治、軍事、国民の三位一体の戦争に考察の範囲を制限しているため、非国家間戦争にたいする分析がない。第二に、戦争における勝利条件や戦争法、慣習法、いわゆる「ゲームのルール」に関する関心が薄い。実際のところ、敵を一人残らず殺し、所有物をすべて破壊するような「絶対戦争」が起こることはまれである。第三に、軍と軍との衝突にのみ注目し、宣撫工作などが考慮されていない。第四に、政治目的の重要性を過大評価している。戦争は政治のみならず宗教や正義によってもおこり、さらに戦争そのものが目的となった例もある。最後に、非合理的要素を軽視している。政策決定者の判断は合理的であっても、実際に戦闘をおこなう兵たちはあきらかに非合理的な感情にもとづいて行動している。兵隊は利他的、非合理的だからこそ、英雄として称えられる。

 

 クラウゼヴィッツ思想の中心である「政治の継続としての戦争」という主題は、政治の定義がはっきりしなければ、空中分解してしまい、何もいっていないのと同じになってしまう。政治を広い意味にとらえて「戦争の外部」と定めたとしても、たとえばルーデンドルフの総力戦のような例外がある。

 以上の問題から、『戦争論』に限界が存在することはあきらかであり、戦争を完全に記述したものでないことは当然認識しておかなければならないだろう。

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 クラウゼヴィッツの位置づけは多様である。ある研究者は、クラウゼヴィッツから派生した殲滅戦理論が、限定戦争の重視される現代においてなお幅を利かせていることを指摘する。一方で、戦争の不確実性・摩擦・敵の心理の不透明性を強調する彼の理論を、技術に対する過信によって生まれる思考の対極に置くものもいる。この論者によれば、マクナマラのシステム分析や、科学技術が戦争を単純明快にするという思考は、ベトナムのような失敗を生み出す。だから、戦争がつねに霧に包まれていること、敵の心理を軽視できないことを、クラウゼヴィッツから学ばねばならないというわけである。

 第一次世界大戦から第二次大戦まで、アメリカ軍において軍事教育と実際の指揮官は一体化していた。優れた指揮官・司令官が同時に軍の教育機関の教壇に立ち、専門技術にとどまらぬ政治・大戦略についても講義した。この伝統はベトナム戦争前に失われてしまった。

 この論旨によればクラウゼヴィッツは科学信仰・科学技術万能主義にたいする解毒剤の役割を果たしている。

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 クラウゼヴィッツそのものだけでなく、ナポレオン戦争から現代にまでいたる軍事思想の変遷、『戦争論』受容の変化についても知ることができる。おそらく、『戦争論』を読むために役に立つ本である。わたしはまだ肝心の『戦争論』を読んでいない。

 永末聡の担当した章だけは、クラウゼヴィッツとほとんど関係がないように感じた。「エア・パワー」と銘打って空軍の発展をたどっているが、経歴を調べたところやはり『エア・パワー』の著者だった。

 

クラウゼヴィッツと『戦争論』

クラウゼヴィッツと『戦争論』