うちゅうてきなとりで

The Cosmological Fort 無職戦闘員による本メモ、創作、外国語の勉強その他

『ワイルド・スワン』ユン・チアン

 文章は飾りのない報告調で淡々と進むが、繰り広げられる話はおもしろい。古い因習、無政府状態の国、身分の違いなど、現代からすると奇想天外な要素がたくさんある。衒いや専門的な話はほとんどなく、あくまで女たちの人生の転変を語ろうという純粋な動機が感じられる。ところどころ挿入される政治の世界の話、軍事の話も、背景説明の枠にとどまっていて、冗長でない。

 祖母、母、著者の三代を通して、清朝軍閥支配の時代、日本軍の占領、満州国、国民党、共産党と支配者がつぎつぎと入れ替わっていく。このような時代にあって守るべきものは自分とその家族だけである。自分とその家族の身の安全、生活を守るために、中国人は金を重視し、また賄賂も辞さなかった。そもそも、法治主義がおこなわれたことのない文明において、法を守るとか正義を貫くといったこと自体が成立しない。

 軍閥の時代は戦国時代とかわらず、国民党は汚職・腐敗、権力の私物化に満ちている。日本軍は差別政策をおこなったため反感を喰らい、ようやく統一を達成した共産党全体主義的だった。

 国は違えど、著者がつくりだす物語の世界もまた「人にやさしくない国」、「生きるのに厳しい国」である。

 大躍進政策のために、農民たちは田畑を放り出して使い道の無い鉄をつくる作業に従事させられた。結果、50年代末に飢饉がおこり全土で2000万人が餓死したという。浮腫をおさえるために尿で培養したクロレラを食べ、幼児をさらって干肉にして売り、赤子を殺して食べた。失敗が隠し切れなくなり、毛は劉少奇と鄧小平にポストを譲って去った。

 全体主義の定義をよく知らないが、極端な集団主義、私生活や人格の管理、密告社会という現象は中国や日本だけのものではない。社会の空気や人びとの無知、ヒステリー、そして、ながいものに巻かれろという風潮が重なると、大勢の人びとがおかしな行動をとる事態が発生する。

 祖母は妾として売られたり、買い戻されたりと幼少時から翻弄されつづけ、それでも生活の気力を失わず、孫が出来てからも共産党に文句を言い続けた。祖母の娘、すなわち著者の母は、共産党に疑問を感じつつも必死に働き、一方で家庭を重んじ、自分や娘を顧みない夫と衝突する。夫は、不正を見つつも家族のために役人として働き、農民とともに飢えることで罪悪感を解消させようとし、うつ病のような症状に陥る。

 激しやすい祖母や母をのぞいて、男たち、女たち、農民、役人、軍人の心理は詳しくは描写されていないが、彼らがそれぞれ奮闘して生き残り、また負けて死んでいくのがよくわかる。

 大飢饉のあと、鄧小平と劉少奇が現実的政策をとると経済状況は改善される。学校生活や映画鑑賞、比較的自由な言論、芸術、文化活動の空気のなかで、著者たちは幸福な生徒時代を過ごす。雰囲気が一変するのは、毛沢東の画策した文革がはじまってからである。

 文革のすさまじさは、他の作家の本や中国史の本でもくわしく書かれている。おそらく人類の歴史がつづくかぎり、20世紀を代表する事件のひとつとして残るのではないか。

 生徒は毛沢東の権威の下で、大人や教師をリンチする。あらゆる旧いものを破壊する。街路の名前を革命的なものに変えようとするが、著者のいた中学の紅衛兵は看板に手が届かなかったためにあきらめる。茶館を壊して老人を追い払おうとしたところ、老人は貧しい労働者そのものの成り立ちだった。子供たちは申し訳ない気持ちになるが、紅衛兵運動に反対することはできない。赤信号で停まるのはよくないので赤で進むように、道路の右側通行はおかしいので左側通行にするように働きかけようともするがこれはとめられる。

 紅衛兵の暴走がひどかったのは北京であり、四川省は中央の力がそこまで及ばないため被害は軽かったという。それでも、本書で描かれている打ちこわしや批闘の光景は、異常である。

 著者の父は四川省宣伝部の高級幹部だったので、出世をたくらむ部下や過激な造反派から迫害される。父は「魂を売らない」硬骨漢で、筋を曲げるのを拒否し、尋問の末一時は発狂してしまう。母も批闘にひっぱりだされガラス片のうえに土下座させられたり、殴られたりする。

 当時、造反派は毛沢東の威光によって私怨をはらしたり、下克上をたくらんだりした。

 軍隊のなかにも造反派に与するものがあらわれ、市街地では戦車や砲弾、機関銃、手榴弾をつかった戦闘が発生した。一方、捨てられた書物やラジオなど機械類の闇市が立ち、それまでは見られなかった不良グループがたむろするようになった。文革で学校や社会のシステムが停止してしまったため、著者の弟もやることがなくて不良の一味になった。他国の不良と同じように、奇抜な服装で盗みやスリを働いた。

 文句や不平をいえる社会とはよい社会である。だれも不満を口にするものがなく、満面の笑顔で賞賛している人間しかいない社会はひどい社会である。

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 「戦争の詩人」毛沢東の思想の中心にあったのは「はてしない闘争を必要とする論理」だった。

 ――人と人との闘争こそが歴史を前進させる力であり、歴史を創造するにはたえず大量の「階級敵人」を製造しつづけなければならない――毛沢東思想の根幹は、これだったと思う。

 毛沢東は生来争いを好み、嫉妬や怨恨、憎しみといった人間の感情を操ることに秀でていた。毛沢東は国民自身を争わせたため、中国にはKGBのような組織が存在しなかった。また、毛沢東は無知を礼賛した。

 八九年の天安門事件がおきたとき、著者や多くの中国人は、文革期に解放の象徴だった鄧小平がこのような弾圧をおこなったことに驚いたという。

 

ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)

ワイルド・スワン(上) (講談社文庫)